触って握ってについて




衝撃の亀甲クラブデビューを経て、僕は燃えていました。公園でじっと立ったり、ゆっくり歩いたり(これも意拳の練習)、あとは太極拳も24式とかは本で覚えてたので、仕事の前に早朝の公園で見知らぬおじいちゃんと2人で24式をやったりしていました。

この頃、僕は保育園の正規職員ではなくなっており、パートみたいな感じでゆるく働いていました。前の年に園長と喧嘩して「やめるわ!」みたいなモードになってたんですが、次の転職が決まらず路頭に迷い「やっぱりもう少し働いとく??パート扱いだけど笑」と甘い言葉をかけられ、プライドもなくノコノコと残留に甘んじたのです。

仕事は少し楽になりましたがパートなので金がない。僕は毎日焼きそばの材料を買ってひたすら焼きそばを食べていました。焼きそばは材料費が安いし作るのも簡単で腹もちも良い。
(余談ですが数年前にgn8mykittenくんの「焼きそば」をライブで聴いた瞬間、あまりにも自分と似た境遇すぎてハッとしたことがあります)

朝は不審者のように公園にじっと立ち、仕事に行き、帰って毎日焼きそばを食らい、また田んぼや海岸に立つ。もっぱらその繰り返しです。
そんな生活を送りながら、仕事のシフトが遅番じゃない時は、月に1〜3回、亀甲クラブへ通うようになりました。

亀甲クラブは、だいたいまっつんと僕を含めて4〜5人くらいしか集まりません。いわゆる、ゆる〜い運営なんです。菩薩のような優しい笑顔のおばあちゃんがいつも畑の話とかしながら会費を集めます。僕は仕事で毎回は来れないので一回千円で触って握ってをやらせてもらってました。

相変わらず亀甲のみんなは触って握ってを繰り返しながら「あら凄い〜」とか「うわー今のは効いた!」とか楽しそうです。


で、ここまでながながと僕の怪しい自伝小説を弟子に読ませてるみたいになってしまいましたが、、、いよいよ本題に入ります。


触り稽古しながらここの人たちはいったい何を練習してるのか。



握りあい触りあいの先に何があるのか?


いつも、童顔の先生から触って握っての際にしつこいくらいに何度も言われ続けたことがあります。それが、


「相手に触られているところで争うな」

でした。


「触られているココを、無にするのよ」

「相手を意識せずに、遠くを意識して」

「右手を握られてても、左と右の両手で大きな壺を抱えてると思って動かすんよ」


方法論はいろいろありましたが、総じて言えるのは、いかにして相手との接点に自分が執着しないか、の訓練を握って触ってしながら行っていたのです。


これがうまくいった時は、フワッと相手を動かせたりとかができるんです。そうすると先生が、「そ〜う そうそうそう〜」「ああ〜もうだめ」と言いながら嬉しそうに倒れたり飛んでいったりします。



いつも練習の流れはこれです。

最初に「握ってみて」で僕が先生の手を握り、次の瞬間には体勢を崩されたり倒される。

今度は僕が先生に手を握られて、動かす。もちろん力がぶつかって動かない。そうすると
「違う違う」とか「まだぶつかっとる」とか指摘されます。

「相手に握られてる、と思わないのよ」「自分の指先からビームが出ていて、相手のことは無視して、ビームが動くような感じで動くのよ」とかいろいろ先生のアドバイスが入ります。


それで「はい」と言われた通りにやってみる。


すると「そ〜う そうそうそう〜」「おおー」とか言って先生が変な体勢になりながら喜ぶ。人生の大先輩が大喜びで床に転げたりして大はしゃぎします。

それで、次は手の持ち方を変えたり、暴漢に首を掴まれた時には、みたいに形が発展していき、先生から指導を受けながら、僕の動きがうまくいったら先生が「そ〜う!そうそうそ〜う!」とか言いながら変な体勢で歓喜する。


だいたいいつもこの繰り返しでした。

今思えば初心者にわかりやすく教えるため先生が大袈裟にリアクションしてたのかもしれません。

ちなみに、まっつんは昔から剣道してて体格もかなりいい大きめの男性なんですが、まっつんにも技が効いたりしたら面白いように崩れたりするから、嘘じゃないんだな、という感じはありました。


そして、先生の「そ〜う そうそうそ〜う」の時の自分の身体の感覚や意識の感覚とかを少しずつ毎回覚えて、帰ったらその感覚を頼りにまた小一時間くらい立ち続けたり、太極拳の型をやったり。

音楽がこれまでは感情の捌け口とか自分の表現方法だった僕にとって、「自分を表現する」という意識が180度方向転換したのも思えばこの頃だったと思います。


そしてこの頃、自分でもどうなの??と思うような、ただの変人としか思われないような奇行を修行の一環と称して休みの日の公園で数々やっていました。次回はそこら辺を書こうかなぁ。

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