人間社会と日本:政治-01

ー 人間社会と日本:政治-01

人間社会は転換期にあって日本の方向を決め推進するのは、政治家の主たる役割であることは近代国民国家では言うまでも無い事である。然るに、問題なのは日本ではこの層(政治家及び予備軍の者達)に真面に歴史観や国家観を鍛えて対処出来ている人物が少ない事である。更に、官僚機構もその在り様と官僚達(主に意志決定に重要な役割を果たす幹部級の者達)が明治維新以来の開発独裁の主導的な立ち位置である様相に今も「どっぷり浸かり」であり、換言すれば今以てが大東亜戦争後もその構造が奇妙に温存されて継続されてきている。少し前の「日米経済戦争」の時期に米国側に押し切られ、日中国交回復で以降で支那(中共)への過大な配慮が要請され「飲んできた」という経緯があり、日本の舵取りを間違えてきた責任の一端が官僚側にもある。これまで外部勢力に影響力を行使されてきた政治家達や既得権に「胡坐」かいて省益に埋没する官僚達による弊害が何度も繰り返されてきている。今また歴史的な何度か犯した取り返しのつかない同型の「錯誤」を繰り返す可能性が否定できない雰囲気に成りつつあるのではないかと推測する。嘗ては、国民は必要な情報をメディアに依存していたがSNSが発達し玉石混交ではあるが「真実」が掴める機会は増えてきており、確り情報リテラシー(個人のインテリジェンス)を高め働かせて政治家の選択を行ってゆかなければならないであろう。この観点で、2021総選挙では国民はかなり際どいが的確な均衡感覚を発揮して衆議院議員の選択を行ったのではないかと判断する。

第一次安倍政権より「開かれたインド太平洋構想」のもとに進められてきた外交政策の浸透と、習近平の登場で露骨な華為秩序の確立を目指す支配的な行動により、更に支那(中共)の行状の内外に渡る事実が米国DJT政権により公然化されたことより、支那(中共)は人間社会から忌避される情勢にある。

支那(中共)は現在「六中全会」の最中であり、この会議にて次の政治局メンバーが確定することになる。習近平が継続する可能性が大きいと見られるが、終身かどうかは別として次の10年も習近平となるなら支那(中共)の「孤立化」は一層進むことになるであろう。それは何を意味するかである。人間社会が、支那(中共)との関りを極端に「薄く」してゆくということは、支那(中共)の「北朝鮮化」が生じてくるということではないだろうか。

支那・朝鮮の歴史的な背景を持つ精神文化からすれば、今は超限戦という用語で語られる行動様式である。端的言えば「王道を歩めず邪道に走る」である。「兵は詭道なり」で有名な「孫子」が今も根付いており、「諜報や工作」による人心操作に長けており逆に人民は洗脳されやすいという面がある。こうした行動様式を人間社会でも繰り広げるしそうして来た。人間社会は、特に欧米日の諸国は西欧近代科学技術文明を基本としており「嘘は許されない約束を守る」ことが基本的な行動様式である。両者にこれまで錯誤があり支那・朝鮮(韓国も含めて)に有利に作用してきたが、その本質が公然化した今は最早「利点」が「欠点」になり、人間社会から忌避される様相を深めている。但し、支那(中共)の周辺地域への「異様な侵略」がありこれを止めさせることに即効性を求めるならば、「力」の行使である。それは、戦争に繋がるであろうし問題の本質的な解決にはならないであろう。人間社会は此れへの対応で「知恵」を絞り一刻も早い解決策を見つけて推進する他はないであろう。

既に、支那(中共)はこれまでの政策により自国で自給自足は出来ない状況にある。また、これまで支那(中共)が発展するための好環境(人口動態や発展を促す各種の構造等)であったものが、時間軸の推移で変化し更なる発展を妨げる状況に変化しつつある。全体的にこれまでにない危機的な事態がいくつも進行しており、支那(中共)はその「極」に達して「勢いの潮目」が替わりつつある状況に移行していると言える。

歴史的に類推すれば、中共の混迷により支那(中共)が経済的に立ち行かなくなり人民の反乱と言うことになるが、香港のケースを観察すればそう容易なものではないであろう。また、現在も同国内で暴動は多いがほぼ「鎮圧」されているようだ。それだけ強い秩序維持機能を有しているという証左である。ソ連の崩壊も参考になるが、支那の人民解放軍は国軍ではなく、天安門事件からも理解されるように共産党の暴力装置である。中共が弱体化した際には、各軍区に分かれた独立的な要素が強いので「軍閥化」も想定され、支那独特の状況が現出することになるのではないか。必然的に、軍の現代化で核武装も進んでいることより人間社会にとって今以上に安全保障が最優先の課題になるであろう。同時に、巨大な人口より混乱と分裂により生まれる難民への対処も要請されることになるが、ここまでの支那(中共)の行状の経緯より厳しいものになるであろう。

この見通しを踏まえれば、日本はこれまでの温い対応は止めて憲法改正も然る事乍ら「現代版神武(自衛隊の国防軍への再編と軍事力の強化)」を図ると共に、価値観を同じくする諸国と同盟関係を構築し集団的安全保障体制の確立を急ぐ必要がある。この方策は、嘗ての様に戦争を行う為ではなく「力の均衡」を構築し戦争を回避するというものである。更に、支那内に生じる不安定要因に対処する為でもある。つまり、インド太平洋構想から次の段階へ移行することになる。日豪英米(AUKUS+J)による中核となる安保構造に加えて、隣接国でそれなりに支那(中共)に対峙できるであろうインド、ベトナム、台湾、モンゴルを加えた安全保障体制を構築してゆくことになると考える。こうした安全保障体制を組むことで、中共の挑発的な行動からの暴発を防止する事になる。現状はその方向へ進んでいる思われるが日本は大東亜戦争後にとってきた軍事力への関与の仕方を基本的に改める覚悟が必要であることは言うまでもない。

支那(中共)は近時に人民解放軍の近代化を精力的に行ってきた。その背景には技術移転(窃取も含めて)を積極的に行い、工業化とその高度化の水準を上げて軍の現代化を実現してきている。日本からの各種の民間企業の技術移転が貢献しているのは言うまでもない。今後は重要技術等に関してはそうしたことが起こらない様に政策的に法的に工夫を凝らしてゆく必要がある。現状は、あまりに無頓着過ぎているであろう。巷間、スパイ防止法が言われていることに繋がることである。今後は、日本における軍需産業を民間だけに任せておくのではなく、「軍工廠」を構築し国防軍が独自に軍装備の開発研究生産を行うことも推進する。同盟国との軍事技術の情報共有と情報漏洩の防止にも有効であろうし、技術的な優位を確保する為にも必須であろう。

なお、最も喫緊の課題は「インテリジェンス」の復活と適切な応用である。戦前は有能なインテリジェンス機能が組織化されていたが、それを有効に活用(諜報や工作に偏っていて政治家や官僚幹部が総合判断するのに必要な水準に整理された情報を共有することが成されていいない)することが出来ずに「国家的な錯誤」に繋がったと言える。この機能は戦後否定されたものであり、今は明示的なインテリジェンス組織も存在していない。内閣官房では一応のインテリジェンス的な機能が整えられてきているようであるが、属人的な様子が伺えることより精査と的確な分析がなされた水準ににはなにのではないか。現在の日本の政治家や幹部官僚に見られる「総合判断力」の弱さは、中共ウイルスのパンデミックへの対応(かなり専門的な知識を必要とすること分野である)で、より「典型的」に現れていたと言える。こうした情報弱者に置かれることを防止するためにも、インテリジェンス機能は必須である。今後も人間社会は発展し複雑になってゆくのは必然である。情報省を設けて対処してゆくことが肝要である。加えて、現在もなお諜報や工作を仕掛けてくる勢力(国)もあることより、日本の在り様からはそうした機能は必要ないが、そうした特異な分野でのカウンター機能は仕掛けられる日本には必要である。具体的には中共が仕掛けてきている日本を仮想敵として仕立て歴史捏造を行ってまでの「情報戦や心理戦」への対応である。これにはやはり日本側も情報省にてカウンター機能を持ち「反撃」しないと人間社会で「日本悪」が蔓延することになり日本の国益を損なう。現にその様に南京大虐殺問題は扱われてきた。民間の反論だけでは抗しきれない。朝鮮系(韓国系民団と北朝鮮系総連も含む)による国内だけに止まらず人間社会でも無駄に積極的に活動している「反日情報戦」も然りである。

現在の複雑に入り組んだ人間社会にあっては、「戦争」はあまりにも大きい損害を人的にも環境的にも双方に引き起こす。しかし、対立が避けられない事態を迎えるのも人の世の常である。自分達だけが賢く立ち回っても相手も同じように賢くなければ「戦争」は引き起こされることになる。支那・朝鮮の精神文化は、歴史的に「支配被支配の関係」が基本にある。「強いものには逆らわない」や「何事も後追い」の彼等に対しては全ての面で「優位」に立てば良いわけであり、価値観を同じくする諸国と同盟を結びその状況を実現すれば良いことになるであろう。しかし、彼等に支配(受け入れること)されることは、周辺地域の実情が示す「扱い」を受けることになることは理解できるであろう。日本は、明治維新以来の経緯より「欧米」に目が向きがちであるが、ここは確り近隣国との歴史的経緯や実情をインテリジェンスを機能させて、基本的には距離を置く関係をとり確り情勢を把握して「錯誤」を犯さず事に臨むことが重要である。

そこで今回の総選挙で選択された岸田文雄氏と此処から立ち上がる第二次岸田政権であるが、明確な親中派は避けられたことは妥当であるが宏池会という嘗て微妙に親中派で禍根を残した宮沢喜一&河野洋平の「匂い」が消せない岸田文雄氏には疑念が付き纏うことになる。彼の言動を見ると、支那(中共)の今後の方向が明確になるまでは日本は相変らずの姿勢をとり、人間社会の大局の方向を見据えて静かに進行してゆくということであろう。ストレスの溜まる局面ではあるが、自らの関わる範囲で無理せず変化の方向へ舵を切ることになるであろう。長い時間軸の政策と状況を把握しつつ適宜に採用する政策が総合的に整合性を持ち機能してゆくように、岸田総理が取り計らう指導力を発揮できるどうかである。始まったばかりであり観察時期であろうと見る。

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