人間社会と日本:経済-03

ー 人間社会と日本:経済-03

最近は「地政学」というものが理解されきているが、地理的環境がそこに存在する国家に深く影響を及ぼしていて、逆にその理解無くして当該国家を的確には認識できないと言うものであると理解する。人は止む無ければ移動ができるが国家は特定の環境(土地・海・空)に根付いていることよりその場所を変えることは出来ない。「環境」と共に其処に共同体を営んでいる人々により構成されるのが「国家」であると再認識される。最近の人間社会では各種の事情もあり富みに移民や難民が生じており、国家の基本が揺らいでいる面もあり国家(近代国民国家の在り様)の再認識が必要となってきている。

その誕生より日本列島という自然環境の「枠組み」が共にあり、そのもとに永続してきている特異な経歴の持ち主が日本である。先ず、このことが特徴的なものを日本に与えていることを再認識する必要があろう。逆に、その誕生から共同体としての性格を持たない若しくは持てない国家が存在することも事実である。その典型的な存在が日本の隣国である支那である。支那は当該地域を指す名称であり、日本のように明確に国家を意味しない。現在は、名が体を現わさない「中華人民共和国」である。支那の精神文化には「共同体」を育む要素が殆どないと言える。その背景には、北からの異民族の侵入による「支配」が易姓革命という様式で繰り返されてた数千年に及ぶ歴史的な経緯があることによるであろう。一方で、理念で纏る国家が西欧近代科学技術文明以降には存在する。宗教問題等の事情により欧州から逃れてきた者達により建国された米国である。「近代性」をより良く反映する「実験的国家」として誕生した経緯が米国にはある。その一方で宗教的理由で欧州を逃れてきた勢力の流れもあり、米国は意外と宗教色の濃い国家でもある。

人間社会に国家は数多く存在し其々に歴史的な違いがあるが、記述した三種類に大別できるであろう。この観点から此処から先の国家の複合体である人間社会の政治経済文化の在り様を考え、永続してきた日本が持つ特異な背景(「日本的なるもの」が生み出す伝統と慣習やそこから生まれる歴史観や国家観)を踏まえて、日本が人間社会でどの様な立ち位置を追求するのが良いか考える。そうしてみて初めて日本の持てる力をどの様に人間社会に生かすことができるがを考えることが出来るであろう。明治維新以来遅れて人間社会に参加した為に、人間社会で「認められる」ことを前提に対処してきた。人間社会で自己主張をすることは避けてきた傾向が強い。このような立ち位置をそろそろ卒業して、自己を適切に認識して必要な主張を人間社会に行うことを覚悟して、日本の意志と矜持を人間社会に示すことである。従前の在り様では、日本は「消滅」することを認識することでもある。


近代国民国家は、近代性(自由・民主・法治)・公共性(異様な偏りがない)・透明性(嘘や偽りがない)が理念として備わる諸制度(議会・政府・裁判所等の諸機関)や規律ある自由を前提に活動する各種企業や各種団体等により統合的に全体運営されているものであると理解する。また、構成する国民に其の事が共有認識されていて実践されている状態にあることが重要でもある。換言すれば「人間」に例えられるであろう。40兆個程の細胞により構成されていて、其々に必要な器官が構成され統合的に役割を果たし、人間(個人)が統合的全体として機能していることと同型であると言える。人間は、歴史的に経験を積み重ねて巨大で複雑な社会を構築してきているが、その本質において自らと同型のものを実現しようとしていると理解できる。

この観点で、近代国民国家を生み出した西欧近代科学技術文明は普遍性を持つと理解できる。然るに、生活基盤である経済において危機的問題(規律ある競争原理だけでは属人的欲望を牽制できる機能が不足している)を抱えていることが認識されているにも拘らず、自由な競争を阻害しない尚且つ過度な集中(独占に繋がる)を引き起こさない仕組みを生み出すことが出来ずに来ている。結果的に、グローバリストと中共の跋扈を許すことに繋がってきた。異様な不均衡が生じると共に政治面への影響も大きく成り、人間社会は大きな転換期を迎えていると言える。つまり、人間のアナロジーを使えば、悪性癌(動的平衡のルールであるアポトーシスに従わずに増殖を続ける)が発生して増殖と転移が生じて生体を死の危機に至らしめている。この状態と同型のものを人間社会に齎していると理解できる。癌治療は進んできているがそれでも難しいものであることは理解されている。経済においてルールだけでなくその精神を学ばない者がおり、そうした者達を適切に牽制できる仕組みが見つけられてきていないことにも通じる。

西欧近代科学技術文明に内在する問題への大きな動きとして、「共産主義」と「グローバリズム」が生じその担い手の拡大と活動により異様に勢力が増強されてきた。しかし、それらは人間社会を維持発展させる適切な解を持ち得ずに、前者はソ連に代表されるように国家レベルの共産主義としては崩壊した。それでも権威主義的リベラルとして変異し国家の枠組みを越えて生き残りを図り、人間社会(主に先進諸国において)で無意識的に「害毒」を撒き散らしている。後者は今其の極にありこのままでは人間社会(主に経済分野で)の適切な動的平衡と動的変化を維持できなくさせる危機を招いてきて、人間社会が持続不可能に至る「翳り」を見せ始めている。換言すると、グローバリストが前近代の中共と連携して歪に彼等を台頭させて人間社会に齎した「害毒」の始末が喫緊の課題になり始めているのである。更に異質な問題である感染症への対応がある。自然発生でない状況証拠が揃いつつある中共ウイルスのパンデミックの責任を中共に取らせることが必須である。二度とこのようなパンデミック(人工的な要素がある)を起させないために重要な課題に成りつつある。

第二次世界大戦後の米ソ冷戦で脇に追いやられた「近代国民国家の敷衍」を改めて行い、人間社会も同型の構造に再編する「出直し」の時期に来ていると再認識することが必要である。この時期において、その特異な要素を有する日本はその存在価値を明確に自覚して培ってきた伝統と慣習を基に、人間社会の次の在り様としてのモデルを示し働きかけをおこなってゆく使命があるであろう。逆に、これまでの人間社会の在り様を思えば、異質な日本からしか新たな方向性を生み出せないであろう。そのためには、日本以外に理解されるよう「日本的なるもの」を理論化する必要がある。

新しい動きとして「AUKUS」が出現した。この同盟は「始まりの動き」であろうと推察する。アングロサクソンの冷徹なものを体現している。日本も自己の強みと弱みを的確に認識して、彼等に匹敵するくらい「冷徹」に人間社会を見て行動してゆくことが肝要である。此処からは、特に経済面を注視して人間社会の動きを考察してゆく。特に、今現在進行中の「動き」を理解し「日本的なるもの」を持ち込まないと、人間社会はリスクを抱えたままで推移せざるを得ない。この先持続が不可能になるリスクを認識し回避する方法を探ってゆく。

記述して来たように、現在の人間社会で好ましくない観点からではあるが注目すべきは「支那(中共)」である。西欧近代科学技術文明が生み出した「共産主義」や科学技術等を受容したが、この文明に必須である基本的な要素である「近代性」を受容していないことによる弊害が許容できない域にきている。周りに撒き散らす「弊害」があまりにも大きく露骨に成り人間社会がその「害毒」に晒される事態に至っている。このことに欧米日の先進諸国は明確に覚醒を始めているが、支那(中共)の幹部宗族と同型に近いグローバリストも欧米日の先進諸国側には存在する。実際にこれまで支那(中共)と好を通じてきた事実がある。つまり、支那(中共)がその規模により歪に台頭したことからも理解されるように、本来内包されている「近代性」を理解しない「中華思想」の持ち主達が、人間社会の同型勢力(先進国のグローバリストや未だ前近代にある諸国の指導層達)と奇妙に連携して「力」を拡大して来ている訳である。更に踏み込んだ認識としては、支那人が支那(中共)の経済規模を利用し共同体意識が無く他者や他所の「侵略に衒いがない」その精神文化で人間社会に「異様に進出」してきてもいる。結局は、支那の精神文化(基本的に近代性とは相容れない前近代であり非近代である支配被支配の関係が全てに優先する類のもの)は他者と共存共栄できない傾向が強いものである。この影響により、欧米日の先進諸国でも「近代性」が蔑ろにされる傾向が出て来ている状況の再認識が必要である。現代の人間社会は、人々の生活基盤である経済が国家の枠組みを越えて密接に繋がる状態にあり、この経済の在り様において人間社会は支那(中共)に「利用」されてきたと理解できるであろう。

此処から先は、「従前が終焉する世界」と「新秩序を求める世界」と「時間が止まった世界」がより複雑な人間社会に移行してゆくと理解される。日本が、この状況の人間社会で生き抜いてゆく(継続してゆく)ためには、これまでのように「用日状態」に無自覚で無頓着であること止め「自立」をする強い意志と覚悟を持つことが先ず必要である。ヒントは日豪英米(AUKUS+J)にあると言える。安全保障だけでなく経済も政治による意志の体現に従うことを認識することである。今回の総選挙で誕生した岸田総理がこのことに覚醒しているかどうかである。「新しい資本主義」を掲げているようであるが聞く相手を間違っていると見受ける。経済分野は生活基盤に関わることであり、より積極的に政策の企画立案と公論で方向性を決め推進するものである。これまで以上に安全保障の動向に左右されるが、価値観を同じくする者同士の経済体でなければ真面なビジネスが出来ないのは明かである。であるならば日本の方向性は明かである。

広域経済として、CPTPPとRCEPがあるが、前者は水準の高い経済取引を実現しようとするものであり、後者は支那(中共)が主導するもので此処から先を考えれば「ブロック化)」に近いものであり形式上はそのようなものではないが実体は支那(中共)の経済支配に繋がるものである。後者に日本が参加した背景は理解できないが、親中派の勢力と官僚達が主導したのであろう推察する。相変らず、支那を発展する市場と見なしている親中派がいるが、現在の支那(中共)の動向を理解すればそうしたものではないことが解るであろう。

CPTPPへは現在英国と台湾が加盟申請を行っているのであるからこの二国を加えて自由主義経済の核となる地域に成長するように日本はその立ち位置を使い導くことである。同時に、支那(中共)も加盟申請を行っているが参加出来る水準にないことは明白であり加盟は不可能であろう。CPTPPは、元々は対支那(中共)を想定した経済体であることを考えれば、英国が加盟することで英連邦と日本が主体になるCPTPPは。その他の加盟国は支那(中共)に影響力を行使される可能性が高いが、CPTPPが米国規模の経済規模に発展する可能性もあり有力な経済安全保障体制を確立出来るであろう。というよりそのようなものに作り上げてゆく責任が日本にあるであろう。その際に英国が参加することで「バーゲニングパワー」にもなり得るであろう。地政学的な条件では、豪は大陸であるが「島国」が集合したものとなり、北半球と南半球に拡散しており各種の要件で補完できる好条件がある。新たな技術体系による産業革命も期待できるし、それを推進出来る技術力も持っている日本が主軸に成れるであろう。

日本は、CPTPPという経済安全保障体制の確立を主導することである。CPTPPとRCEPに二重参加している日本他の諸国は、RCEPとの「付き合い」は適当な距離を置くことで実質的にそこでの経済活動は行なわないことになるであろう。

将来的には、米国のCPTPPへの加盟がなれば、AUKUS+Jとなり人間社会で「真のポピュリズム」を体現する安全保障体制が確立できることになる。その上で、その他の人間社会の諸国に同型の国家への移行を迫ってゆくということになるであろう。


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