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お皿について
そもそもなんでこの対決シリーズをnoteで始めたかというと、障がい者施設で働いてると「常識」についてよく考えさせられることがあるからです。
「これってやっちゃダメじゃん、、」
みたいな漠然とした常識を僕らみんな持ってると思いますが、実は物凄くあやふやではっきり正解がないのではないか??
みたいなことが多々あります。
今日は「皿」についてです。
ズバリ、「皿を舐める」vs「皿を舐めない」笑
まあ、ウチの利用者さんで、(これはどこの障がい者施設でもあるあるだと思いますが)お皿を舐めちゃう人がいる。
で、「お皿を舐めないでください!」
みたいな声かけをするんですね。
やっぱりみっともないですし、、、
でも、食文化というのは国や地域によって大きく変わるもんです。代表的なので言えば、インドは手で食べ物を食べますよね。
例えばここ日本で手喰いしてたとしたら、インドカレー屋さんなら
「あらまぁ、通ね」
となるのだけど、和食の割烹料亭て手喰いしようものなら
「あらまぁ、はしたない、、!!」
と評価が180度かわってきます。
「手」ならまだわかりますが、「舌」で皿を舐め回す。。
これは一般常識的にはNGなのでは??
しかし、個性豊かな利用者さんの中には、お皿を舐めちゃう利用者さんもやっぱりいると。
これ、舐める行為を矯正すべきなのか???
そんなわけで、調べてみました。
世界の「皿舐め」文化について
結論から言えば、いろんな国に皿を舐める文化はあるようです。アジア圏内の国では、「料理が美味しかった」という賛辞の意味も込めて、皿を舐める国があるらしい。
これは、料理人の立場からしたら、「そんなに喜んでくれたんだ!」と嬉しくなるかもしれません。
ただ、皿を洗うのももちろん料理を出した側ですので
「やめてよ!バッチい!」
となる可能性は大いにあります。
「皿を舐める」=「バッチい」
つまり、なんか皿が唾液とかで汚されてる感じがしてしまう。
たしかに、前の客が舐めまわした皿を、一度厨房で洗って、また自分に提供されたとしたら、、、
「なんか、食欲うせるわ、、」
ってなります。
しかーし、そもそも唾液が汚いというのなら、皿を舐めなくてもスプーンやら箸やら、お汁を飲む時とかにも口がつくのですから、多少なりとも唾液の接触はあるわけです。
つまり、舐めても舐めなくても唾液とかはついちゃいますよ、と。
この点で言えば、やはり舐める方が優っている気がしますね。
では、栄養学的に見たらどうでしょうか。
例えば、思わぬタイミングで災害が来たとします。
災害に備えて食糧を備蓄していれば数日間は凌げるかもしれませんが、何もなかった場合、直前に食べたご飯のカロリーやら栄養素でしばらく耐え忍ぶことになる。長期戦になることもあります。
もしも、たった数キロカロリーの不足によって、生死を分けてしまう危うい状況だとしたら、、、
これはもう、「皿舐め」してた方が確実に生存率が上がります。皿に残っているソースや細かい食材、それらの中にも1日凌げるくらいの栄養素は入っている可能性が高いですから。
では、味覚的に考察したらどうなんでしょう?
食通のあいだでの格言で「その料理の本当に美味しいエキスは器の底に溜まっている」というのがあります。
ラーメンとかの汁物であれば特に、いろいろ混ざったなかでも最下層にたまる沈殿物にこそ、その料理の旨みが表れている、みたいなことです。
実際に僕もよく通う美味しいちゃんぽん屋では皿の底まで飲み干す行為をしちゃいます。
最後の一滴を飲み干す時の、なんというか、悲しさ、切なさ、もう食べ終わりなんだ、という消失感が相まって、そんな哀愁がさらに味覚に相乗効果を与えてくれます。
普通はこの飲み干した時点で「食事終了」のゴングが鳴るのですが、さらにここから皿舐めをするとなると、終わったと思っていた試合から逆転の第2ラウンドが始まり、再度料理の旨みを味わうことができる。。
これは、「皿舐め」特有の特権かもしれません。
なんか、今のところ、「皿舐め」優勢な気がします💦
では、少し視点を変えて、環境問題なんかも視野に入れてみましょう。
世界の人口は増加傾向にあり、そのうちに食糧難が必ずやってくると言われています。ですので、そうならないように、「食べ物を無駄にしない」いわゆるフードロスというものが取り上げられています。
食べられるものを廃棄処分するのはやめましょう、と。
これはごもっともです。食べ物は人類にとっても地球上の生き物にとっても非常に重要な命の源ですから。
僕がまだ小学生くらいの時に、親戚の家でご飯をご馳走になっている時に、親戚の兄ちゃんから言われたことがあります。
「米粒ひとつ残したら目ん玉がひとつなくなるんだよ」、、と。
米粒ひとつで目ん玉がひとつ、、、
これは大ごとです。。。だって、米を食べ終えたと思っていても、うっかり茶碗に二粒残っていたとしたら、目ん玉2つなくなる、つまり失明してしまう、、、
「やべえ、、、ちゃんと米を残さず食べよう」
幼い僕は「そんなハズないやん笑」とかも言い返せず、真剣に「残しちゃダメなんだ」と思ったものです。
つまり、昔の人たちは、そのくらい米粒ひとつでも大切にしていたということであり、食べ物は絶対に残すべからずという精神が少なからず日本には根付いていたんじゃないか、と思われます。
で、この観点から見てみると「皿舐め」は優等生そのものです。まるで新品のお皿みたいに綺麗にしてしまうのですから。
てなわけで世界の食糧事情から見てみると、これも「皿舐め」が優れているようですね。
次は、皿を洗う立場になってみましょう。
普通は油やらソースやらその他なんやらかんやらがベットリと食器に残っています。まずはスポンジなどで大雑把に汚れを落とし、それから2度洗いしたり、食洗機にかけたりしますね。
ところが、皿舐めを施された食器たちは
「もう俺らひととおり綺麗になってるぜ!」
と言わんばかりに輝いてしまうのです。
洗い手からしたら
「あら、、もう食洗機に直行でいいじゃん」ってなるかもしれません。するとどうなるかと言うと、水道費、洗剤費、皿を洗う人件費、なんかいろんな諸経費の削減に繋がる。
これは、飲食店経営者からしたら目からウロコではないでしょうか??
「当店の料理は皿まで綺麗に舐めまわして召し上がってください」なんて看板を立てる店が出てきてもおかしくない。
では、食べる側の肉体的には、どうでしょう??
食べ物を食べるという行為は、思っている以上にいろんな能力や筋力を使ってしまうものです。食べ終える頃には「アゴが疲れた、、」とか言う人もいると思います。
そんななか、皿舐めをするとなると、また舌の筋力をかなり酷使することになると思われる。
さらに、アゴを開け続けて皿を舐め回すのにアゴの力もかなり消費するのではないでしょうか??
そして、深皿とかだったりしたら、思い切りベロを伸ばして器の奥の方まで捜索活動をせねばならず、極限まで伸ばしきった舌が「ピキーン」と悲鳴をあげてツってしまう可能性がある。
これでは食べる喜びもへったくれもありません。苦痛が待ち受けているのですから、毎回食事が怖くなるかもしれない。
しかし、ヨガの修行みたいに何年も続けていたら、そのうち舌も伸びてきて優雅に皿舐めできる身体に進化する可能性もあります。
人間の無限の可能性を引き出すといった点でも、「皿舐め」が優勢な気がしてきます。
そして、舌が伸びるということは、言葉の発達という思わぬ副産物も付与される可能性がある。
「舌足らず」とは言いますが、舌が短いと発音にも影響してうまく喋れない、そして「俺って喋るの下手だな、、」と自己嫌悪に陥り、喋ることが出来るのに無口になっていき発語ができなくなる。。
ところが「皿舐め」を幼少期から実践していたならば、「舌」の発育が通常よりも促されるので、発語も流暢になるのではないか?と思われます。
言語の機能から、人と話す時の精神面の安定感、といった思わぬ効果が「皿舐め」にはありそうです。。
どうしよう、、
皿舐めるのって良いことだらけじゃん、、、
読んでいるあなたもそう感じているハズ
まとめに入りますが、トータル的に見て、「皿舐め」は利点も多く、絶対にやってはいけない、と決めつけるわけにはいかないということが検証されました。
むしろフードロスなどに見られる最先端の時代の流れから言えば、これはもう「皿舐め」一択のように思われる。
さて、みなさんはどうする???
舐める??舐めない??
また長くなってきたので今日はここらへんでやめておきます。
結論
「皿を舐め回す人がいても、安易に非難するのはやめよう」
このレポートをいつの日か、職場の会議で提出して、「なるほど、、」とみんなを納得させる日が、、来るのか???
来ますかね???
読まれた方のご意見を舌を長くしてお待ちしてます。
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