#本屋になるまで日記0809 ふしぎとふつうのあいだ

なつやすみのよてい


明日から弊社は夏季休暇。
お盆にどこにいくの?という話をしても
家でごろごろします〜という子が多い。
旅行するにも高いもんね、といいつつ
私がもう少しこの子の心を開けていたら、
遊びにいく場所を教えてくれたのかな、
と中学生のような邪推をしたりする。


そんな私も「家でのんびりします〜」と答えつつ
明日は熊谷・高崎方面の本屋さんにいく予定。
人のことは全く言えないが、
会社の人に本屋巡りの話はなんとなく言いたくないという気持ちがある。

本が好きと言えぬまま大人になってしまった


高校生の時、本が好きなことをできるだけ人に言わないようにしていた。
高校デビューとまではいかないけれど
自分の好きなものを伝えて、内面の暗さを知られるのを極端に恐れていた。
(もちろん本は暗いものではない。私の人間性の問題である。)

本は1人で楽しむものだし、私の好きなものが人に知られなくても関係ない。
ただそれは自分の個性を相手に伝えられないということで、
高校生の頃から続く友達がいないのはそれが原因だなあと大人になって反省したりもする。

ふつうとふしぎのあいだ

kafkaとして本を並べる時
キャッチコピーに「ふしぎとふつうのあいだ」を使って、選書している。

【ふしぎ】は子供の頃に読んだ児童書やファンタジー、どこか曖昧なもの
【ふつう】は大人になってから読んだ実用書や人文書、エッセイなどはっきりしたものを選ぶことが多い。

開催場所や気分によってふしぎとふつうの本の割合は変わる。

会社や世間をうまく渡っていけていけるタイプの人間ではないと思う。
みんなには当たり前の道路に見えるものが、
私には平均台のように危うく見える。

それでもなんとかこの世界を生きていくために、
ふしぎとふつうの間、際どい平均台の上を両手を広げてふらふらしている。

ふしぎの世界を冒険していたあの頃に戻りたいけれど、
おとなになってしまった私はそうも言ってられないのだ。
トトロが大人になると出会えなくなるように。
ふしぎ側も「あなたはもう大人ですよ」とゆるやかに背を向けているのを感じる時がある。

ふしぎはもう私を迎え入れてはくれないけれど、
私は【ふしぎとふつうのあいだ】でテントをはり、
焚火をし、トランクを開く。
ふしぎは左、ふつうは右。その間で灯りを灯しながら、
同じような人が本を選びに来るのを待っている。

そんな本屋さんが作りたい、選書基準が作りたいが
あまりに抽象的で、「ふしぎとふつう」の説明を求められたときに全く言語化できなかった。

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