足掛け10数年
ここ最近(クリスマスイブの日ね)、コロナに罹ってしまい、布団でゴロゴロ1日10時間以上スマホばっか眺めてた。
自覚はあったものの、、
「あー、このままじゃ腐れ人間のまっしぐらだなぁ。。。」と思いながらも、トコトン自堕落な生活を続けていた。
翌日(クリスマス当日かな)、思い立ったように、近所の神社で太極拳とか意拳の練功をやって、流れに身を任せるように1日中歩きまわった。
この「歩く」というのも、今までなんとなく避けてきた「ナンバ歩き」を取り入れてみた。
ナンバ歩き=簡単に言うと、右足が出る時に右手も出る。みたいな感じ。
ナンバの歩き方については、何年も前からたまに思い立ったように研究を重ねていたけど、自分の中で腑に落ちる身体の使い方に結びつかず、研究しては止める、を繰り返してきた。
で、コロナで腐ってた分、身体が凄く運動を欲していたこともあり、とことんナンバで歩きまくった。
で、気づいた。
太極拳の雲手とか、陳式太極拳の斜行拗歩をとことん小さく動きをコンパクトにしていくと
このナンバの歩き方になってくるのではなかろうかと。
これは薄々以前から気づいてたんだけど、だけども日常でこの歩きをやるとすごーく変な歩き方になってしまうし、果たしてこの身体の使い方が正解なのかも分からず、今一歩のところで引っかかってしまい結局やめていたのだ。
で、今回研究をする中で、側から見たら普通に歩いてるように見えるナンバを出来るようになった。
見た目は普通に歩いてる、だけれど内面はナンバの仕組み、雲手や拗歩の螺旋の力(身体のゼンマイ仕掛け)を運用できるようになった。これは自分の中では物凄い進歩だ。
実際にこの動きを使うと、ものすごく楽に長時間歩けた。
さらに言うと、歩く動作が格闘術の基本的姿勢の要求を満たしており、歩いているだけでシャドーやサンドバッグで訓練してるのと同じ効果がある、と自分では痛感している。
ただ、ナンバ歩きを見かけだけ真似してやっても、絶対にこうはならない。と個人的には思う。
身体の中の使い方が肝なので、この部分をうまく人に伝えられるようになれれば良いのだけれど。。。。
とにかくこの部分については文章化は難しいが、動画などを撮ったりして人に見せられるくらいまで研究を続けてみようと思っている。
とにかく、とことんダメな状況に落ちることで、上昇していく力が自ずと備わって自分だけでは到達できないところまで今回は行ったような気がする。
そう考えると、老子とか道教の太極図にあるように、一回、陰(悪いと思われている状態)にあえて寄せるというのが、いかに大切かをまたしても痛感した次第だ。
タイトルにあるように、太極拳や意拳を10数年以上やってきたつもりだが、(それでも熱心に打ち込んだ方ではない、気分でやってる)
ようやく日本古来のナンバとかの身体操作法とそれら中国武術が結びついた感がある。ここに気づいて実際に運用に至るまでに、10数年かかったけど、目の前の霞が晴れたような気分だ。
年を越す前に、この靄が晴れて良かった。
来年も良い年になると思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?