生と死はすぐ近くにあるという話
日本の若者の死因として大きいのが「自殺」らしい。とはいえ若者は大きな病気にかかりにくいから自殺が死因として多くなるという話もあるが、実情として若くして命を絶つ人が多いのは現状である。
実際に私の周囲であっても、実際に会った人や話した人で自ら命を絶ってしまった人を何人か把握している。その人たちは私から見たら家庭があったり恋人がいたりなど、私よりも幸せな生活を過ごしているように見える人たちだった。その時に思ったのは「何故自ら命を絶つのか、私には理解できない」ということ。
私としては自ら命を絶つということは理解できなかったし、現状そんな気はさらさらない。でも理解してしまうような出来事があったので、書いていきたいと思う。
なお今となっては当時の考えがバカらしく、こうやって文に記して残しておくかーと思うほどには回復している。とはいえ一つ間違っていたらこうして書くことはできなかったかもしれない。
時は2021年。新型コロナウイルスの緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が定期的に実施され、テレビやSNSなどでもさまざまな行動の是非により対立する意見を多く見た時期だった。
緊急事態宣言も2020年の最初は普段と違う「非日常」を感じられ、みんなでどうぶつの森でもやって過ごすみたいな感じである意味楽しめた感じもあった。しかし何度も続くと「いつ終わるのか」という漫然とした不安に襲われるようになった(実質的にはまだ終わっているわけではないのだが)。
いつ終わるのかという不安に合わせて、コロナに感染して死亡などというニュースを見ると、私自身がいつ感染してしまうのかという不安も加わり、毎日漠然としつつ解消方法のわからない不安に包まれる毎日を過ごしていた。
そうしてしばらくすると体の不調を感じるように。調べると自律神経の乱れによる症状で、自律神経失調症の症例に合致するものが多かったことを覚えている。
そんな不安の中で唯一支えになっていたのは、趣味としていた旅行。旅行中は少しは不安が抑えられてメンタルを回復できる貴重な手段だったが、徐々に楽しむために行くのではなく行くことが目的になっているのを感じていた。
当時は漫然とした不安に包まれていたこともあり、駅のホームで電車を待っていた時には「このままぶつかったら逃れられるんじゃないか」とか、橋の上から川に落ちたら楽になれるのでは?というような衝動が頭をよぎることもあった。でもそんなときに考え直す理由となっていたことがある。
それは居なくなったら悲しむ人が居るのではというきれい事ではなく、「今死んだら次の旅行行けないじゃん」ということ。要するに旅行に行く予定があるから踏みとどまり、次から次へと予定を入れ込むことで、旅行が終わっても次の旅行、そのまた次の旅行という風に「次の旅行行けないじゃん」を何度も繰り返すことで気持ちを紛らわせていたのを記憶している。
今になって思い返すと、救いだったのは身近な家族や職場で、旅行に行くことに対して良かれと思っていなかった人がいたかもしれないけども「行くな」とは言われなかったこと。もしも旅行自体を控えるようにと言われていたら、衝動を抑えることができなかったかもしれない。
2022年に入ってまん延防止等重点措置が解除され、同様の行動制限が敷かれることもなくなって、SNS等でもあまり言い争いをするのを見なくなった頃には徐々に変な考えはなくなり、純粋に旅行を楽しめるようになってきた。一時期の旅行は一種の精神安定剤のようなものだったのだと思う。
今となってはそんな事もあったなと懐かしむほどにはなっているけども、一歩間違えたらあっち側に行っていたかもしれない。そう考えると想像以上に生と死ってすぐ近くなんだなと数年たった今でこそ感じられる出来事だった。
さて、ブログに書いてもいいかなぁと思ったけど話が重たいよ!!ということでnoteに書いてみました。今では思い出話として記憶を残しておこうかなと思うくらいにはなっていますが、当時は毎日がどんよりとした曇りのような生活だった記憶です。
とはいえ私はまだ旅行に行く気力があっただけマシだったのかもしれないとは思うけどね。なんか一気に書いてみたくなったのを書いただけなので、駄文で申し訳ない。
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