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「小2でダメ男の見極めつけたかえで思考」の原点について


すっごい賛否両論になりそうなテーマで申し訳ありません😂
基本的に私自身平和主義者なのであまりSNS上でも今まで否定形のものは発信しないでいましたが、最近のかえでは見解を説明することが多いので、すこしだけイレギュラーなネタも扱いながら今後も発信を続けていこうと考えています。もちろん慎重です🥹笑

受講した皆様からよく尋ねられるのが
「どうしたらそんなに伝えるのが上手くなるんですか?」「どうしたらかえでさんのようにポジティブになれるんですか??」この2つが実は講習のあれやこれやよりも極めて多いです。

今回はかえでルーツの原点でもある「ポジティブ」になっていた経験をひとつご紹介したいなと🫢

「かえで」というとポジティブの象徴とも捉えている方もいますが、もちろんそれは「講師」として当たり前なだけにその仮面を見せています。実際のところは「元ネガティブ」でいまは「アンミカくらいのポジティブ」さを兼ね備えております😎笑 今回のテーマで切っても切り離せないものが・・かえでの「母」の存在です。

かえでおばあちゃんネタはこちらからご覧頂けます🫶

今まで母について語ってきませんでしたが、今在るかえでがどのようにして育てられてきたか、それがいまの「かえで思考」を作る原点となったかをこれまでのエピソードをひとつも盛らずにお伝えします。
どうぞ最後まで笑い飛ばしてあげてください😂


~一緒にご飯を食べたり、一緒の布団で寝たり、コミュニケーションさえ一切なかった幼少期時代〜

実は小学校1年生の頃から全て記憶が残ってるんです。それだけ私自身毎日自分と闘っていたんですよね。母は幼い頃から「子どもよりも男の人優先」を生活の拠点に置いていたので、離婚してすぐ私は祖母の元で育てられました。形式としては一応母も同じ家にいましたが、衣食住を共にすることはなく、休憩のためのスペースとしてたまに帰ってくるくらいくらいの使い方をしていました。それ以外は毎日彼氏の家に入り浸り、別れたらしばらく実家で過ごすけど基本的な会話の流れはなく、疎外感しか感じない日々でした。いままで30人以上の「彼氏」を紹介してきたので会う度に「この人もお母さんをそのうち捨てるんだ」と異性に対して感覚が麻痺してきていたのもひとつの要因でもありました。

~初恋を機に「異性」への捉え方が変わった瞬間~

ですが転機となった小学校2年生の夏、私は人生で初めて「初恋」をしてしまいます!相手は5こも上のサッカー部の先輩!!✨️(後に初めての彼氏)その先輩から初めて異性としての「優しさ」「ちょっとした刺激」「女性への対応の仕方」を体感できたことで男性に対しての警戒心が薄れてきたのです。それ以来、「世の中の男性が全て悪ではなくて、お母さんを取り巻く男性がたまたま悪い人が多かったんだ。」という観点に気づき始めます。そこから事ある毎に母と彼氏の喧嘩に仲裁に入るようになり(小2で)明らかに彼氏側が理不尽だとわかり次第、泣いているお母さんに代わって叱咤していったことで幼いうちから男性と女性それぞれの弱者の存在や物事の観点が分かり始めていったのです。なんて恐ろしい小学生でしょう笑 たまたま初恋の人との出会いで「異性への接し方」はもちろん「異性特有の温もり」を知ったことを機にかえで自身「小2でダメ男の見極めが分かった」という推測です。

ちなみに母の過去のダメ男遍歴としては6股、不倫、浮気、マザコン、ヒモ男、借金、ヤクザ、子連れ、ギャンブラー、DVとこんなに見事ハズレくじを引く人っているの????ってくらい母はどんな人にも愛情を注ぎすぎてしまいます。とてもとても男の人に苦労してきた人生を過ごしているので、いわば反面教師ですね。

~小5で自分の無力さを痛感、だけど事態は突然奇跡の方向へ~

親の存在に目を瞑っても現実は逃げることができず、子どもながらに自分の無力さに虚しくなって、当時は当たり前の家族の風景を羨んだり、どうやったら男の人からお母さんを切り離せるか考えることもよくありました。小5でそんな毎日に嫌気がさし、1週間だけ学校をお休みして気持ちを無にさせた事もありました。まだまだ当時は親の問題を学校の先生に言える環境は整っていなく、先生が見てもうちの家庭は違和感はあったかと思いますがそれでも家庭内に口出しをしてはいけないみたいな暗黙のルールがあったので、誰にもこの悩みを打ち明けることはできませんでした。更に不幸なことにら人口1万人の小さな田舎町なので不登校の存在さえ許されず、それゆえ母のようなシングルマザーがかなり珍しかっただけに周りの友達の親世代からはいい風には見られていませんでした。
捌け口がなく、ただ「世間一般にある当たり前の小さな幸せを感じて生きていきたい」これが私の毎日の目標でした。

そしてついにその願いが叶う日が来るのです。小さな田舎町なのに姉妹校として外国の学校と提携し国際交流を目的に、希望者は自由にホームステイができるようになったのです。
自分がいる環境を1%でも変えることができる!当時の私にはこれとないチャンスでした。貯めてきたお年玉を使い、小学校5年生で初めて海外に滞在したのです。
そこで初めて人の家で生活することで安心感と温もり、丁寧な暮らしを体感し、家族でもない私を本当の家族のように大切に扱ってくれたり、日本とは違う文化があることに興味が出ました。帰国後は外国での暮らしや文化など生活様式にとても興味が沸き、中学時代も留学とホームステイを経験、大学生になり念願の長期滞在を実現しました。

18歳で実家を出て地元を離れましたが、かえでがずっと大事にしてきた「行動力」があってこそ過去の自分を受け入れ、いまのかえでに繋がっています。

~母との向き合い方を知り、自身も母になって初めて分かった親子の立ち位置~

何度も母とは衝突してきましたがそれでも一度も親子の縁を切ったことはありません。それは私が母を母としてではなく「ひとりの人間」として受け入れたからです。母というレッテルを消したことで期待も無くなりました。お母さんだからこうしてくれる、そういった感情はぜんぶ捨てたのです。なので初めての出産や育児も親の力を借りずにパートナーと二人三脚でやってきました。そうしたことで母自身も肩の荷がおり、大人になった今の方が2人で話せることが増えました。なんでも言い合える関係というのはお互いが親と子どもの立ち位置を消したからこそ、この関係性はいま互いの都合のいい状態で成立しています。実際に私は幼くして自立心が周りの友達に比べたら誰よりも早かった笑  でも甘えられない大人に育ったわけでなく、母を止められないけどどんな時も味方でいてくれる祖母の存在や私を取り巻く人達のおかげで独りっきりにならずに済みました。

自分自身が母親になったことで私も母のように変化していくのか不安になったりすることは一切ありません。
あまりいい表現ではないと思いますが…小さかった頃の私が母にこんなことをしてほしかった。こんな時一緒にいたかったという想いが娘と重なって見える時があるので、子育てしながらも自分の幻影を感じながら日々向き合っているからです。そして今まで沢山の異国の地を始め、日本各地に引越しをしてきたことで、初めて地元や実家の居心地の良さを知ることができたのもすべて「行動すること」を選んできたからです。

こんな家庭で育ったから。
こんな人達の周りにいたから。
こんな怖い目に遭ったから。
こんな友達とつるんでいたから。
自分を変えるのは大変そうだから。


悩みの要素は人それぞれです。
私も同じでした。でも結果としてその悔しさをバネに何十倍、何百倍にして跳ね返した方が毎日は楽しくなることを実感してきました。その分の数があればあるほど「なりたい自分」の第一歩に近づきます。私もまだまだその理想像に近づけていないので丁寧に確実に一歩ずつ進んでいくことを毎日行動しています。
一緒に挑戦していきましょう💪( ˙꒳​˙💪 )

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