見出し画像

「今日の「あまちゃん」から」 2013年5月18日回より

 スナックで春子が『潮騒のメモリー』を歌う場面のカット割りはすばらしい。いったい何台カメラが入っているのだろう。そこでは、春子の姿ばかりでなく、春子の歌を聴く客の反応が細かく描き分けられている。
 客の配置もよく練られている。忠兵衛と夏の二人は、マイク前に設けられた移動式ソファの特等席に座っている。その同じ列には、ヒロシ、磯田先生、そしてあとからやってきたアキとユイは脇の方に立っており、花巻さんもいる。そしてくの字型のカウンタの陰になっているけれど、水口と勉さんも立っているアキの横から覗き見するようにしている。
 ソファの後ろはカウンターで、そこには、大吉、足立先生、長内さんとかつ枝、そして弥生がいる。さらにカウンターの中には、美寿々さんと正宗が並んで立っている。このように客席が複数のレイヤーを形成することで、客の反応にも奥行きが現れる。

 まず目につく、いや耳につくのは美寿々さんの盛り上がりで、「激しく~」のあとアップテンポになるところで、カウンターの中からその盛り上がりを先取りするかのように「はいはいはいはい!」と声をかけ始める。一九八六年にヒットしたというこの曲が、いかにも美寿々さんの世代にとっては耳によくなじんだ懐かしい曲であるらしいことがよくわかる。そして彼女の掛け声が、春子からはいちばん遠い奥のカウンターの中から発せられることで、美寿々さんにとっての「知っている」感が、スナック全体を覆うように響いている。
 美寿々さんと同じくカウンター内にいる正宗は、春子の歌に合わせて口を動かしており、彼がこの曲を歌詞を見ることなくそらで歌えるほど愛唱していることを示している。「タクシーつかまえて」という歌詞が、タクシー運転手である彼に固有の感情を生み出しているであろうことは容易に想像がつくし、そもそもこの曲を春子に歌わせるべくリクエストしたのは彼なのだから、何かあることは間違いないのだが、それがどんな因縁なのかは、明らかではない。
 さっきまでカウンターで突っ伏して寝ていた弥生さんは、わけもわからず起き出して、泥縄式に自身のノリで盛り上がっている。長内さんとかつ枝は、春ちゃんの久しぶりの歌を素直に喜んでいるようであり、足立先生はかつての教え子の歌をいかにも先生らしく見守っている。その横にいる大吉は少し様子が神妙だ。長らくカセットで聞き続けた春子の歌声を直にきくことのできる喜びを噛みしめているようでもあり、おそらくは春子が彼の知らない東京時代に覚えたであろうその曲を、いまここで自分の経験として捉え直そうとするかのようでもある。
 最前列を見ると、盛り上がることの好きな磯田先生が、いかにも楽しげに体を揺らせているが、横のヒロシの反応も見逃せない。春子にさっとマイクを渡して最前列に陣取ったヒロシは、このドラマの最初の頃、パチンコ屋で気易く話しかけてきた春子のことを意識していたはずである。彼の感情はその後、娘であるアキのほうに向かいはしたが、ここでは春子の魅力を再認識しつつあるかのように、珍しく表情を輝かせている。
 最前列正面には、この日の主役である忠兵衛が娘の歌を陽気に楽しんでいる一方で、アイドルになると言って家出した娘に対するわだかまりを持つ夏がいる。忠兵衛に手を握られてようやくそのわだかまりは少しとけ出しているように見えるが、春子の歌声がさらに「北へ行くのね ここも北なのに」と、まるで忠兵衛を送り出す夏の気持ちを言い当てるように歌うと、彼女の表情はまた複雑になる。

 そしてこの春子の思いがけない実力を、アキとユイは真正面から浴びつつある。ユイは拍手をすることも忘れ、両手を合わせたままうっとりと春子を見ている。アキは、彼女がひどく驚いたとき特有の口を半開きにした表情になっている。
 「砂に書いたアイ・ミス・ユー」。ここで春子は、「アイ・ミス・ユー」というメッセージをアキに向けて送り出すかのように、右手をアキの方向に振り下ろす。アキの表情が輝く。春子から伝言のように託されたアイ・ミス・ユーを浴びて、アキは、自分もまた春子のようにアイ・ミス・ユーを誰かに歌いたい、という衝動に貫かれたに違いない。

 アキの脇からは、さりげなく、勉さんと水口が、覗き見をしている。ユイの横では、意外にも花巻さんが激しく体を揺らせている。この人はどういう過去の持ち主なのか。 

 春子が『潮騒のメモリー』を歌うこの場面は、単に春子の歌を披露する場面というよりは、『潮騒のメモリー』という歌が、それぞれの人にとってどのように聞き取られつつあるかを表す場面となっている。スナックの内部は、あたかもオーケストラボックスのように、ソファやカウンタによって立体的な構造を持たされており、カメラは、聞き手がそれぞれの位置から表情や声や身振りによって表すそれぞれの歌の受け止め方を、あたかも楽団員の一人一人の演奏を訪ねていくかのように映し出している。
 これは、単に音楽を演奏し歌う場面を挿入した劇でも、歌手やミュージシャンが主役の劇でもない。一つの歌が聞く人それぞれの異なる記憶を呼び起こしていくありさまを、歌とともにリアルタイムで顕わにしていく劇だ。
 この『潮騒のメモリー』がどのような原曲なのか、視聴者は知らされていない。わたしたちは、カラオケによって、いきなりこの曲に接している。カラオケ特有の打ち込みっぽい伴奏、リバーブのききすぎたボーカル。おそらく原曲はもっと澄んだ音なのだろう。わたしたちは、CDや音声ファイルにパッケージされた音のことを、音楽だと思い込みやすい。けれど、ここには、演じられることで成り立つ音楽でなく、聞かれることによって初めて達成される音楽が表されている。

 一番だけね、と言った春子は、もう二番を唄い始めている。

(細馬宏通『今日の「あまちゃんから」』河出書房新社(2013年)より)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?