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10年ぶりのグレンラガン感想「ヨーコ・リットナーに出会って」

はじめに

小学生の頃テレビシリーズがやっていて、ちょこちょこみていたはずなのだけど、なんとなく記憶の片隅に埋もれていた天元突破グレンラガン。しょこたんの歌う主題歌がめちゃくちゃ有名なのでたいていの人は聞いたことあるんじゃないかなあ。今もなお語り継がれる名作、10数年ぶりに視聴して、ヨーコ・リットナーにデカい感情を募らせてしまったので、そのことをつらつらと書き連ねていきたいと思います。あらすじとかは書かないので興味ある人は読む前にアニメを観てください!とにかく観て!絶対面白いから!

ヨーコの生きざま

さて、突然ですけど、アニメの感想って作品にバッドエンド、ハッピーエンドっていう括りをつけがちですよね。確かにわかりやすい表現ですけど、今回このヨーコという一人の女性の結末について語るには少し安易だと私は思います。何が言いたいかっていうと、ヨーコの迎える結末ってすごい考えさせられるんです。まず、ヨーコにとってだけでなく、物語全体にとっても大きな影響を与えるのがカミナの死です。グレン団の団長であり、シモンの兄貴分、周りの人間に慕われ、みんなを引っ張ってきたカミナはヨーコの想い人でもありましたが、宿敵ダイガンザンとの戦闘の最中致命傷を負い、シモンに思いを託したのち静かに息を引き取ります。この辺りのシーンすごくいいですよね。ダイガンザンとの決戦前夜なんて死亡フラグビンビンだったのに、ヨーコの愛の告白にすごくドキドキしましたし、カミナには生きてほしいと強く思いました。さらに、アンチスパイラルとの最終決戦では彼女に思いを寄せていたキタンも捨て身の特攻で死を迎えてしまいます。ここもすごくいいシーンです。出撃直前、キタンからヨーコにキスをするんですけど、キタンの「すまねえ、俺の我儘だ」って言葉に対して、ヨーコは「好きでやってるんでしょ、、止められない」と返します。ここのキタンのセリフは「自分の生きたいように生きる」という作品全体のテーマにも関わってきますがそれはそれとして悲しみを押し殺す彼女の強さが伺えます。キタンに対してのヨーコの感情は作中で言及されていませんが、大グレン団最古参のメンバーとして共に戦い続け、たすけあった二人の間には特別な感情があったと考えていいでしょう。こうして、戦いを経てかけがいのない男を2人も亡くしたヨーコは、物語のラストでは小学校の校長として静かで平和な暮らしを送っています。実は、私は視聴時、キタンとヨーコの関係について内心穏やかではありませんでした。というのも、もし戦いののちにキタンとヨーコが結ばれてしまったら、亡くなったカミナに対するヨーコの気持ちはどうなるのか、またもしキタンが帰らぬ人になってしまったら、それはあまりにも彼女にとって残酷すぎるのではないか(キタンとの別れとカミナとの別れはあまりに酷似していました)という気持ちが私の中で渦巻いていたからです。そして、キタンが華々しく爆炎とともに散っていくとき滂沱の涙を流す彼女の姿に、私も涙を抑えきれませんでした。ですから、私にはこの結末はとても残酷なものに思えました。

願いの行方

けれども、そうであっても、私には一つ確かだと思えることがあるのです。それはどんなときもヨーコは自分の信念を貫いていたのだということです。ヨーコは自分が好きなように生きた、いつも仲間思いで前に進むことしかかんがえていないけれど、それでも、自分のしたいように生きた。前述のとおり、これは作品全体を貫く重要なテーマだと私は思います。だからきっと、彼女は自分の人生に後悔しないし、不幸ではなかったはずです。例えば、最終決戦でアンチスパイラルに精神を囚われるシーン、とても印象的で、シモンの精神世界に現れたカミナはいつものようにシモンに熱く語りかけるんですけど、ヨーコに対しては一言も話しかけない。ヨーコの「ありがとう、、行ってくるね」というセリフに対してカミナはヨーコの進むべき方向をただ見据えるんです。それもヨーコとカミナが最後に触れ合ったあの場所で。二人のこの距離感、、、それに、彼女にとって本当に辛い出来事だったのに、彼女は振り向くことなく強い意志を持って、別れを告げるんです。さらに、この直前、精神世界に囚われたヨーコが目にしたテレビには現実にはあり得ない様々な自分の姿が映し出されているんです。それが、彼女にとっての夢なのか、それとも単なる虚構なのか判然としませんが、そこには、ウェディング姿でキタンと挙式を上げる彼女の姿が映し出されている。ですから、ヨーコは虚構を拒絶し、独りで現実に立ち向かう強さと信念をもっていたのです。それに、何一つ報われなかったというわけではありません。僅かでも救いはありました。彼女の子供達を守りたいという祈りは最終的にとどいたのです。この、子供たちというのは螺旋王ロージェノムとの戦いの後に彼女が教師として赴任した学校の生徒たちです。彼女は小さな島の小さな学校での平穏な日々を手にいれたのです。一方で、確かに、それはヨーコの最初の願い通りではなかったでしょう。彼女の望んだ世界にはきっとカミナがいて、キタンがいたはずです。カミナがいなくなっていなければ子供たちと出会うこともなかったでしょうから。ですから「彼女自身の、本来の願いは叶わなかった。けれど、それでも彼女の祈りは確かに通じた」のだと私は思うのです。そうであると信じたいです。なんだか、このことを考えると、動悸がするくらい感情がこみ上げてくるんですよね。せめて平和に暮らす彼女のもとに寄り添って暮らしたいなんて妄想してしまいます。ところで、ハッピーエンドで終わらないのはヨーコだけではないんです。主人公のシモンも最終的にアンチスパイラルの生み出した疑似生命体である最愛のニアを失ってしまいます。ここがグレンラガンの面白いところだとおもいます。ヨーコたちは螺旋の求心力となって多くの人をみちびいたけれど、その螺旋を次の世代に託して消える。決して全てが報われるわけではないんです。だからそこに余韻が生まれる。はあ、ほんとヨーコめっちゃ好き。エッチだし。

終わりに

等と、恥ずかしげもなく書き連ねてきましたが、何を隠そうわたしはこの作品についてそこまで詳しいとは言えませんし、ここに書いたことの多くが私の妄想かもしれません。深夜テンションで思いのたけを書き散らしてしまったので色々と間違いなどあると思いますが、その時は優しく声をかけて頂ければ幸いです。そろそろ、ヨーコヨーコ言いすぎてジョンレノンになってしまいそうなのでこの辺にしておきますね。それでは。