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オタクは、ライブで泣いてはいけない
一人っ子なので、小さい時はよく泣く子供でした。
地下アイドルオタクのかべのおくです。
8月24,25日に、FES☆TIVE主催の2DAYSフェス「赤レンガスプラッシュ祭り」に参加しました。初日はFES☆TIVEのワンマンライブ、2日目は対バンで、どちらも声出し可能で放水の特殊効果ありという、気合いが入らざるを得ない2日間でした。
FES☆TIVE presents #赤レンガスプラッシュ祭
— FES☆TIVE (@FESTIVEofficial) August 25, 2022
これにて終演です!!
最高の夏をありがとう。 pic.twitter.com/YrO2aH7GKV
お祭り系の名に相応しい、本気の祭を見ました。
僕がちゃんと参加した2日目の対バンは、各グループがとにかく楽しめるセットリストをぶつけてきました。白キャンでは梓コールで後方柵が破壊され、まねきケチャでは今年一の「世界で一番愛してる!」を聞きました。
そして大トリのFES☆TIVE。それまでのグループをしのぐオタクの盛り上がりと放水量で熱狂を演出しました。これで終わりかな?と思いきや、最後に披露されたのは「祭りのあと」。知ってる人にはたまらない、そして初めて聴いた人でもホロリとさせる1曲で、2日間を締めくくりました。
祭りのあとは⁰冷たい風吹いて⁰すこしだけあなたのことを⁰呼び止めたくなるよ
— FES☆TIVE (@FESTIVEofficial) August 25, 2022
FES☆TIVE:祭りのあと#赤レンガスプラッシュ祭 pic.twitter.com/tSzIRJlQ2X
ところで僕は、「ライブで泣く」ということに違和感があります。ワンマンライブやメンバーの卒業ライブなど、重要なライブでは、「こんなん泣くやろ」という場面はあるでしょう。しかし僕は、感動的な場面ですら「泣いてはいけない」と思います。
どうしてそんなふうに考えているのか、僕なりの思想を話していけたらと思います。
そもそも「泣く」とは
泣くのには、2つの原因があると考えています。それは「ショック」と「感動」の2つです。
ショックは体の反応と言い換えることができます。あまりに突然のことが起こった時、気が動転してしまって泣いてしまう。子供の時によく経験があると思います。成長するにつれて分別がついてくると、予想外の出来事は少なくなってくるのでショックで泣くことは少なくなってくるでしょう。
いっぽうの感動で泣くというのは、「これは感動的だ!泣ける!」と感じた時に涙が流れてくることです。よく「泣ける映画」とか、「泣くことはストレス解消」という表現をする場合の「泣く」は感動です。感動で泣いている時、人は泣きたくて泣いているとも言えます。
ショックによって泣いてしまうのは感受性の違いなので別に良いのですが、好ましくないのは後者です。オタクである以上、感動して泣くことはあまりにも勿体ないと思います。
オタクには、感動している暇なんてない
なぜ感動することがもったいないのか、それは僕が「オタクとは観察者である」と考えているからです。
ライブに行くことの目的は、人によってさまざまだと思います。振りコピをしにいく、ヲタ芸をしにいく、マサイしにいく、推しの顔を眺めにいく、はたまたライブ後の推しの特典会が目当ての人もいるかもしれません。しかしこれらの目的の本質は「ライブという経験」をしに行くことだと思います。
より多くの「経験」を手に入れることがオタクとしての喜びならば、目に映る景色、耳で感じる音響、肌で感じる雰囲気、そして湧き上がってくる感情を余すこと無く味わう方が良いということになります。
泣くことは、なぜダメか
泣くことは、ライブという多面的なものを一義的なコンテンツとして消費することに繋がる気がしています。人は泣くとき、自分にベクトルが向いていて、周りが見えていません。だから、「泣ける映画を見たんだけど、泣きすぎて感想が残っていない」というのは至極当たり前のことだと思います。もしくは映画が本当に薄っぺらかったか。
感動して泣くのもひとつのライブ体験として捉えることはできるでしょう。しかし、物事に「感動的」というレッテルを貼ってしまうので、その他の体験を妨げる存在でしかありません。その意味で、泣くことは割に合わないと言えるでしょう。
また、泣くことは逆に感動を薄れさせてしまうこともあると思います。さきほど「泣くことはストレス解消」と言いましたが、溢れそうな感情を解放する効果があるようです。本当の感動は、泣くギリギリの感情のせめぎあいにこそ存在すると思います。
感動的なライブなら、泣かずに見届けることこそが推しのためであり、自分のためではないのでしょうか。
おわりに
まとめます。
ぼくは、泣かずにいられるだろうか。
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以上です。
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