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帰る場所など無い


2018_4 昼 北海道

島を出たと思ったら、また似たような都市構造のところに来た。立地が良いのは便利で好きだ。立地で選んでるってわけでもないんだけど…

木々の枝はまださみしいままだ。風が強い。砂が舞っていて、春のにおいはしない。冬の昼のにおい。

暖かさはあるのに、強風がそれを感じる暇すら与えてくれない。

ここにはらくれんの牛乳はないし、フジもマルナカもない。同じ方言はおろか、似た訛りの人すらいない。金木犀もない。外でインコを大量に買ってる人もいない。駐輪場にはロココなんて1台もとまってない。うどん屋もない。

瓦屋根の民家はないし、楠もない。あるものが違うだけでこんなに雰囲気が変わるものなのか。


2017_7 夜 四国

天気のいい夜。風に吹かれて揺れる薄緑の遮光カーテン

ひんやりした外気が、ほのかな煙のにおいと草のにおいが少しの湿気と共に部屋の中に流れ込んでくる

昼のいなくなった、夜のにおい


少し離れたところから聞こえてくるクマゼミの声と、近くにある赤十字に吸い込まれる救急車のサイレンが聞こえる

昼間は15時半を過ぎると隣の中学校から野球部の声が聞こえて、3階まで上がってくるはずもないのに砂のにおいがする、

夜は静かだ


近くのセブンにアイスを買いに行きたい。けど地味に遠いしめんどくさい


最寄りのセブンの近くには10時に閉まるスーパーがある。

ここにはお世話になった。この辺あんまりスーパーないし、バイト終わりの時間で帰り道に開いてるのはここだけだったから。ギリギリの経営でオーナーが変わりながらもニーズがあるがためにかろうじて営業しているお店だった。

外からみると何の変化もないように見えるが、「スーパー」は、私が入学してから卒業するまでの間に「目の前に元カレの住んでたマンションのあるスーパー」へと変わってしまった。


サークルの会議終わりに夜通し朝までしゃべって、カラオケオールの帰り道に朝ご飯を食べたなか卯はもうない

野外実習でクロスズメバチを採った神社の隣の空き地はいつのまにかコンクリに埋め立てられて情緒のかけらもなくなってしまった。神社の隣を通りすがっても、土のにおいがしない。


私だってひとのこと言えないけど、5年の間に変わってしまった。


あるものよりもないものばかりが目についてしまう。

時間は経ってしまった。きっと私が帰りたいのは純粋に住んでた場所や地元じゃなくて、私がいた時のあの場所なんだな。

故郷が存在していようが帰る場所なんて、もう地球のどこにもないんだよ。太平洋こえても島こえても変わんないよ。「あの場所」は無い。


こんなこと言ったって、いくらnoteで自分語りしたって、私のことをわかってくれる人がいるとはハナから思っていない。

だから友達がいなかった時のことも、誰かに甘えられない気持ちも、戻る場所がないっていう砂漠にとりのこされたような気持ちも、自分で自分を背負って生きてる感覚も、

全部私だけのものだ。


帰る場所はない。

術もないけど、文字に残すといったい何が変わるのか知りたいと思う。



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