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活字と映像のオッペンハイマー

    3月末から、アメリカ映画『オッペンハイマー』(監督・脚本:クリストファー・ノーラン、主演:キリアン・マーフィー)が公開されている。先の大戦で、原子爆弾の開発にたずさわった ” 原爆の父 ” の生涯を描いた作品だ。
 今年のアカデミー賞で、作品・監督・主演男優賞など7部門において受賞したものの、被爆国・日本での上映は危ぶまれていた。無事、公開の運びとなり、すぐに観に行った。
 過去と現在、過去と過去が行ったり来たりして、私にはわかりづらい内容だった。登場人物も多い。あれ、これ誰だっけ? 忘れっぽい私は、ストーリーについていけない。台詞せりふが多く、その意味を咀嚼するのに必死である。
 しかも、上映時間は3時間! 私の脳みそと膀胱は、ぱんぱんだった。休憩時間が欲しかった。反共と愛国とベッドシーンが詰まった、いかにもアメリカ映画やなぁというのが、観終わった感想である。
 映画公開前に、『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(藤永茂、ちくま学芸文庫、96年初版、2021年文庫化、以下「藤永本」と表記)を購入していたので、観たあとに読んだ。これが、めっぽう面白かった。

日本人研究者による名著

 著者は1926年に中国・長春で生まれ、九州帝大、京大院で物理学を学び、米国にも留学経験を持つ研究者である。九大、カナダ・アルバータ大の教授を務めた。
 学者が書いた評伝なので、あまり期待していなかったが、達意の文章でオッペンハイマーの生涯をとてもうまくまとめていた。被爆国の出身であり、同じ物理学者でもあるので、問題意識が実にシャープである。
 文庫版の最後に、著者は次のように記している。
「ロバート・オッペンハイマーが、特異な歴史的人物として、今なお盛んに論じられている米国の現状を、私は歓迎しない。この現象は米国人が核兵器の問題に正面から向き合うことを妨げているからである」
 このように警鐘を鳴らしていた著者が、公開中の映画をどう観たか、とても興味がある(ご健在であれば100歳近い)。

 藤永本があまりにも良かったので、『オッペンハイマー』(カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2024年)の上・中・下巻を通読した。巻ごとに「異才」「原爆」「贖罪」のサブタイトルが付いている。上巻がつまらなかったら続巻は買うつもりはなかったが、最後まで興味深く読んだ。
 米国で2005年に刊行され、ピュリツァー賞を受賞した傑作ノンフィクションで、これをもとに映画が制作されている。つまり原作である。日本では映画の公開にあたって文庫化されたようだ(マイル、フィート、インチなどがそのまま表記されているのは、わかりづらかった)。
 オッペンハイマーはもとより関係者の私信や、FBIの内部資料も渉猟し、抜粋している。あらためてアメリカのノンフィクションは違うなあと思った。
 この本が映画化されなかったら、あるいは日本で公開されなかったら、私は原作も藤永本も読むことはなかっただろう。その意味において幸運だった。

米国人ジャーナリストによる名著


 評価が別れる人物の骨太評伝を立て続けに読んだら、もう一度映画を観たくなった。活字がどのように映像で表現されているか、確かめてみたくなったのだ。
 二度目の鑑賞は充分な予習をしているだけに、最初より筋はわかった(当たり前だ)。それでも理解しがたいシーンがあったので、インターネットで脚本も読んだ。ただし英文である。OPPENHEIMER screenplay で調べると、すぐに出てくる。ネットで簡単に読めるのは、本当にありがたい。
 なぜ、得意でもない英語で読んだかというと、私は映画制作において、脚本に最も関心があるからだ。
 本稿では、原爆製造に携わった男とその関係者が、活字と映像でどう表現されたか、あるいはされなかったのかを見ていきたい。

 1904年にニューヨークで生まれたオッペンハイマーは、ドイツのユダヤ系移民を父親に持つ。藤永本によると、ユダヤ教の戒律を捨てた無宗教の一族らしい。
 彼がユダヤ人であったことと原爆開発は、密接に関係している。米政府は新型兵器が完成した暁には、ナチス・ドイツにそれを使用する予定だったからである。
 映画では、大戦終了後にオッペンハイマーを ” ソ連のスパイ ” だとして追い落としにかかる、米海軍少将のルイス・ストローズが、脇役として頻繁に登場する。このストローズもユダヤ人である。
 映画が始まってすぐに、ストローズが初めて会うオッペンハイマーに話しかけるシーンがある。以下は脚本の拙訳である。
「お会いできて光栄です」
「おお、シュトラウスさん」
「 ” ストローズ ” と発音します」
「 ” ホッペンハイマー ” であれ、 ” アゥッペンハイマー ” であれ、あなたがどう呼ぼうが、いずれにせよ私がユダヤ人であることは、皆が知っています」
「私はエマヌエル寺院の信徒であることを誇りにしています。 ” ストローズ  ” は南部の発音なんです」
 エマヌエル寺院は、ニューヨークにあるユダヤ寺院である。彼は南部出身であることも誇りにしていた。
 2人は同じユダヤ人だが、一方は無宗教で、他方は信心深い。南部と東部で、出身も違う。字幕は一瞬だけなので、素通りしてしまいがちな会話であるが、アメリカ人にとっては重要な共通点と差異なのかもしれない。
 若いころは精神的に不安定だったが成績優秀なオッペンハイマーは、1922年、名門ハーバード大に入学する。
 原作によると、同大学は当時、ユダヤ人学生を制限するため、割当て制を課していた(黒人も同じ)。3年で卒業した優等生は、ヨーロッパ留学を経て、カリフォルニア大バークレー校の助教授、そして教授に昇進する。
 安定した職を得て、優秀なユダヤ人を研究助手として指名するが、学部長は「学科の中にユダヤ人は一人で十分だ」と拒絶する。原作はこういった時代背景をていねいに描いている。 

 第2次世界大戦が始まるとオッペンハイマーは、ドイツのユダヤ人学者や身内が出国する費用を肩代わりするなどして支援した。
 1942年、38歳で、政府の原爆開発極秘プロジェクト「マンハッタン計画」の責任者を任せられる。ニューメキシコ州ロスアラモスに、研究者およびその家族が集う。
 多くの優秀な科学者が軍に協力し、彼もそれに遅れてはならじと考えていたようだ。出自と愛国心と野心が、彼を原爆開発へと突き動かした。ナチスにそれを先を越されるわけにはいかないという焦りもあった。
 ところがナチスを率いるヒトラーが、1945年4月30日に自害し、第三帝国は崩壊する。新型爆弾の投下先は一転して、日本に向う。
 映画では、原爆開発に懐疑的な同僚が、オッペンハイマーに「ドイツは負けた。もう日本は単独では闘えないよ」と語りかける。彼は「いかに兵器製造業者は働くべきか、という問題ではない」と抗弁する。
 政府高官や軍関係者との会議では、原爆の威力を科学的に説明した上で、もしそれが投下されれば「(第2次世界大戦どころか)すべての戦争を終えることができる」とも語っている。核兵器の登場で、戦争を抑止できる、平和に貢献できるという発想である。
 会議のまとめ役の陸軍長官のH・L・スチムソンがこう述べている。
「私たちは、選ぶべき日本の12都市、いや11都市のリストを持っている。私は、日本人にとって文化的重要性がある京都を取り除いた」
 アメリカ人の良心を感じさせるシーンである。だが、藤永本には、この会議の前に、標的委員会が開かれたことが記述されている。同委員会は、標的を京都、広島、小倉、新潟に定めた。京都が真っ先に挙がったのは「住民がとりわけ高い水準にあり、したがって、よりよく原爆の意義を理解できる長所を持っている」という理由からだった。
 映画の台詞「日本人にとって文化的重要性がある京都を取り除いた」という説明とはまったく逆である。映画を観ただけだと、危うくアメリカ人を過大評価してしまうところだった。

 ロスアラモスでの実験成功、そして広島への原爆投下…。スクリーンには、熱狂する科学者やその家族、国民が映し出される。一方、開発責任者は苦悩し始める。
 時の人となったオッペンハイマーは、トルーマン大統領から執務室で「あなたは多くのアメリカ人の命を救った」と祝福を受ける。
「ソ連との軍拡競争を危惧していると聞いたのだが…」
 大統領の問いかけにオッペンハイマーは、原子力の国際協力体制の確立を進言する。だが、自国の核兵器の増強を目指す大統領とは、話が交わらない。ロスアラモスからの撤退をいぶかる大統領側近に対し、オッペンハイマーがすかさずトルーマンに言った。   
「閣下、私の手は血で汚れているように感じます」
 トルーマンは胸のポケットから白いハンカチを取り出し、彼に差し出す。
「原爆を作った人物をいったい誰が気にするんだ。誰がそれを落としたかであって、それはほかならぬ私だよ、あなたではない」
 原作によると、この台詞はトルーマンの脚色で、一説によると「気にするな、洗えば落ちる」と答えたという。
「手に血が付いたって? ちきしょう。おれの半分も付いてないくせに! ぐちばかりこぼして歩くな」
 そう語ったとも記されている。いずれにせよ、トルーマンは彼と会談し、不愉快になったことは事実のようである。
 映画では、オッペンハイマーが大統領執務室を立ち去る際に、トルーマンが彼に聞こえるように側近につぶやく。
「あの泣き虫を二度とここに連れてくるな」
 これはトルーマンが、軍の最高幹部に宛てた手紙の中にあった表現らしい。
 原爆開発に成功したものの、オッペンハイマーはその結果と影響に恐れを抱いていた。映画では被爆地を視察した軍の報告におののくシーンが出てくる。だからこそ終わりなき軍拡競争を危惧し、核エネルギーの国際的な管理システムの構築を訴えたのだ。

 戦後オッペンハイマーは、実弟夫婦や元恋人、妻がかつて米国共産党員だったことや、党へ多額の寄付をしたことなどもあって、 ” ソ連のスパイ ” として追及される。
 その黒幕が、前出の陸軍少将で、戦後に米原子力委員会の委員長を務め、さらなる核開発を進めたいストローズだった。
 映画脚本には、オッペンハイマの1人称「 Iアイ」が頻出する。つまり、彼の視点である。だが、彼だけではなく、宿敵ストローズのそれも入っている。以下はストローズの独白である。
「オッペンハイマーは、原子爆弾を所有したかった。彼は地球を動かす男になりたかった。…彼は一度もヒロシマを後悔したことはなかった。それどころか彼は、どこででもそれをやっただろう。なぜならそれは、だれもやりとげたことがない、最も重要な男になれるからだ。…彼はすべての栄光を欲し、その責任を取らなかった」
 狡猾で嫉妬深いストローズではあるが、彼の指摘はあながち間違ってはいないだろう。

 ではオッペンハイマーは、原爆の開発と投下をどのように考えていたのだろうか。
 原作によると、1956年に息子が通う学校で、広島への原爆投下は「悲劇的な過ちであった」「(米国の指導者は)一種の自制心を失っていた」と語っている。どこか他人事である。
 60年に東京を訪れた際には記者に「原子爆弾の技術的な成功に関りを持ったことは後悔していません。悪いと思っていないわけではなく、ただ昨日の晩よりは今晩のほうが悪く感じていないということです」と言葉を濁した。
 スパイ容疑で公職追放された50年代半ば、彼はバージン諸島に別荘を持った。隣人の米国人が書いたエッセイに、広島に原爆が投下された8月6日のことが、次のように記されている。
「あの日家族水いらずのロバート・オッペンハイマーを観察しただれもが、彼の最高の時はいつであったか、分らない人はいなかった。彼は明らかに原爆を愛しており、その開発過程における彼の強大な役割をうっとりと思い出していた」
 彼にとって原爆は愛すべき存在で、その研究はうっとりするほど甘美なものであった。隣人はそのように見ていたのである。

 映画はのラストは、ナチスから逃れ、ドイツから米国に亡命した天才物理学者・アインシュタインとオッペンハイマーの核兵器をめぐる意味深な会話で締めくくっている。
 この映画は、複数の人物の視点を入れることによって、人類史上初の原爆の開発と投下を偉業として、またその責任者を偉人として描くことを明確に避けている。その意味では、考え抜かれた、滋味深い作品だ。文字で確かめて、脚本の素晴らしさをあたらめて思った。
 原作は、オッペンハイマーはもとより、家族の人生を最後まで追いかけている。ラストは映画にはほとんど出てこない、娘・トニーの生涯に肉迫している。
 親友がいない孤独なトニーだったが、抜群の語学力を生かし、国連で3カ国語の通訳として働いた。ところが国連は、さまざまな機密事項を取り扱う職場である。FBIが父親に関する古い嫌疑を持ち出し、不幸にも失職してしまう。2度の離婚のあと、家族との思い出深いバージン諸島に戻った彼女は…。

 映画は、原作のすべてを描き尽くせない。公開中は、スクリーンでしか観ることができない。しかし、視覚情報や音で感じる迫力・魅力がある。
 書物は、いつでもどこでも読むことができる。ページをさかのぼることも可能だし、何度も本を閉じ、思考することもできる。途中で用を足すことも容易だ。
 映画は必見だが、原作と藤永本をぜひとも読んでほしい。<2024・5・31>
 
 《付記》 映画の公開後、NHK・BS「世界のドキュメンタリー」で、以下のドキュメンタリー番組が放映された。
『 ” 原爆の父 ” オッペンハイマー 前編 核開発の道』
『 ” 原爆の父 ” オッペンハイマー 後編  私は死神となった』
(制作 NBC News Studios / Universal Studios 2023年、いずれも45分)
彼の生涯をたどりつつ、映画にはなかった広島の被爆の様子も挿入された、優れた作品だった。地上波を含めて再放送されることもあるので、その際にはぜひご覧いただきたい。

 

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