見出し画像

のっぽ

のっぽさんではない、のっぽである。

弾き語りデュオ「ぼうしとのっぽ」の、のっぽ。
(私がぼうしね)

私の飲み仲間、あこがれの人、作詞家、
唯一無二の相方。

今は二児の母である。

「お互い、一緒に音楽を頑張ろう!」

とか誓い合って結成したわけではない。


のっぽとは会社の同僚だった。
お互いお酒が好きで、よく飲みに行くようになった。

初めて二人でカラオケに行ったとき、
のっぽがハモってくれた。

超~気持ちよかった。
(きっと北島康介より気持ちよかった)

耳が大喜びしていた。

そして、ひょんなことからマルシェに出ることになり、
ゆずの「いつか」を歌った。
「ハーモニーがいい!」と、好評だった(と思う)。

そこから縁がつながり、
ぼうしとのっぽとしての活動が増えていった。

ふたりの時間も増えた。
すごいときなんて、
のっぽが1週間近くうちに泊まっていた。

寝間着でゴスペラーズのダンス映像(意外でしょ?)を見て、汗だくになりながら何度も何度も踊った。
疲れ果て、7畳の狭い部屋で
ふたり大の字になって寝ころんだ。


天草の晩柑リキュールを初めて飲んだとき、
あまりの旨さにテンション爆上がりして、
「Perfumeっぽいダンスバトル」が開催された。
私の惨敗だった。
のっぽは天才だ。


ライブ会場までの車内では、即興演技を楽しんだ。

のっぽ「ねえ、にんげんって、ぼくたちようせいをたべるんでしょう?!」

ぼうし「そうだね、そんな人間もいる。でもね、やさしい人間もいるんだ」

のっぽ「…え?」

ってな具合に。

楽しくて楽しくて仕方なかった。

このときの私たちは起承転結の「承」だったように思う。
映画でいうと、30分過ぎたあたり、
キラキラした楽しい一連の描写に、
明るくてポップなBGMが流れるところだ。

そして「転」が訪れる。
その頃は、毎週末ライブで忙しかった(ありがたいことよ!)。

フルで働きながらの音楽活動は、
当然体に無理がきた。

「ちゃんと仕事したいんよ」

あの時の私は、体力もアホほどあったし、
いろんな事がよく分かっていなかったように思う。
唯一分かったのは、のっぽがきついってこと。


居酒屋の端で、ふたりで泣いた。


私の音楽への熱量はすごかった。
きっと、のっぽに無理をさせていた。
それでものっぽはよく付き合ってくれたなあと、
今は思う。

ありがとう。


あ、解散はしてないからね!
のっぽは育休中なのです。

「結」はまだまだ先。

これからも、ぼうしとのっぽをよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?