寄り道の思い出

中学生くらいの子が学校の帰り道だかに寄り道をして鮨をつまむ場面のある話が教科書に載っていたな、と思い出したのをそのまま妻の人に話すとどうやって調べたのかその話が収められた安岡章太郎の『慈雨』という短編集というかエッセー集をわざわざ探して買ってきてくれた。
冒頭の『幸福』という話がそれだったがその鮨の話自体は本筋とはあまり関係なく回想されるほんの一場面に過ぎなかったのだけど、鮨屋が横丁に出した屋台の店であった事や当時は中トロが特に高価なものではなかった事、それから最後に醤油のついた指を暖簾の端でちょっと拭いて出てくる如何にもその頃らしいトッポい仕草などがそうだったそうだった思い出され、そんな古い記憶が不意によみがえってきたのには記憶力の衰えに苛まれる昨今であるだけに我ながら少し驚いてしまった。
あらすじを話すとやや勿体ない話であるのでここに記すことは止めておくが、結末となるその心情は私自分の人生にも多くあった失敗の数々に伴う後悔への大きな共感と慰めであった。しかし肝心のその結末が全くといっていいほど記憶に残っていないのは人生の黄昏に少しずつ差しかかろうとする今になってみなければわからなかった心情であるからなのだろうと思う。
きっと読んだ当時は自分が失敗の多い人間だとさほど自覚していなかったのだろうし今となってみれば典型的に思えるそのしくじりのパターンも全くわかってはいなかったのだろう、とも思う。
教科書以外ではおそらく初めて安岡章太郎を読んだのだと思うがこれは思わぬ収穫で少し嬉しい休日となった。

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