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機動戦士ガンダムSEEDFREEDOMで限界オタクと化した視聴直後の手記

◆SEEDってシンプルにすると愛と勇気の物語

ガンダムSEEDってどんなお話なのか。
そういった質問があると私はいつもこう答えていた。
「愛と勇気のガンダム物語」と。
全然異論は受け付けるのだが、個人的には分かりやすいと思っている。
というのも、SEEDの頃から恋愛を描くシーンが多いんです。
アスランとカガリ、

OP映像のアスランとカガリ。逃避行なう。

そしてキラとラクス。

フリーダムガンダムを託された直後のキラとラクス。尊い


形は違えどお互いが想い合ってその為にも戦って。
そうして生き抜いていったのが主人公たちだった、というのが大枠のイメージ。
だからこそ、そういった言い回しを昔からしていたのだと改めて言語化した次第。
それをここぞとばかりに膨張させたのがSEEDFREEDOMという作品だ。
劇中でも「愛」というキーワードや、お互いを思い合う男女の姿は
かなり多かった印象である。

◆そうそう、SEEDってそれでいいんだよ

だからこそ。これでいいんだよこれで!ってなってくるのがこの作品。
舞台設定としてはもう救いようのない世界になっているコズミック・イラ、
のはず。
なんだけど…どこか視聴者を笑顔にしていく。
SEED DESTINYで出てきたキャラが急に死んでも何のその。
愛と勇気の物語の勢いと流れは全く止まらなかった。
世界観を忘れ去るくらいの主要キャラたちの生き様は、
SEEDの頃から変わらなかったんだろうと思う。
当時、SEEDを観ていた私はまだ幼かったとはいえ、
戦争の悲しい世界の中でもキャラたちの生き様に
愛と希望を見出していたのは事実だ。

だってそうでしょ?
キラとラクスがいちゃついてるシーンの方が印象に残ってる。
アスランが地球をバックにカガリにキスしたシーンの方が覚えてませんか?

綺麗。ずるい。これは無理(限界)

セカイノトビラガァ!!って言ってる(若い)おじさんももちろん印象的なんだけど…

通称:世界の扉おじさん

でもキャラが愛を紡いでいる瞬間の方が少なくとも私は記憶に刻み込まれている。恋愛脳だからと言われればそれまでなんだけど、SEEDって前述の通り恋愛模様を描くところが多い。
(ちなみに主題歌を担当する西川氏も同様に恋愛ドラマとして感じ取ってることをインタビューに記載している。)
当時の男の子も女の子もそういった点に夢中になったのは言うまでもない。
(さらに言うと多くの女子の脳みそを腐らせたキッカケにもなっているとも思うw)
今作はそういった要素を最初から最後までブンブンと振り回しきり、
ご褒美にご褒美を重ねて当時の少年少女たちがシンクロ率400%を超えて神話になっちゃうくらいにはガンダムSEEDをしていたように思う。
ほめているんだぞ?笑

◆シンアスカが大好きなんだ

私はシン・アスカが大好きである。

キレる若者、シン・アスカとデスティニーガンダム

それこそSEEDDESTINY放映当初、監督脚本夫妻に不幸の手紙を送ってやろうかと思っていたくらいにはSEEDDESTINYで活躍しきれなかったところに恨みを持っていた。
それがどうしたことだろうか。
シンの人間として可愛い部分、カッコイイ部分、
全てがSEEDDESTINYで出来なかったことを表現しているかのようだった。
公開前の福田監督のXにおけるポストで「シンは活躍するよ」といった主旨の内容を投稿しており、どうなることやらと悶々としていたところだった。
ふたを開けてみたらどうだ?止まらない限界オタクと化すくらいには
大きな大きなご褒美を制作陣に頂いたように思えた。

そもそも彼は本来家族思いの優しい性格だったという。
それが目の前で家族を失ったことで、
PTSDを患いそのまま軍に所属し、戦争の渦に自ら飛び込んでいった。
優しくて、それでいて人懐っこい。そして激情家といった本来の彼の姿が今作でみれたように思う。
ラッキースケベと、SEEDDESTINY第1話にてヨウラン(整備スタッフの友人)に名づけられたシン君は、本作でもレズビアンのお姉さんのお胸をめちゃくちゃ触ってしまっている。

ラッキースケベの決定的シーン

この部分も意図的につながりをつくっていることは間違いないだろう。笑
ルナマリアとのいい夫婦っぷりも最高である。
本文章を執筆前に、鈴村健一氏のXアカウントに
リプを飛ばしてしまう位には気持ちよくなっていた私であった。笑

◆これがデスティニーのチカラだ!


その可愛い可愛いシン君だが、
SEEDDESTINY本編でも見せてくれた鬼神の如き強さを、
終盤に向けて見せつけてくれる。
DESTINY本編にてデスティニーガンダムを見せられた際に見せた
新しいオモチャを与えられた子供のように
目をキラキラとさせるシンだったが、

素直なシン君は可愛い

今作でもデスティニーを見て目をキラキラさせていた。
デスティニーはそもそもシンのインパルスにおける戦闘データを反映されて開発された、いわゆるワンオフ機体にあたる。(別設定として西川ハイネさんが乗る想定もあったようだが)
自分専用機ということもあって、戦い方の相性が良いのは間違いない。
とはいえ、本作において「ジャスティスだから負けたんだ!デスティニーなら負けない!」と言い切る負けん気MAXのシンは本当に可愛い。
おっと、脱線した。

本作において旧型機扱いをされているデスティニー。
デスティニーに乗ったシンの強さは「フリーダムキラー」という異名も伊達ではない。
デスティニーに搭載された光の翼「ヴォワチュール・リュミエール」は展開と同時にミラージュコロイドを散布する機能が盛り込まれており
そもそもが相手をかく乱させる機能を持っている。

かく乱させながら超スピードで接近してくるとか怖すぎだろ

そこにシンのパイロット技術及びセンスもかけ合わさって
凶悪さに凶悪さを重ねている。
他のガンダムシリーズ、特にF91において「質量を持った残像」という概念がある。

残像といえばやはりF91である。

それと同じような機能描写がDESTINY本編では出てこなかったが、今作ではがっつり表現されることになった。
「分身ってのは!こうやるんだぁあああああ!!」と言い放ったシンだが、
メタい話だが表現方法を変えているだけで、実際のところDESTINY本編でも
迎え撃つ敵からするとそう見えていたはずだと思っている。
少なからずSPECⅡとして出てきたデスティニーなので、
より出力が強化されているのは間違いないとは思う。
分身は専売特許だ!とでも言いたげなシンだが、実際そうなのだと思う。
本編からずっとその機能を利用し続けているのだから…。
それを打ち破った「アスラン、アンタやっぱ強いや…。」なのである。笑

まぁDESTINY本編よりもさらに機体スペックが向上したデスティニーガンダムとしての表現が、分身殺法なのだろう。
ネオドイツの代表にでもなりそうな勢いだ。笑
ふざけているのかぁという内容だが、

突然のマスクさん(Gのレコンギスタより)

ほん、、、、、とうにカッコイイのだ。
デスティニーガンダムの戦闘シーンで私は泣いている。
このデスティニーの戦闘が見たくて20年弱も待たされたのかと思うと、
少し監督夫妻を許すことが出来た。
我ながら大人になってしまったものである…。

◆キラクスのこの感じがたまらない。昔に戻れる。

シン君の限界オタクタイムはこの辺にしておいて、
主役であるキラとラクスについて語っておきたい。
戦禍に巻き込まれて劇中での時間でも約3年間。
若い二人にとっては濃すぎる時間だったに違いない。
SEED本編、DESTINY本編においてもこの二人は互いを求め、
互いを支え、そして互いを想っていた。
こんなヒーローヒロインにあこがれを感じていたのは私だけではないはず。
当時の少年少女にとってあまりにもきれいな男女像だったと思う。
そういった過去を積み重ねてきた現在、
改めてこのキラとラクスの関係性を目の当たりにすると、
当時を思い起こしながら
「この美男美女のカップルが幸せでありますようにいいいいい」
ここでも限界オタクタイムに突入してしまうのが
いにしえのオタクの性である。

裸の描写が多いのはキャラの心が隠されてないことを顕わしているそう。とはいえエッチである。

結局このカップルにおいても限界を迎えてしまうのは
この作品を愛してるが故ですね。
キラを想って帰りをお料理をつくってウキウキで待っているラクス。
本当に可愛い。

なにこれ。キラが帰ってくるの待ってるとかもう無理だわ、尊い。無理。

ラクスと共に生きるために、やせ我慢しながら戦っていくキラ。
すれ違いがある二人だが、今作SEEDで見せたキラの人間らしさが久方ぶりに戻ってきたと思った。
歴戦の英雄とはいえ、いまだ齢21~2くらいそこらの若造である。
(この文章を書いてからパンフレットを拝見して19歳だったことに愕然とした。笑)
DESTINY本編のキラがおかしかったとも言える。
「覚悟はある」と言い切ったキラは、今作その言葉自体にも苦しんでいるように思う。デュランダル議長の呪縛ともいえるかと。

デュランダル議長に向けた銃口。これが今作では呪いとなってしまう。

実際にその覚悟のもと、踏み出した世界において変わらない世界に苦悩が止まらない。
話の腰を自ら折るようだが「変わらない世界は嫌なんだ!」とキラ本人がいってるあたり、変わらない世界に葛藤しているのはDESTINY本編から続いているのかもしれないが…。

SEED当時で17歳。そんな年の若者が悩まない訳ないのだ

そういった中、オルフェという新キャラに翻弄され、ラクスとの関係性により距離を感じてしまう。

誰やねんこの男。黄色とピンクはチカチカして目に悪いねん。

年相応の人間らしい悩みを持った主人公に見えたのだった。
これは嬉しいことで。前述のようにDESTINY本編では悟りを開いたのか、といったような揶揄されることも散見されており人間離れした姿が多かったように感じていた。
本文章の著者は当時、(神様にでもなったんかコイツは。前作の主人公がでしゃばるな)と忌み嫌ったものだった。
それが等身大に悩んでいる姿が見れたことで、なんというか。安心してしまったのだった。笑
だからこそ、キラの葛藤とラクスの葛藤、そしてそれらを乗り越えてより絆を深める二人の姿に
当時を思い出し、そして二人に幸あれと願ってやまない限界オタクの20年越しの再降臨という運びになるのだ…。

◆同窓会・総復習・お祭り映画


20年越しという言葉を直前でも使用したが、この長い時間を経て当時の動いていたキャラの名前をもじった作戦(バジルール作戦など)、
使用していたモビルスーツ、劇中で生きていたキャラ達大集合といった内容てんこ盛りで「お祭り映画」と評されるのうなずける。
同様のお祭り映画にグリッドマンシリーズにおけるグリッドマンユニバースという2023年公開映画があった。私も某サブスクサービスにて視聴済みなのだが、この映画もいわゆるお祭り映画とされている。
過去作に出てきたキャラが勢ぞろいする内容で、この文章を書いている直前にXにて様々な方のポストをみるところ「グリッドマンユニバースだコレ」と言っている方を何名かみかけた。
同窓会、お祭りという言葉をあてはめられるのはコードギアス復活のルルーシュも同様である。いわゆる長年コンテンツを支え続けてきたファン(いやらしい言い方をすると消費者)への「ご褒美映画」なのだ。
先に挙げている2本の別映画作品を踏まえた共通点を述べると、
終盤にかけてハチャメチャな展開になっていきがちである。笑
そら総決算みたいなところなのでドッカンバッカンの大立ち回りになる。
でもそうすることで「ご褒美」のカタチを成していく。
当時、DESTINY本編が終了後劇場版製作決定といった通知を受けていたが、
結局大人の事情で形にならなかった本作劇場版を20年弱待ち続けたファンへの贈り物なんだと受け止めたい。

◆福田/両澤夫妻がつくりたかったものとは


そんな贈り物を中心となってつくってきたのが福田監督と故人となってしまった脚本家の両澤氏の2名である。
前述のとおり福田夫妻に恨みすら持っていた私も大人になってしまい、
それでも許せてなかった見た目は大人・頭脳は子供な私だった。

絶対に許さない。こんな主人公が成長しないガンダムなんて……!!

しかしながらこの2名をはじめ、キャラデザの平井氏も楽曲提供された西川氏、石川氏・梶浦氏、、、挙げだすとキリがないが最大の感謝を表したい。
この作品を産み落としてくださり、本当にありがとうございました。
確かに本作においての主人公もキラヤマトであり、監督夫妻が大好きだと言われているキャラが中心である。
DESTINY本編放映当初、様々な問題が噂されていた。
シン役の鈴村氏の憤り意図していないところで使用された挿入歌の歌い手である西川氏の疑問、福田夫妻には世間から強いネガティブな意見が叩き込まれていたはずだ。(かくいう私もその一味である)
DESTINY本編終了後、劇場版となった時も、「どうせキラが大活躍して終了なんだろ?ケッ!」とヒスっていた私だったが、今作を視聴後にこの夫妻が何を世に出したかったのか想い馳せてみると違った感情が生まれていたことに気が付いた。それが先に述べた感謝でもあり、本当に見せたかった作品像だったのかなという推測と気づき。
故人となってしまったことで真相は本人と福田氏のみしか分からないかとは思うが両澤氏も実現したかった内容がココにあるのかなと思うと、憐憫も感じるところがある。だって生みの親だもの。自分が一番見たかったに決まっている。改めてご冥福をお祈りするとともに、いろんな気持ちを教えてくれたことに感謝したい。
だが20年経過したからこそ表現できた技術もあったに違いない。
そういう点において、結果論ではあるが今リリースされるべくしてリリースされた作品なんだと思っている。

◆愛です、愛ですよ。

そしてココにいきつく。

「必要だから愛してる」ではなく「愛してるから必要」。

この言葉は本作の核となる概念でしょうね。
愛したいから愛する。
キラとラクスはコズミック・イラという混迷極まれり世界において、
シンプルであり最も人間らしい答えにたどり着く。
そしてラストの一糸まとわぬ姿は過去のOPにて見せていた、
それぞれの気持ちを表しているという
そこにかかわっているのかと思っている。
裸同士、つまり気持ちをお互い隠すことなく手を取り同じ方向をみて、
そして口づけをして愛を紡いでいく。
愛について多くセリフもある本作、キラとラクスは添い遂げたことを
視聴者たちは見届けて幕引きとなった。
この2人の姿をみて、幸せを感じて終わっていく。
だからこそ劇場が明るくなって見る来場者の顔は笑顔であり、
どこかスッキリした顔つきになっていたように思う。

アスランに触れないで終わるのは良くない

本文章を終わろうと思ったのだが重要なことに気が付く。

アスランについて触れてなくね…?

そう、今作のアスランはシンとキラに視線が(特にファンでもなければ)いきがちになると思った。
というのも今作、全然ぶれない。笑
すっごく安定感のあるアスランザラなのだ。DESTINY本編にて「コノ!バカヤロー!!」とシンが駆るデスティニーを
インフィニットジャスティスのスネにあるビームサーベルであるグリフォンブレイドで粉砕した時の腹決まったアスランその人なのである。

全身凶器のインフィニットジャスティスには膝部から足元にかけたビームブレイドがある。

簡単に言うと、いいとこどりになっている。笑
キラを救出するシーン、キラと殴り合いで奮い立たせるシーン、ブラックナイトとのラストの戦闘シーン、
もう全部カッコイイ。放映当時感じていたダサさが全く無いのが逆に違和感を持たせる位にはカッコイイ。インフィニットジャスティス改修型における最後の技も、まさしくインジャ出てきた当時からつけられていた異名である「全身凶器」にさらに磨きをかけた内容となっていた。
だが、あれは笑わせに来ているところもあるでしょう。笑
アスランとカガリの関係性は今作において明確に語られる時間の余裕はなかったが、終盤のワンシーンはちゃんと男の子しているアスランに赤面するカガリの構図にみんなの頭は地球がよぎったことだろう。

ユニバース!!!

ユニバース!!!!

最後に


というわけで書きたいことをツラツラ書かせて頂いたが、この劇場体験は重ねてきた20年があったからこそ出来たことだと思っている。
私もそれだけ年齢を重ねてきた。
だが、この作品で劇場にて涙を流しそうになるとは思わなかった。
デスティニーの戦闘シーン。シンの活躍、キラとラクスの睦まじい姿。
重ねてきた時間があったからこそ、
持ち得た感慨深さに自身の歴史もより輝いてくれた。
もしかしたら劇場体験史上1、2を争う体験になったかもしれない。
死ぬまでに本作はもっともっと見返していきたいと思う。
最高の時間となった。本当に有難い限りだ。
唯一の心残りは、最愛の妻と一緒に観られなかったことくらいだ。
当時は別の世界で生きていた妻と、
昔の気持ちを懐かしみながらこのご褒美を共にかみしめて感動を
その場で共有したかったところだ。
いずれ大きくなった我が子と共に見るのも楽しみである。

私も分身はこうやるんだ!という専売特許をつくっていこうと思う。笑
改めてこの作品と制作スタッフに感謝を。
あと複数回は劇場に足を運ぼうと思う。まだまだ楽しみだ。


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