てめぇのための命じゃねぇよ2024

岡真里というアラブ文学の専門家が書いた『記憶/物語』という本がある。

2024年の正月に提出する修士論文を書いていて、その追い込み中であったのだが、気晴らしのつもりで2023年の年末に手にとってしまって、もう止められなくなってしまった。

その力強さと理論の崇高さに、立ち尽くすしかなかった。

記憶がーーあるいは記憶に媒介された<出来事>がーー「私」の意思とは無関係に、わたしにやって来る。
(…)
言いかえれば、「記憶」とは時に、わたしには制御不可能な、わたしの意思とは無関係に、わたしの身に襲いかかってくるものでもあるということだ。そして、出来事は記憶のなかでいまも、生々しい現在を生きている。とすれば記憶の回帰とは、根源的な暴力性を秘めているということになる。

岡真里,2000,『記憶/物語』岩波書店,p5

誰にでも、忘れられない記憶があると思う。
嬉しいものかもしれないし、悲しいものかもしれない。
もしかしたら、とても恥ずかしいものかもしれない。

思い出したくないことほど、どうしても忘れられずに、ずっと瞼の奥の奥の方深くに、残っていることがある。
寝る前や、歯を磨いている時、ふと思い出してしまって、私は、その唐突さに、たじろぐ。
この引用は、その「暴力性」を、本当によく表現していると思う。

記憶として存在しているものが、いかに他者に共有されうるのか。
筆者はこの問いを考える上で、「物語」の権力性を炙り出す。

筆者が念頭におく「物語」は、主に西洋における小説的な語りである。
このような物語は、その記憶の部外者が、記憶を理解するためにも利用されている。

その言葉を読めば、わかる。
真似れば、語ることができる。
あの時の、あの匂いを、あの感情を、再現することができる。
物語には、このような「再現性」への絶対的な自信がある。

筆者は、この物語の再現性を批判する。
私たちは結局、他人の記憶について、わかった「つもり」になっているのではないか。

どれだけリアルな戦争映画でも、ドキュメンタリーでも、マスメディアの報道でも、その中からこぼれ落ちてしまう何かがあるのではないか。
きっとそれは、記憶の当事者にだってさえ、「言葉にはできない」ほどの何かなのではないか。

なぜなら記憶は、その記憶がふと私たちの前に現れる時、私たちの「現在」の全てを、一瞬でも止めてしまうほどの力があるのだから。
記憶は、記憶を「過去」のものとして追いやろうとする私たちを、後ろから思い切り引っ張る。

そして、その出来事の最中に、抵抗しようとする私たちを引きずり込む。

<出来事>が言葉で再現されるなら、必ずや、再現された現実の外部にこぼれ落ちる<出来事>の余剰があること、<出来事>とはつねにそのような、ある過剰さをはらみもっており、その過剰さこそが<出来事>を<出来事>たらしめている、ということではなかっただろうか。そして、<出来事>の暴力を現在形で生きる者たちは、そうであるがゆえに、それについて語る言葉をもちえなかったのではなかっただろうか。

p76

ここ二年間くらい、怒りと、悲しみと、そしてその後の、感情のない深い絶望の、振り子の上で生きている。

やっとその出来事から、立ち上がろうとする時。
もう私は大丈夫だと、誰かに、その話をする時。
自分の愚かさに、驚いてしまうことがある。
なぜなら、私はあっという間に、その記憶の最中に放り込まれてしまうから。

あの時の、いろんな感情、悲しみ、怒り、悔しさ、絶望。
全てがやってくる。

まるで私だけ、二年前に、取り残されているような気分になる。
突然のことに、呆然としてしまう。

優しい友人たちは、私を助け出そうとしてくれる。

大丈夫だよ、みんなこっちにいるから。
長い人生だから、きっとそんなこともあるよ。
今「思い込んでしまっている」だけだよ。大丈夫。

でも、進めない。
水面にあがろうと、もがけばもがくほど、どんどん沈んでいく。

カウンセリングを受けていて驚いたのは、自分の「物語り」の揺らぎである。

人に、何かを伝えるのが好きだから、苦しかったことも楽しかったことも、恥ずかしかったことも、全部「話のネタ」として消化させてきた。

でもこれだけは、どうしても、自分の中で明確なストーリーが決まらない。
あるいは、ある時は、起承転結がピタッとハマった喜劇であるのに、ふと時間を置くと、突然悲劇に変わる。
そして私は、「苦しさから立ち上がった粘り強い」人間から、「過去に囚われたみすぼらしい」人間となる。

この苦しさを、どうすればいいんだろう。
楽になろうと、この苦しみを誰かに肩代わりしてもらおうと、伝えようとすればするほど、その過去と、現在との差に唖然とする。

私が今こうして、言語化を試みようとしても、結局何を伝えたいのか、わからなくなってしまう。

この本は、いくつかの文化的資料、ハリウッド映画「プライベート・ライアン」(監督:スティーブンスピルバーグ)や、日本映画「ワンダフルライフ」(監督:是枝裕和)などを例に挙げながら、その物語の描写における出来事の「再現性」に疑問を唱える。

戦争とは、死ぬこととは、本当にそのようなことなのか。
「無意味な死」などないと、私たちが、安心したいだけなのではないか。
結局、私たちが「言語化できる=消化できる」範囲における、私たちが「欲する」物語を、投影させているだけではないのか。

その例として後半に取り上げられるのは、ある新聞記事である。
この記事では、阪神大震災で息子を亡くしたある女性が特集されている。
彼女は、帰省中に家事を手伝ってくれた息子が、絞った雑巾を、乾いて棒のようになったその雑巾を、形見として大切に残している。また彼女は、息子と生前に交わした約束を守り、海に散骨を行う。

記事は、このように結ばれている。

「海と雑巾。凪ぐ日も、荒れる日も、息子とどこかでつながっている」

筆者は、この結びに、鋭い考察を加える。

そこにあるのは<出来事>を物語として領有したいという欲望である。
(…)
海に、雑巾に、日々実感する母。物上がりは終わり、読者は理解し、感動する。そこには、読む者を不安に陥れたり脅かすものは何もない。なぜなら、すべては理解可能なのだから。想像を絶すると思われていた<出来事>も、その途方もない暴力の巨大さゆえに考えるのを避けていた<出来事>が、今ではもう、私たちの記憶のなかに、その安定した居場所を見つけることができるのだから。
(…)
あの真っ暗な穴の奥底にうごめく<出来事>の記憶が、その壁を捩りのぼって物語を突き破り、暴力に浸潤されたその記憶を滴らせながら私たちに迫ってくることはない。それは、封印なのだ。物語にぽっかりと開いたあの開口部、語り得ない<出来事>の余剰へと通じるあの穴ーー黄泉への道筋ーーを永遠に塞いでしまう封印。

p84

私は、この部分を読んで、今まさに、時を同じくして起こってしまった大災害のことを、地球のはるか向こう側で、何ヶ月も続く虐殺のことを、戦争のことを、思わずにはいられなかった。

私たちは、このような出来事を、その記憶を、いかに共有できるのか。
共有しようと、共有「できる」と思うことそのものの暴力性を、深く自覚しながら、それでも、その記憶を、いかに「他者」として、引き継ぐことができるのか。

この問いに、筆者は筆者なりの「答え」を出している。
それは、ぜひ本書を参照していただきたい。

私は、この問いについて考えを巡らせながら、同時にあることを思った。
私は、人が求める「私の物語」を、どこかでなぞろうとしていたのではないか。

元気で、賢くて、愛嬌がある(と、とりあえず自負していた)「私」が、全て崩れ去って、感情を失いながら、壁を見つめながら過ごしたあの数ヶ月間を、「乗り越えられるほど強い私」に、なりたかっただけなのではないか。

結局、苦しみは、終わらない。
終わらないという「完結」を、この物語に与えなければならない。

思い出すたびに、その傷は、浅くなるかもしれない。
その出来事よりも、もっと凄まじい出来事が私を襲って、記憶は塗り替えられるかもしれない。
それでも、やはりこの一連の出来事が、私に残したものは、とてつもなく大きい。

私は、この物語を、現在の、こんなちっぽけな私が持っている言葉などでは、形容してはならないのだと思う。

そして、この私の出来事を、この記憶を、決して、「他人の」物語にしてはならない。
他人に、この物語を語らせてはならない。

最近怒ることが増えた。
双極性障害と診断を受けて、躁のタイミングに入ったことは理解できる。
でもこの怒りのトリガーに、この本を読むまで、気づくことができなかった。

それは、誰かに知ったような口で、私の出来事を形容される時だ。
「よくあることだよね」などと。

よくあることだと思う、実際。
でも、てめぇみたいなもんの「よくある」ことに、私は自分の物語を、決してカウントされたくない。

誰かの出来事を、しかも明らかに、その出来事に何らかのトラウマが隠れているような出来事を、わかったように、まとめる。
こういう言説に、出会うたびに、私はその人を、本当に本当に、殴りたくなってしまう。

この形容できない「苦しみ」そのものを、記憶の暴力そのものを、その人に、いかに感じてもらうことができるのか、黙りながらずっと考える。

こんな人になってはならないと、本当に思う。
そして、今まで私自身も、いろいろな人を傷つけてしまったなと、申し訳なくなる。

自らの言葉で、その記憶を語ることができない人。
言葉を、持ち得ない人。
そして語ろうとすればするほど、その記憶の片鱗が、ぽろぽろとこぼれ落ちてしまう人。

秩序だった階層を持つこの社会構造の中では、歴史的に、さまざまな「弱者」がこの経験をしやすい。

私が今できること。
マジョリティに受け入れられている物語に、常に疑ってかかること。
物語に、選ばれたもの、こぼれ落ちたものは何か、そしてその選択の基準は何かを、考え続けること。

そして、語ろうとするその人を、私なんかには到底その全ての理解ができないことを自覚しながらも、五感を使って感じること。
私の辞書を、決して使わないこと。

そして、わかった「つもり」で、寄り添うふりをしている抑圧構造に、その構造を支えているあらゆる権力に、中指を突き立てること。
その構造の崩壊まで、責任を持って抵抗し続けること。

(怒りに震えすぎて随分とマイルドになってしまった)修士論文を書き終えた2024年の1月に、このようなことを思った。


【さいごに】
令和6年能登半島地震にて被災された方々、ウクライナへの軍事侵攻、パレスチナにおける虐殺また紛争において、被害に遭われた全ての方々に、お見舞いを申し上げます。
そして、明日を生きようとする方々の、その明日が、少しでも希望となるように、祈り続けます。

また、人々の未来を奪い続ける政治と、その分断を生んだ罪深い歴史に、断固反対します。
私は、その上であぐらをかく権力者たちを、決して許しません。


【石川県による義援金受け付け】


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