大きくなったら

将来の夢

小学生の頃「大きくなったら」何になりたいかについての作文をよく書かされた覚えがある。そんな時私はいつも困っていた。特になりたいもののない子供だったからだ。夢も目標もない。よく言えば「今を生きる」。実際は、ぐうたらでその時まかせ。毎日をなんとなく流れに任せて過ごしていた。

そんな甲斐性もない子供だった割には、一丁前に人に褒められたいとかいう見栄はあったもだから、取り敢えずその場凌ぎに周りに座る級友が書き出した文章を覗き見し、書きやすそうな職業を見つけるとその職業を自分のなりたい職業としてしまっていた。テレビは家庭に一台、コンピューターともゲーム機とも無縁で読書量の多い生活を送っていたおかげで、当時の私は同年代の中では比較的文章力が強く、実際には全く関心のない職業を挙げたとしても、それなりに「憧れの職業」に仕立て、書き上げる事が出来ていた。その為担任からはよく書けている、夢に向かって頑張れと花丸まで頂いていたものだが、当の私自身は単に作文の課題を指定時間内にこなすことしか関心がなく、将来に真剣に向き合ってはいなかった。

誤魔化し続ける進路選択

のらりくらりと過ごすうち、いつしか義務教育期間も後半に入り進路について考える時期に達する。そうは言っても自分の将来について何の進路性も見出せていない私は、取り敢えず進学校へ行くことで進路選択を遅らせることを思いつく。成績的には普通よりも少し良い程度、全国統一模試の結果によれば希望する進学校の合格点には至らないことから、担任の反対を受けてしまう。ところが若者にはありがちな事だが、反対されるとなると俄然やる気が起きてしまう。未だ嘗てないほどに学習量を増やしてみたところ、幸か不幸か合格してしまうのであった。

通い始めた進学校は、ごく当然のことではあるが、周りの皆さんの出来がすこぶる良い。すっかり落ちこぼれた私だが、その現状に焦ることがないどころか、学校から禁止されていたアルバイトに勤しみ、稼いだお金でロックバンドの演奏を聴きにライブハウスへ通うことに高校生活を費してしまう。そうして迎えた進路指導。相変わらず目的もないので、適当に就職先を探しますと言い出す私に、やりたい事が特にないのなら、取り敢えず大学へ進学して時間を作り、もう少し将来について考えてみなさいと諭す担任。高い大学進学率を誇る学校側としては、面倒くさい生徒だったことだろう。二親揃って共働きという恵まれた家庭環境はその選択を可能にしてくれたのであった。

ただ、受けろと言われても遊んでばかりいた為、当たり前で好みの大学には一切受からない。ようやく受かったのは一つぐらい受かる見込みのある学校を受けておけと担任に促され受験した、所謂滑り止めの一校のみ。全く気は乗らなかったのだが、担任と母から大学受験浪人など言語道断、私の性格では引き続き遊び倒すだけだからと説得され通い始める。ところが気にいらないことへの耐性は全く持ち合わせておらず、通い始めた学校がどうにも面白くない。アルバイトをして進学塾の冬季講習代と受験費を稼ぎ出し、こっそり受験してみれば驚くことに志望校に受かってしまう。そこで心機一転真面目に勉強すれば良いものを、在籍の大学を1年通いあげて単位を取得し、移動可能単位に関しては新しい大学へ登録。またもや自堕落な学生生活を始めてしまったのであった。

就職そして渡英

結局大学生活においても何ら目的も見出さず、遂には就職活動期に突入。出席率こそ悪くはないが、成績はさっぱり。どうしてこう学習能力を使わず遊び続けたものだろうかと自分でも厭になるが、先に立たないのが後悔である。困ったことに時は就職氷河期。特に就きたい仕事もない事だしと、募集の出ている一般職を適当に受けてまわっみても、さして成績も良くなくこれといった特徴もない私は不採用。

どうしたものかと大学の就職相談室を物色していると、コンピュータシステム開発業はまだまだ拡大の余地がある為、採用率が高く初任給も高いことを知り早速応募。ある既得な会社よりめでたく内定を頂く。コンピュータには殆ど触れたこともなかったが、プログラミング言語は基本英語だからなんとかなるだろう。とりあえず1年ぐらい働いてお金を貯めたら辞めて海外にでも住んでみよう、と不謹慎な構えで就職。しかしやはり1年では貯蓄が足りなかったこと、わずか1年の勤務経験では、帰国後の再就職に支障が出るかもしれないと考えたことより結局3年間勤務することにする。

3年が経つ頃、英語圏かつ学生ビザを取りやすい国という理由で英国を留学先に選択。留学手続き代行会社を利用したところ、危うく申込金を持ち逃げされそうになり、警察のお世話になりながらも漸く渡航の準備を整えたなら、出発前夜の付けっぱなしのテレビ画面に繰り返し映し出されるのはニューヨークの世界貿易センターに突っ込む旅客機。驚くほど厳重な空港セキュリティを戦々恐々と抜け無事イギリスへ渡ったのであった。

何になりたいの?

イギリスでは学生ビザ保有者のアルバイトが許されている為、飲食店で働いて生活費の足しにしつつ、語学学校やコンピュータ学校へ通いながらぶらぶらして2年強過ごした後日本へ帰国。前職に再就職して2年後、ロンドンでの借家人仲間だった現在の旦那に呼び寄せられ、イギリスへととんぼ返り。パートの仕事をいくつか経ながら現在に至る。今では二児の母となった。子供達には私のような目的のない人間には育って欲しくは無いと、好きな事・興味ある職業をついつい頻繁に聞いてしまう。が、親の心子知らず。まぁ当たり前なんだが疎ましがられている。

ある時懲りもせず将来の夢について聞く私に対し下の娘が一言、「お母さんは何になりたいの?」と返してきた。何というか、自分にまだ選択権があるとは思ってもみなかった為、その気になれば将来の自分を選択できると気づいたのは大きな発見だった。小さな事でもいい。現状とは違う何らかの進化を遂げた自分を目指すことは今からでも可能なのだ。

とりあえずその場では思い付かず、保留にさせてもらう。以来、かつて避け続けてきた「何になりたいか/何をやりたいか」を考え続けている。流れに身を任せ、その場凌ぎで来た今までの自分の過去を振り返り、今の自分を客観的に見つめ、将来ありたい自分の姿を模索する手助けになることを祈りつつnoteを初めてみることにする。

さて、私に何が出来るのだろう。