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湾岸戦争開戦の日と海部さんと中曽根さん

イラクのクウェート進攻に端を発し1991年1月17日、英米軍などが参加の多国籍軍がイラクに空爆を開始、湾岸戦争勃発(2月28日にイラクの降伏で終戦)。
当時の日本の首相は先日、訃報が伝えられた海部俊樹さん。イラクのサダム・フセインは米軍などの攻撃の機運を恐れ原油精製施設などにイラク国内にいた外国人を人質、人間の盾として配置した。日本人も200人超が人質になった。結果的に解放されるんだけど、その際の交渉の立役者となったのは元首相、中曽根康弘(故人)さん。政府とは別の非公式のネゴシエーターとしてフセインと会った。その時のことが最近、報道された↓

↑の記事のリンク付けたらもうとくにああだこうだと言うつもりが急速に無くなってめんどくさくなりましたけど、当時はお金を出すだけの日本だとか国内でいろいろ言われてたような記憶なんだけど、表面に出たことだけ・それを報道する論調が事実の全てではない。むしろリアルタイムでは見えない見せちゃうと台無しになることが物事の中心なんだろう。あの時点であんな風の多国籍軍に日本が安易に参加しなくて良かったと今は思う。実務、執務者、現場の人は大変だ。どんなことでも。

中共のこともただ闇雲に対立するのではなくゴリ押しの力に屈することなく落としどころを執政者は見出して欲しい。

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きっと幸せになりますよ(私が