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【エッセイ?】手伝いましょうか?と言ってしまう人

引っ越しや宅配など重い荷物を一緒懸命に運んでいる場面をみると、ついつい「手伝いますよ」と言ってしまいます。

しかしこれには色々思うところあり、今回はそれらについてまとめます。


心に引っ掛かっている過去の出来事の一つに
仕事の関係で佐川のおっちゃんに大量の荷物を運んでもらうことがありました。

重いし量が多いしということで気の毒に感じ、ついつい「手伝いましょうか」と声をかけてしまいました。

「しまいました」という表現の理由には上司にこう言われたからです。

「手伝う必要は無い」

その言葉を受けて考えたのは次の理由です

・仕事という責任
発注側がいて対価を受けて引き受けた以上、その仕事の責任はすべて受注者のものとなるということ。
その責任を全うすること、今回のケースではすべての荷物を運び終えることこそが金銭に対する対価なので、資本主義の一員として私は手伝ってはいけなかったのです。

・破損の責任
仕事とは責任を負う事です。
万が一、私が手伝ったことで荷物が破損してしまった場合、その責任の所在はどうなってしまうのでしょうか。
そういった不透明な事象を避ける意味でも私は手伝ってはいけなかったのです。

・自分の時間
金銭を払い動いてもらうということは自分の時間が出来るということと同義です。
そして経費である以上、その時間は会社のためになる活動をする必要があります。
そういった意味でも私は手伝ってはいけなかったのです。

【まとめ】
この経験と気づきの後は「手伝ってあげたい」という気持ちを押し殺して生きています。
資本主義の名のもとに。

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