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Art of Hosting Sapporo 2019

Art of Hosting ってなんなのって方はこちらの前回参加したときの過去記事を参照↓ さらなる詳細についてはggってね♡

Oちゃんに言われた「自分の手元に何もなくなるなんてことはない。出した分だけ別のものが入ってくる」が何度考えても納得する。確かに、ひたすら文字に出力し続けていた時期、すごい勢いでたくさんの考えが私の中に生まれていた。少しでもたくさんのモノを私の中に入れるために、今出しておきたい
後から後から、少しずつポロポロ出てくる。それすらも取りこぼさないように。取り急ぎ、何となく文章が固まってきたからnoteへ。


Art of Hosting Sapporo 2019 に参加しました。

長柄AoHと今回で違うのは、知っている人の数が多いかどうかだ。今回の方が知っている人が多いしローカル。だからこそ身の回りで直後から少しずつ、いろんなこと(考え・行動)がいろんなスケール(個人~コミュニティ)で変化していくと思う。

良くも悪くも自分の存在をおざなりにしていた気がする。
私は参加者だけど、それと同時に人を引っ張って連れてきた人間だと自分で少し思っている。だからこそ、AoHを通してどんなことを考えたかとか、もしも私に誰かを手伝えることがあるならやりたいと思う。
あの子はどんな顔してるかな。得るものあったかな。
責任を感じてしまった。感じる必要のない責任だと分かっていてもそれを感じてしまう。
正解不正解など無くて、起きる事だけが起きる世界だと言い聞かせる。全てが終わったあと、その人のペースでどう感じたかを一人一人ゆっくり聞けたらいいな。私の学びはそこからも始まる。
私はAoHに対して私なりに価値を見いだしていてそこで出会った人が好きだからこそ、他の人がどう感じたかを聞くのが「挑戦」だなと思っている。自分の世界を大事にしたいからこそ、他人の世界に触れるのは怖い。でもやってみたい。


日常的に会いすぎているから時々嫌気がさす。生理的に受け付けなくなって、むつごくて会いたくなくなる。私と似たひねくれを持っているけど、それ以上でもそれ以下でもない。1つのことに対して私と彼が全く同じように感じるかといえばそんなわけない。
本当に私は彼の話を聞きたいと思っているんだろうか そうじゃないのかも
目をかけたいとは思っている。でも私にできる事には限界があるし、「何をするか」ではなく「何に気付くか」でしか次に進めないところに、もう来てしまったように思う。
別にこの機会は私が提供したわけでもない。あなたが必要を感じないのならそれで終わりだ。あなたが現状に満足するならそれでいい。あなたが望んでそうなったなら、もう何も言うことはない。
なんだか、いつの間にか、期待をしてしまっていたな。

これからは相手のためではなく私のために相手を選ぼう。そうしたい。
できるだろうか、という不安はある。とはいえ「大丈夫、私はそのままの君が好きだよ」という言葉の無責任さよ。今までは誰かにエネルギーを渡すために外に繋がっていたパイプの接続を、ガチャンと切るような感じ。大きな音が怖いし、エネルギー供給の停止によって何が起こるか、何が起こらなくなるのかわからないから怖い。まだ背負いきれないし覚悟が足りない。
それと同時に、私にはとてもできないような、言葉を上手に使う人がうらやましくなる。これでも昔と比べて出せる言葉はかなり増えたんだけどなあ。他者と自分のバランスを取るのはいつだって大変。特に私にとっては。


私にとってAoHは「過ごし方」「出会い方」かもしれない


「過ごし方」
AoHのコンテンツとして何が話されるか、はあまり大事じゃない。というよりもっと大事なことが私の中で起こっている。
そこで行われる会話に参加することや空白で余計なことについて考える事、場にただいることに意味がある。自分を感じることがまだまだできていないから、これから感じる余白が大きすぎるから「つくる」ということに関わるのはまだ先になりそうだ。でも、それが自分でわかるくらいには変化している。というと自分の中で完結してる感出るけど、実際全然そうじゃない。周りの方をやきもきさせたり、迷惑をかけたと思う。見守ってくださってありがとうございます。

「出会い方」
前回と違って「日常」が多い中で行われたAoHだったからこそ、出た自分もあるし出せなかった自分もいる。


ほんとはもっとお兄さまお姉さま方に構ってもらいたかった。
でも日常の後輩を引っ張って連れてきた立場だったから先輩モードが抜けなかったり、邪魔しちゃダメだなっていう謎の気遣いが働いて全然お話しできなかった。話したいこと、聞いてほしいことが本当はもっとたくさんあったのに。心残りだ。
とある京都のお兄さま(まあまあお酒が入っていた)に今回どうだった、という話をした。
厳密には「どうだった?」と気にかけてくれた。すごくありがたいことだと思った。
元々私は愛想が悪いし上手に話せない。話がしたいけど沈黙は怖いし、何を話せばいいのかわからない。それでも私を気にかけてくれる人がいることがありがたい。それだけで目の前がぐるぐるする。嬉しい。もう少しだけ「嬉しい」を説明するなら、わーい、という感じ、純粋にうれしい。さわやかな青緑色でキラキラしている。

とあるお姉さまに、「『描く』を教えてくださってありがとうございます」って言えた。きっと教えてくれたのが彼女でなければ「きれい」で終わっていただろうな。映えるからという単純な理由ではやっているグラレコをもっと意義のあるものにするために、「やろうよ」と言ってくれる人と一緒に少しずつ、私にできることをしたい。幸いなことに、私が向きたい方向を一緒に向こうとしてくれている人は何人もいる。紙とペンとこの人たちと、一緒に何ができるかな。プレッシャーも少し感じるけど、どんな個人差が生まれるかも楽しみだ。
いつ私がいなくなってもいいように、新しいことを探しながら、誰かに譲りながら。

私は構ってもらいたかった。だけどそれが叶わなかったから今まで誰かを構ってきたんだろうな。


後日談。
とある参加者が振り返り投稿で「泣きたいときは自分の中ですげえ大事なことが起きてる時だから周りのこととか気にせず泣くのが良い」って言っていたのがすごく、腑に落ちた。普段から泣けるタイプじゃないけど、何かに対する捉え方がギュンって変わった気がする。

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