弟子ができました。



みなさん初めまして。身体についての考察をこの度こういったかたちで残しておくことにしました。

僕はドラムを長年叩いているんですが、先日僕のライブを観に来てくれてた若手のドラマーから、ドラムを教えてください、と言われたんです。

やっぱり嬉しいじゃないですか?若者からそんなこと言われたら。で、いろいろ話してたんだけど、結局僕自身がドラムを習ったことも教えたこともほとんどないので、パラディドルって、、こんな感じのやつよね??とか逆に僕が教えてもらうみたいになりました。

それで、ドラムは置いといて、身体の使い方とか体術とかについて彼らに話したんです。僕が学んできた武術のこととか。

それで、なぜこの記事を書こうと思ったかというと、ドラムの弟子が3人できたわけなんですよ。(そのうち2人はまだライブも観たことないけど、、)
弟子入りしたなら何か彼ら彼女らに形として残しとかないと。

とか考えていたら、なんとなくこういった文章を書き始めていたという経緯です。

そういうわけで、今日は僕の武術的な入り口になった意拳や太極拳について書こうと思います。

今から16年前、独学で勉強して保育士資格をとり、念願の夢見ていた保育士になり、保育園に就職したんですが、夢は儚いもので、そこで怒涛の長時間労働、嵐のようなパワハラモラハラを受けていました。子どもは本当に可愛いし素晴らしい仕事なんだけど、労働環境、人間関係が尋常じゃないストレスでした。

私生活では、夢見ていた仕事に就職したのに日に日に病んでいく姿に愛想をつかされ、6年間同棲した彼女に見事に別れを告げられました。
また、バンドは当時かなりイケイケドンドンなガレージポップパンクをやっていて、フジロックのルーキーステージなんかにも出たりしていたんですよ。有名老舗レーベルから7インチレコードとかもリリースしてもらったりして、各地のツアーもガンガンやってました。ただ、バンドは生物といいますが、うまく行く反面亀裂も生じまして、空中分裂しまして、「バンドなんか2度と絶対やらねえ」と当時の地元音楽シーンから足を洗ったような形になりました。

その頃、手に取った酒見健一氏の中国思想みたいな本を読みまして、中国憲法とか拳術家の歴史なんかが書いてあったわけです。

とりわけ目を引いたのが「意拳」でした。

これはどのような武術かというと、読んで字の如く、意識の拳術、なんです。普通は武術といえば、なんらかの「型」が存在し、それを反復練習することで動きを身体に染み込ませるわけです。これはスポーツでも、ラケットとかを素振り何百回とかやるのも同じです。意拳には、そのような太極拳みたいな型がほとんどない。ではどうするのかといえば、修行法としてはとりあえず、じっと立ち続けることなんです。ただただ立っている、とにかく立つ!
それだけで強く健康になる。なんじゃそら??ってなりますよね?

これにはしっかりと理論と裏付けがあり、今となっては意拳は素晴らしく完成された武術だと身に染みて思うんですが、当時の僕はチンプンカンプンで、わけもわからず、しかし何か惹かれるものがあって、近所の公園で毎朝じっと立ってから仕事に行く、という生活を送っていました。

この頃はとにかく書籍で読んだやり方をむやみやたらにやり続け、術理も意味もわからず立ってるもんだから、近所の人から見ればただの不審者でしかなかったです。

そうこうしている時に昔からの友人の家に忘年会で呼ばれて、紹介されたのが徘徊堂のまっつん君でした。

忘年会で僕はその怪しい拳法について語り、その場のみんなからなんとも怪しい変人扱いな感じで笑われました。しかし、まっうん君だけは違いました。まっつんが言うには「俺もそういうのを習ってるから、是非おいでよ」と。まっつんが習っていたのは正確に言うと太極拳なんですが、また今度詳しく書きますがまず型はほとんどやらない。やったとしても分解練習で一部分だけ。で、この動作は実際はこうやって人を〇〇するんだよ、みたいなエグい術理を習うわけです。

それから僕が「亀甲クラブ」に足を運ぶまでにそう時間はかかりませんでした。なにせ、怪しい不審者がなにやら怪しい修行をしている集団、しかも名前が「亀甲クラブ」。そんな怪しい三昧の集まりで、僕はいろいろと武術について教えてもらうことになるのです。

少しだけど思ってたのにこんなに長くなってしまった。また今度続き書きます。

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