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住み込みバイトを断った話、最終話

続きです。これでようやく完結。

19時くらいに、ライブハウス兼スタジオで、
「働いたって言えるかわかんないけど、働いたあとの飯はうまいな!!」
と半ば本音で、半ば半キレ半ベソで、マネージャーと二人で、uberで頼んだカレーをいただきました。

お金をもらってないから、の意味と、ベッドメイクが下手くそで悪かったね!!という思いから私なりに皮肉を言ったつもりでした。
たぶん全く伝わってませんでしたが…



改めて見ると、サイズ感も程よくて、ラジオ機能もついてて、ほんとにいいライブハウスなんです。
マネージャーは、せっかくだからと私がここに来たきっかけのツイートにあったライブ映像を見せてくれました。
ライブ映像はとてもよかったものの…


マネージャーは今までになく機嫌がよさそう。
どうする。
息が詰まる。
それでも言わなきゃ。
もうここには来られない。
そう覚悟しながら、

改めて
歌や文章が書きたいこと、
厚労省のこと
今の生活のこと
リゾバに行きたいこと
関西に家が欲しいこと
丁寧に話しました。

そして、核心に触れること。

「生活保護についてどう思いますか?」
そう聞きました。

今までにこやかだったマネージャーの顔色が明らかに変わりました。

「住み込みのバイトしながら文筆家になった人の話はけっこうありがちでよく聞く。だけど、生活保護ですか…?

自分も昔は生活保護とかギリギリの人も泊めてた。だけどね、そういう、トイレも自分で行けない、今にも死にそうで臭そうな人と、今日見たでしょ、ああいう若い外国人旅行者と同じところに泊めるのは自分は違うと思う。
そういう人は、そういう生活をすればいい。そっちはそっちでやってね、と思う。悪いとは思わない。でも、それだけ。なんて言うんだろう…」

「興味ないですか。」


「そう、それ、興味が無い。
私も含め狭く深い世界で生きていますから。
音楽と一緒ですよ。好きなジャンルの音楽は聞くし、ライブをするお客さんの音楽は聞く。でもそれはお客さんだから(笑)それが好きなわけじゃない。そういう世界はあっていいけど、うん、そっちで、頑張ってね!(笑)さよなら!みたいな」



おお、出てきた出てきたぞ本音が。

好き、嫌いよりも「興味がない」が一番どうでもいいこと、私はよく知ってる。
悲しいけどやっぱりそうだ
聞き出せたぞ。
私は、生活保護を利用するくらいの人についてどう思うかを聞いただけなのに、やっと本性見せてきたな。やっと少し本音で話せる。

「私はただ生活保護を受ける人についてどう思うか聞いただけです。ハリーポッターの作者のJKローリングさんの話を知っていますか?彼女は生活保護を受けながら、ハリーポッターの話を書いたんです。これは素敵な話だと思う。生活保護って、本来そういうものだと思う。」

「(半笑い)いったいどれくらいの人がそうなれると思う?何千万人いて、一人いるかどうかでしょ。そんなシンデレラストーリーを夢見てるなら夢見てればいい。でも考えてみて。年齢的にどう?それが叶う人がいったい何人いる?リゾバ行くくらいの年齢だって、普通に10代後半、20代前半が大半だと思う。そっち(生活保護)に行くか、こっち(自分を手伝って事業を始めるか)、今が決める瀬戸際だと思う。もしM子(その時もらったあだ名)がそっちに行くなら別に止めない。どうぞ、頑張ってね。でも、それだけ。だからどうするかですよ」

なれるかなれないかじゃない。
確かに素敵な話だから、そうなれればいいが、私は今、本来そういう制度だという話をしている。
話聞いてんのか?


だからどうするかですよじゃないだろ。
言おうとした時言わせてくれなかったじゃない。
結局自分の話を長々として、結局聞いてなくて、こんなにサイン出しててもわかんないもんなんだな。
やっぱり伝わるように言わなかった私も悪かったな。


ああ、それも言われたことあるわ。
私との距離感わかんないフォロワーさんが言ってたな。
年齢的に今が決める時だと。
でも、したいことじゃないのに、ここで働く意味ある?ベッドメイクやる意味ある?
リゾバとは違うよ?お給料もないんだよ?
それで経費で払う、あとで私が会社作ればいい。
いや、誰がそこまで言った?
そんな怪しいことに身を任せられると思う?
あんまりバカにしないでくれる?

リゾバの現状わかってない?
今若い子だけの仕事じゃないんだよ?

ふつふつと、内側から抑圧されていた自分の声が聞こえてきました。


確かに、大人として年齢を気にしないといけない場面は沢山あるよ。
でも、私みたいに年齢にそぐわない成長をしてきた人間は、年齢を気にする人と一緒にいられるわけない。
私は年齢で区別したくないしできない。
大人にならないといけないところはあるけど、子どもの純粋さはずっと持っていたいと強く願っている。




いろんな思いがやっと、溢れてきました。
そしてどもりながらも、口にも出せてきました。

「生活保護って、ずっと受けるんじゃなくて、本当に困った時にだけ制度に頼るものだと思う。今は残念だけど私そこまで来てるんです。そういう人と一緒に働けますか?(そういう状況で、タダ働きさせようとしてるんですか?)それを聞きたかった。」

「制度がある。制度に頼って、そこから頑張れる人が何人いますか?人間なんて、頑張らなくていいなら頑張らないでしょう。働かなくていいなら働かない、そうでしょう。そんなもんです」

これはグサリときました。
私もそうだ。私のことだ。
障害基礎年金と、彼氏のヒモでいいんだ、もうそんなもんだこれでいいんだ、と確かに諦めてきた。
人間、働かなくてよくなれば働かなくなってしまう。
でも
もうそれじゃイヤなんだ。私はそんなんじゃ満足しない。やりたいことがいっぱいあったから、彼氏の家に行った。でも、できる環境じゃなかった。
やりたいことは変わらない。お金も稼ぎたいし友達も欲しい。何年経っても、文章書きたい、歌いたい、踊りたい。やりたいことやりたい。

「ホントはアイドルになりたかった」
「筑波大に入って、アイドルやりながら新聞記者になるのが夢だったけど、いろんな人に潰されたからなれなかった」

口から出たのはそんな言葉でした。
聞いてる側からしたら、支離滅裂だったと思います。

マネージャーは「……アイドルになりたかったの…?」と呆れた顔をしていました。
こいつダメだ、の顔でした。

なんでこのタイミングで出てきたのか私にもわかりません。
でもこれは、10年以上誰にも言えなかった、本音でした。
言葉がまとまらなかったけど、この2日で1番、声が出ました。

もう全然、噛み合ってないことがお互いにわかりました。
カレーが冷めていく。

この時間がとても重たく感じました。


私はこの刺青バリバリの人のバックがどんだけ怖いか知らないし、いくら請求されるかわからないけど、覚悟を決めよう。
もうこれは断るしかないと思って、

「いくら払えばいいですか?」

と渾身の力を振り絞って言いました。

すると、マネージャーは

「何それ!!あなたお金ないでしょ!!」と大爆笑。



私たちは2日間、ここまで24時間くらい話し込んでましたし、
昨夜、タダで泊まらせてもらうわけにはいかないと思ったから、せめてと思ってレビューを書いたんです、と言ってそれだけ渡そうとしました。
「住み心地を教えてね」と言われていたから。

でも、「こっちのデザインはこの価格でこのクオリティと、完成しているから」(そんなもんいらない)
とピシャリ。
おまえのそんな紙切れなんていらねえよ、というふうに言われたように思えて、見てももらえませんでした。


そして、「そうしたいならそうすればいい。合わないことを無理してやることはない。でもこっちはそんなに時間がないです」と突然言って、「何分で出れる?」と。

それから、追い立てられるように1分1秒でも早く、と3階ぶんの階段を駆け上がり、5分も経たないうちに泊まってた部屋を片付け、ぐちゃぐちゃに荷物を積み込まされ、
「じゃあ頑張ってね」と去り際に言われ「お世話になりました」と告げ、ホステルを後にしました。

あんーなにまったり話をする人が、な、何という手のひら返し。
「この人はこの人の軸でしか考えられねえんだな」
最後、そう思いました。


時間は20時頃。
帰り道。
新宿駅までの反省会が続きます。



またこうなった。
筑波大出た時もそうだったな。
結局私じゃなくて、厚労省出たやつを引き入れたらおもしれえんじゃねえかな、と思われただけか。そうも思いました。

そもそも、いつ私が医療大麻に興味があるなんて言ったんだろう。
理解があると言ってしまったのが悪かったなぁと思います。
チェコ留学中も大麻でラリってる日本人既婚者に引っかかって、散々な目にあった留学だったから、「そういうものがあると理解はしている」という解釈で理解していました。
そういうものでないと自我が保てない人も、そういう病気があることも。そういうものでしか癒せない部分もあると思います。
理解しようとしました。
でも、もうこれは、生理的に無理だった。

大麻が医療大麻だろうと、大嫌いです。
マネージャーも難病を抱えてる(もうここまで来れば、どなたかわかる方も沢山いるかもしれませんが)からこそ、そういった人のために医療大麻を日本でやりたいと思ってるんでしょう。
難病。とてもよくわかります。
でも、私はそもそも大麻が大嫌いです。
たぶんこの国の政治は医療大麻というものは受け付けないと思いますし、それは今後も変わらないと思います。
変わったところで、私は反対の立場に立つと思います。
その時点で、3日と持たなかったな、と気づけてよかったです。


反芻が続きました。

人には人の狭く深い世界があるんだ、とも言われました。
私は広く浅くいろんなものを知りたいと思っていたけど、今回確かに、そうなのかもしれない。それは無理なのかもしれないと思いました。

興味ないことは入ってこない。
だからそこまで知らなくていい。
大麻とか興味ない。
無理しなくていい。

私は狭く深くが苦手だけれど、普通のひとは狭く深い世界で生きていきたいんだと。
もしかしたら、自分は狭く深い世界を作るのが怖いだけなんじゃないか、これまで作ってこなかっただけなんじゃないかと。
その程度の人間だから。
今までできてこなかったんだから、これからもできないんだろう。
人とはこんなに違うんだ。
震えそうになりました。


でも、マネージャーから言われてよかったこともありました。

今の生活は「生きがいロス」みたいなものなんじゃないかと言われました。

何が好きで、何が嫌いで、何が大事なのか、大事にしてきたのか
わからなくなっていると。
彼氏との同棲という依存生活で、大事なものから捨てて、好きでもない人と一緒に過ごして、話が通じないから声を小さくして。
働いてないから、厚労省に勤めても、一番下っ端だから、隣の人と10個も年が離れてるのにできることは半分以下だから、人と比べて給料が安いから、「こんな人間に生きがいなんてあってはいけない」と毎日自分を呪い、殺し続けてきたから、今の自分になった。


なんて呼ばれたい?と聞かれても本名も、少し前まで気に入っていたこのあだ名の楓も、「…ぜんぶ嫌です…」としか言えなかった。
あなたに呼ばれる名はない、と半分思っていたのもありますが。
自分の名前もどうでもよかった。責任が持てなかったから。楓以外のどのあだ名も、嫌いだったから。

今だけじゃない。過去から繋がってきたこと。
過去のコンプレックスと絶望で勝手に卑屈になって、この世界を作り上げてきたんだなと、いらないものが詰まった重たいキャリーケースを引きずり続けました。



「今の生活というのは、飲んでいる薬のせいもあるけど、病気になったこの5年間を作った自分の前の自分の生活が招いた結果である」そうも言われたな。

その通りだなと思いました。

「私はこうしたいのに、世間が、周りがこうしろと言っているように思えた。
だからそっちに行ったけど、やっぱり違った」
中学生くらいでしょうか、人生がおかしくなってからの思考回路はずっとそうです。

責任を取りたくないから。
ハンドルは常に人に預けてしまってきた。

「周りがそうさせたんだ、私はこっちを選びたくなんかなかった」
ああ、私ずっとこうだったんだ。
それでも最後、結局それを選んだのは自分だったのに
決めること、責任を取ることから逃げてきていたんだ。



「抑圧されているのは伝わってくるから」と、今の状況を見て、身を寄せてもいいよ。友だちになるよ。そう言ってくれたマネージャーの優しさも感じました。
せっかく出来た友達なのに、失いたくはなかった。


とぼとぼ歩く足取りは小さくて、
まだ駅までの道は続きます。

それから、何を言われても、「いや、でもさーっ」て言うの大事だなと思いました。
「まず否定から入る人は嫌われる」とか、コミュニケーションの本にも沢山書いてあるし、
「否定から入らないようにしましょう」と精神科のデイケアでも中途半端に習っていました。
いや、そうじゃねえよ。
逆に、否定ができない私はまず否定する勇気を持てと思いました。
中身がネガティブだから否定しちゃいけないとか思ってるんでしょ。
どっから引っ張った安い情報よ。
嫌われないでどうすんのよ。
私は精神病だから。頭がおかしいから。
今までそれで沢山の人が離れて行ったから。
相手がすべて正しいんだ、相手の会話がすべて正しいんだ。とすぐハンドルを渡してきましたが、いやそうじゃねえよと。
怖くても嫌われても下手くそでも「いや、でもさ」ってちゃんと言わないと、どうでもいい人になると思いました。



相手に合わせすぎないこと。
発達障害だから自分は間違ってるなんてそんなことないんです。
間違ってもいいから、バカだなと思われてもいいから、まとまらなくても意見を言わないとダメだ。


自分の特性として、やりたいことも大事。出来ること伸ばすのも大事。



失敗を何とか成功と言うために
何かを変えるのはものすごくエネルギーがいります。

マネージャーが最後に言った「やりたくないことを無理強いはしない」
「時間を無駄にはできない」
その言葉を反芻しながら、
今回はただ合わなかっただけ。と、だんだん自分が求めていたことがクリアになってきました。

自分のイメージするリゾバは、地方でおいしい空気を吸って、大好きな温泉に浸かりながら、仕事として苦手でもベッドメイクや接客を覚えて、夜は歌とかダンス、文章を書いたり、自由に過ごしたい。もし友達ができたら嬉しい。

ベッドメイクは時給1200円以上を稼ぐための選択した手段であって、ベッドメイクするのが生きる目的じゃない。
その行動と時間が賃金に変わるだけで、それがしたいわけでもないのに、お金が稼げるわけじゃない、世界で1番汚い都市の新宿で、
もうむしろ、最初から全然ここじゃないと気づいてたのにようまあここまで耐えたなと思いました。笑

私はなんか断れる雰囲気でもないし、こんなに行動に出してもやりたくないって伝わらないし、タダ働きでも体を動かせるなら、ベッドメイクってどんだけキツイのか勉強できればよかったから、たとえ1晩の宿泊代を払っても、社長のカバン持ちできるんだと思って、黙ってついて行ってました。

その時たまたま時間があったのもあります。

何より、合わない人に合わせる時間がないんだったら、すべて自分のペースでやらないで欲しかったし、マネージャー、少しは人の話を聞け(笑)と思いました。

時間を無駄にはできないってなんだよ。
ちんたら説明して、ちんたら話をして、ぜんぶ自分のペースだったのに、最後本音を言ったら手のひら返しやがって。


まぁ私にとっては、とっても勉強になる2日間でした。もうほんと、2日でおなかいっぱい。

やっぱりなぁ、人と何かするの苦手だなぁ。
小さく自分で事業したほうが向いてるかもしれないな。
意味わからないレベルで人に気を遣いすぎてる。
でも何かするスキルも今はない。
だから今年はリゾバ行きながら発信スキルを身につけよう。仕事になるスキル、何かひとつはある。それをやろう
そう思っていたので、やろうとしてること間違ってないよ。今回はたまたま暇だったから間違えただけ。そうだんだん思えてきました。


それから、マネージャーに言われたことで1番キツかったこと。
「Twitterで、熱い思いがある人を募集してる」って言ってたから来た、と言ったら

「思いとか(笑)どうでもいいんですよ(笑)
一緒にできるかどうかだから  
世の中結構シビアですよ
そんなに時間もお金も使えない」
とパシッと言われました。

でも結局、それも思いなんじゃないと思います。
合わない人の思いなんてどうでもいい。
合う人の思いなら、そんなこと言わないでしょう。

でも、私の場合は思いを伝えるって大事だなぁと思いました。ていうか、それしか自分にはできません。
この人の言う思いと、私の想像していた思いは全然違っただけのこと。

私の思いっていうのは、バカみたいに情熱しかなくて、打算ができません。
でもそれと、経営者側の思いは全然違いますよね。 
子供みたいな情熱の思いがあってもいい。
でもそれじゃ、世の中でやっていけないと思いました。
みんなもっと打算的で、数字にシビアだから。

でも私は、そういう理性で考えられないバカさが自分のよさで才能だと思うんです。
相当バカなんだと思います。
でも、そういう打算、賢さは外注してでも、人に相談して頼ってでも、社会で生きるためには必要なのだと思いました。



とても長くなりましたがまとめると、
失敗しに行ったから今回は自分にとって大成功だと思いました。

間違えるのが怖いから間違えないように小さく小さくなっていた。
でも間違えたと気付いて、それを伝えて、修正した。  
口から出たのは違う言葉だったけど、ここじゃないと言えた。

失敗したと認めずに今までの何十年みたいに逃げてもよかったのに、逃げなかった。
ちゃんと断った。
無理な関係を、自分からちゃんと終わらせた。  

まあここのホステルも、私の前何人か飛んだらしいんですけど…向き合うことから逃げなかった。

思いは全然通じなかったけど
思いなんていらん、っていうのも大事だと思うけれど
やっぱり私には思いしかないんだよと確信できたのもよかったです。

ただ、勝ちパターンを考えてくとか
自分のやりやすいシステムやデザインを作って回せるようにする、そして利益を出す。
そういう理性的な経営者目線はほんとに勉強になったので
何かでまた縁があっても、なくても…
いつかあのステージに出れるくらい歌えるようになったら…そう思いました。

読んでないと思うけど、愛のある悪口のつもりです!マネージャー!貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました!
条件変えないと住み込みの人見つからないと思うけど、見つかるといいですね!ぴーす!



そんなことを思いながら、やっと新宿駅に着きました。
新宿駅、新しくなってからほとんど来たことなかったけど、路上ライブをしている人が何組か。
そのなかで、一際目立つ男性アーティストがいました。

「歌、うまいなぁ…」
温かい歌声を聞いているうちに、やっぱりこっち側がいいな、ライブハウスの裏方じゃなくて。
搾取されても、ライブハウスのステージ代1時間1万円でも、アーティスト側に立ちたいな、歌、歌ってないなぁ、今は絶対行きたくないけど、やっぱり舞台に立つ方で、いつかあそこに行けたらいいなぁ…
「悔しいなぁ…」
やっと涙が溢れてきました。

気づいたら、可愛らしい女の子に「歌、うまいですよね」とその方の名刺を渡されました。
ファンの方ですかと聞いたら、そうです、と言い、
「これはマネージャーが作ったんですけど、ファンがこうやって配ってるんです。」と言っていました。


まずはやる。
声を出す。
それからなんだと思いました。
そうしたら、こうやって、できる範囲で応援してくれる人が生まれるかもしれない。
こんな輪が、できるのかもしれない。
そう励まされたような気がしました。



「あ、無事に帰ったらカラオケ行って流そう」

久しぶりにAquatimezが歌いたい。
バカにする人はすればいい。
やっぱり私はとにかく、Aquatimezしか聴かないのだ。
この歌を路上ライブでやりたかったから越谷に来たんだ。

感謝を告げて、新宿駅を後にし、22時を過ぎた越谷のカラオケ店で、2年振りくらいに歌を歌いました。

彼氏との同棲するなかで、「そんなださい音楽聴いてないで」とある時言われてから、自分の音楽を流せなくなっていた。
ずっと我慢してた。
ほんとに、その言葉を聞いた時に耳を疑った。
その人を疑った。
でも、その人に依存するしかなかった。
生活のために自分の大事なものを、捨てた。


何年ぶりの自分の唄声。
声はまるで枯れていて、音も伸びなくて、歌詞は忘れていて、泣きながら歌ったけど、ねえやっぱり、私は歌がやりたいんだ。そう思いました。

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