斧と発話 —『悪は存在しない』 のこと—

 映画の冒頭、音楽が途切れ、チェーンソーの音が耳をつんざいたかと思うと、1人の男(大美賀均)が長い丸太を切っている姿が目に入ってくる。男が深々と切り込みを入れ、それが貫通した途端、組木の上に横たわっていた丸太は、きれいに4つに転がる。それだけでも、この種の作業の素人であるわたしは手品でも見る思いなのだが、さらにそこからワンショットで、男は短い丸太を次々と切り株に乗せ、斧でぽんぽんと割っていく。力みというものがまるで感じられない。にもかかわらず、すべての丸太は必ず、一振りで割れる。

 この驚くべき場面は、『ハッピーアワー』のワークショップで鵜飼が見せた、四脚椅子を一脚だけで自立させる場面をちらと思い起こさせる。しかし、あの椅子の自立には、一瞬驚かされたものの、どこかトリックめいた、油断ならない感じがあった(そしてその感じは、映画の後半において妹の「叩けばいい音がするから、きっと空っぽなんだと思います」という鵜飼に対する評で裏打ちされることになる)。一方で、『悪は存在しない』の斧振りは、明らかに何度も斧を振った身体を感じさせる。惚れ惚れとするようなその動作には、何ら後ろ暗いところがない。

 大美賀均演じる巧の発声もまた、斧のようだ。何よりもタイミングがいい。つっけんどんではあるけれども、もしかしたらこんな人はいるかもしれないと思わせるような気持ちよい間合いがある。

 とりわけ、巧が「お」とひとこと発するとき。花が一つの木を名指す。指さされた先を見ると確かに正しい名前が言い当てられている。そのことへのひかえめな驚きが、ささやかな「お」のタイミングに、さっと表れる。
 さらに、二度目の「お」で、わたしはこの声の思いがけないすばやさを知る。まだ画面のどこに注意を向けるべきかもわからぬうちに、今度は花が何も言わぬ間に、巧は、まるで小石にでもつまずきかけたかのようにひっそり「お」とつぶやく。その「お」が、棘のある木を見つけた「お」であることは次のショットで明らかになるのだが、この時点では、この小さなできごとがどのように物語へと編み込まれるかはわかっていない。ただ、こちらの意識にさっと割って入るようにすばやく発せられた「お」とともに、木の印象が残るだけだ。

 濱口竜介は、演技の前に台詞を何度も全員で発していく「本読み」をすることで知られている。その様子は『ドライブ・マイ・カー』の家福によるワークショップでも描かれていた。『カメラの前で演じること』(左右社)で濱口は「本読み」の効用のひとつについてこう書いている。

「全員で読むことによって、それこそある人物の台詞の後で自分の台詞がくる、ということを「音の条件反射」とすることができたように思う。ある台詞が来たら、自分の台詞を言えばいいということが、レコードの溝を彫るようにして身体に刻まれる。あらゆる台詞が、次の台詞のトリガーになる」

 この記述はまさしく、会話における大美賀均の発声の間合いと合致する。

 巧は、世界の出来事に対して、あたかも斧を落とすように声を発する。力むことなく、世界に対して、片足を前に出して構え、来るべき時が来れば、ぽんと声が出る。観る者が、この映画における巧の振る舞いに不意を突かれるのは、それが不自然だからではなく、むしろ彼が目の前の出来事に、あまりにも力まずに、適切なタイミングで反応するためではないか。観る者が自分でも意識していない倫理や規則で躊躇してしまうその一瞬の隙に、巧は斧を振りおろしている。「EVIL DOES EXIST」という文字列めがけて、「NOT」がさっと振りおろされるように。

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