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困り干からびる

今、元カレと旅行に行っている妹が作った言葉だ。困り果てるを通りして干からびているらしい。移動中ずっと荒野行動とYoutubeみてる元カレに落ち度は確かにあるが、そもそも人選ミスを犯した妹も大概バカである。ちなみに、私は特に困り干からびるようなことは起きていない。


お盆は飛行機が高いからという理由で帰省していない。ドームで行われた、市主催の環境イベントでバイトしていた。ちびっこ向けブースのお手伝いをひたすらしていた。
家族連れから企業まで幅広い層を対象にしていて、「環境」と名がついているくらいだから私が札幌来てからお世話になった方がかなり来場(あるいは運営、出展)していた。お昼休みや終了後に見覚えのある人たちとたくさんすれ違って挨拶できた。
そのうち何人かの方とは終わった後に打ち上げをした。というか、流れで参加させてもらえた。こんなに大人がいて、普段見ている世界が違う社会人たちが社会の持続可能性について語っている。かっこいいし、頼もしい。こういう人たちがいるからこそ、私もこの地でできることをやりたいという気持ちになる。
最近は企画ミーティングを通したアウトプットばかりだったので、忘れていた。企画単位で物事見て成功失敗ってとらえることは大事だけど、もっとマクロな視点でみたら数人の大学生が作るものなんて大したことない。それに学生が集まってシコシコ作るのと同じくらい世代間交流も大事だ。じゃないと自分が社会の中にいるということを忘れて視野が狭くなる。若者支援をしている人だけじゃなくて、いろんな人と関わってたくさんの話を聞かないとわからなくなる。

この地にきてすぐの時は社会人の方と話す機会が多かったが、最近はもっぱら学生が多い。もちろん学生にだって多様性はあるから、やっててこちらのマインドが凝り固まることはないが、社会人の方と話すと知らない事実を教えてもらえることが多いので純粋に勉強になる。
学生と企画をしようとすると、場に社会人がいないからこそ外からの見え方に敏感になってしまい必要以上に心配をするという事態も起きている。もっと「気楽になり」たいけど、そのルートで私を安心させてくれるのは確実に学生との会議ではなく違う世代立場の方々との交流なんだろうな。「遊ぶ」という感覚が時間と共に少しずつズレていたんだ。実際、質問力や柔軟性のキレが失われているような気がする。
どれもはっきりと言い切れないが、何となくそんな気がする。

大好きな人や楽しい大人がたくさんいて、久しぶりの良い時間だった。
まさかこのタイミングで再会するとは思っていなかった方にも会えた。
「まさにSDGsがつないでくれた縁ですね~」

同じ目的に向かって動いている人たちは、しかるべきタイミングで出会うのだなあということを再確認した。


もらった元気はあっという間に創造性と行動力に昇華された。面白いことやりたい。

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