「インモラルな描写」のある作品に対する感想として「作者の倫理観」の欠缺を指摘する行為の許容性について


下記ご質問への回答です。

 詳細なご回答ありがとうございます!
 おそらくご質問いただいた内容を適切に理解できたのではないかと思いますので下記回答いたします。

 私は、「『インモラルな描写』のある作品に対する感想として『作者の倫理観』の欠缺を指摘すること」については、
①表現者には、法に触れない限り、「インモラルな描写」のある表現物を公表することが許容されるべき、
②表現の受け手には、法に触れない限り、当該表現に対する批判的言論を公表することが許容されるべき、
③表現者や第三者には、②の批判的言論に対する批判的言論を公表することが許容されるべき、
と思っています。

①について
 私は、憲法上の「表現の自由」の根拠として議論されている理由のうちいくつかを根拠として、法に触れない限り、どのような表現をすることも許容されるべきだと思っています(私は現行の法律上の表現の自由の制限については異存ありませんので、表現者には現行法に触れる表現をする自由はないと思っています)。
 ここで「許容される」というのがどういうことかというと、当該表現をしたことを原因として刑罰を受けたり、損害賠償請求を受けたり、そもそも当該表現をするチャネルが完全に鎖されたりしないことです。つまり、単に商業ベースでの表現チャネルを得られなかったり、多数の批判的言論の対象になったりしたとしても、刑罰を受けず、損害賠償請求を受けず、インディーズでの表現チャネルがある限りは「表現が許容されている」ということになる、と思っています(実際に表現し、表現し続けることができているため)。

②について
 ここで具体的な検討はしないのですが、特定の作品に対する感想として「『作者の倫理観』の欠缺を指摘すること」は、場合によっては名誉毀損罪等の犯罪および/または違法行為を構成し得るということになるかと思います。そうした批判的言論は許容されるべきではないと考えています。
 他方、法に触れない範囲で特定の作品に対する感想として「作者の倫理観」の欠缺を指摘すること、または一般論として「○○のような描写のある作品の作者には倫理観というものがないのだろう」といった表現をすることについては、①の表現と同じく一般に許容されるべきだと思っています。

③について
 ①の表現が許容され、当該表現に対する②批判的言論としての表現が許容されるのであれば、論理必然的に、表現に対する批判的言論に対する③批判的言論もまた許容されるべきです。
 質問者さんのご指摘は③の段階の批判的言論であるということを前提として、私は、質問者さんがこのようなご指摘をすることは当然許容されるべき、と考えています。

 なお、質問者さんのご指摘をさらに進めた考え方では、「③の段階の批判的言論は許容されるが、②の段階の批判的言論は許容されるべきではない」ということになるかと思いますが、これは、②の段階の批判的言論の価値は①の表現の価値に比べて相対的に低い、という前提に立つもののように思われます。
 しかし、私は、①の表現も②の段階の批判的言論も本質的に同価値だと考えているので、①の表現や③の段階の批判的言論が許容されるのであれば、当然②の段階の批判的言論も許容されると考えています。かつ、多数の②の段階の批判的言論の対象となったために表現者が萎縮して①の表現を任意に中止することになるのはとても悲しいことですが、①の表現の表現者はなお①の表現を許容されていないわけではないので、①の表現が任意に中止される可能性を理由として②の段階の批判的言論を許容しないことに必要性・許容性はない、と考えます。

 結局なにが言いたいかというと、私は、同人作家Aさんが読者Bさんの批判を受けて作品を取り下げたとして、AさんのファンであるCさんにはBさんを批判する自由があるし、BさんにはCさんに反論する自由があり、この過程のいずれかの表現がたまたま多数者によって行われたとしても、各表現が法に触れない範囲で行われる限りは許容されるべき、と考えているということです。表現行為に対する強制力を有する制限は、法規範と任意加入団体の内部規範以外によってはなされるべきではないと考えています……。

 こちらでいただいたご質問への適切な回答となっておりますでしょうか?
 最後まで目を通してくださってありがとうございました。

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