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妄想が介護の世界を救う?かもしれない

先日、考えさせられる記事を読みました。それがこちら。

この記事を見て、あなたはどう感じましたか?

「Aさんを見放した家族が悪い」
「Aさんの人間性に問題があるから仕方ない」
「Aさんがどんな人であっても、プロである介護職が見放すなんてありえない」
「施設職員なら給料もらってるんだから全員できちんと対応しろ」
「こんなのみたら介護職なんて絶対嫌だ」

色んな意見があると思います。

この記事の主訴は、「Aさんみたいな悲惨な最期にならないよう、今のうちから家族や周りとの人間関係を良くするような対応をしておかないといけないよ」というものだと思います。
多分、今後利用者になるであろう中高年以上を対象とした記事かと。

でも、正直中高年層に入ってから人間性って残念ながらあまり変わらないし、変わりようがないと思うんですよね。
よほど人生を変える大きな大きな出来事が起こらない限り。
このAさんだって奥様が亡くなったことは結構大きな出来事だと思うけど、何も変わらなかったんだと思うんですよ。

じゃあ私たちのように介護の世界に携わる人間ができることは何かないのか。
こういう方に直面した時、どう対応し支援していけばいいのか。

これって答えのない問題なんだと思います。
一人ひとりの人間性や周りとの関係性って本当に一人ひとり違うし、支援に入る関係者も一人ひとり違うので、「この人にはこれで成功できたけど、この人には合わなかった」なんてこともざらにあるわけで。

だけど、こういう記事を見た時、介護に関わるニュースを見た時、「これでまた介護職嫌だって人が増えるわ~」とか、「介護職って報われないわぁ」とか、「こんなのどうしようもねぇよ」とか、ネガティブに捉えてしまうと思考が止まってしまうと思うんですよ。

だから、「自分だったらどうするかな」「例えばいくらでもお金とか資源があったらどういうことができるだろう」とか、考えてみると自分にとって何かの学びになるのではないかな、と思います。

考えたって何にもならないよって思う人もいるだろうし、そんなの現実的じゃないって思う人もいるでしょう。
でも、考えたり妄想したりするのって、別に誰の迷惑にもならないし、必ずしも現実化しなくてはいけないものでもないと思うんです。
目の前の利用者さんに対する具体策であれば、現実的なことを感がなくてはいけないだろうけど、ニュースとか記事をみて考えることは現実味のないことでも問題ないでしょうし。

ただ考えるという癖がついていると、いざというときにヒラメキが得られやすくなるかな、とは思います。
介護の世界って、どれだけAI化が進んだとしても、必ず人が関わらないといけない部分が大きくて、これからもずっとずっと人が支えていくと感じています。
だからこそ、AIに変われない部分を磨いていくことって大事だと思います。
それは、その人の心に寄り添うとか、そういう部分だと思うけど、支援っていう具体的なものを考えるときには、それまでにやってきたこと、考えたことがきっと生きてきて、ヒラメキにつながると思うんです。

そういうのは、専門職だから特別にやらないといけないっていうわけではなくて、日本中の、いや世界中の人がそういうことを少しだけでも考えてくれたら、きっと全世代が生きやすい世界になるのだろうと思っています。
実際に、地域の高齢者を支えているのは、介護サービスだけじゃなくて、近所の人やボランティア、お店の人といったインフォーマルな部分が大半ですし。

だから、ちょっとだけでいいので、こういうニュースや記事を見た時には、考えたり妄想してみたりしませんか?
自分が介護する立場だったり、介護される立場だったり、家族側だったり、と色んな立場になって考えてみるのも面白いですよ。

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