かぼのーと #2 悟り

どうも、かぼくれです。

私は中学生ぐらいの頃まで、群を抜くほどの心配症でした。
テストが憂鬱だったり、遅刻を病的に恐れていたり、漠然とした将来への不安を抱えていたり、死を恐れてのたうち回ったり。
とにかく毎日が不安で、『生きるだけで精一杯』みたいな状態でした。

いつのころだったか、私の思考はガラリと変わりました。
私はテストにとんでもない重圧を感じているけれど、自分よりいつも点数が低いあの子は別に何も気にしていなさそうだ。私は遅刻して先生に怒られるのは嫌だけど、いつも怒られてるのに懲りずに遅刻してくる子がいる。
一方で、私が熱心に取り組んでいる掃除を、「だるい」と言ってあまりやりたがらない子がいる。私は授業中に朗々と音読をするけど、それを恥ずかしがる子もいる。

結局は、自分がどう思うかだったんです。
自分がそれを楽しいと思えば、それは楽しい。
嫌だなと思えばそれは嫌なんです。
私がやっていたトイレ掃除も、「トイレという汚いものに触っている」と考えれば嫌ですが、「自分の頑張り次第でキレイにできる幅が大きい」と考えればいい気分になれます。
勉強や運動なども、自分のステータスを上げるための作業だと考えれば、ゲーム好きの私は何となく楽しくなれました。

掃除などはいいのですが、勉強や運動など、成果が目に見えるものは、どうしても他人と比較して、劣等感を覚えて嫌になってしまうことがあります。
そういう時に私は、第二の思考法「死なないから無敵」を発動するようになりました。

私は死を何よりも恐れています。勉強をするのも運動をするのも、それをすれば死から遠ざかることができるという少しの希望が故でした。
しかしそれを逆手に取り、「いくら勉強ができなくても、いくら運動ができなくても、自分の状態を把握し、身の丈に合った努力さえすればそうそう死ぬことはない」と悟るようになり、競争に負けてもそのショックを抑え込むことができるようになりました。

言えば、幸せとは自分の感じ方次第なのです。
大金持ちになって、自分の得たいものを何でも得ることを幸せと言う人もいれば、自分の好きなものを眺めるだけでも幸せだという人もいます。もっと言えば、自分が健康に生きられていることに感謝している人だっています。

自分が不幸だ、嫌な人生を送っていると思う方は、自分がなぜ生きられているのかを考えてみてください。そしてできることなら、自分の好きなものを見つけてください。それが生きがいとなって、人生を彩ってくれます。

高校生の自分がこの考え方を編み出せたのは、かなりの利益になると思います。どれだけ辛いことがあっても、「でも死んでないから」で無効化できるのはかなりアツいです。人生を楽しむというのは、辛いことを感じないというのは、お金を得るよりも名声を得るよりも、何よりも有意義なものではないかと思います。
以上、かぼくれでした。

Twitter:@kabokure711