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タマゴ??ニワトリ??
びっくりするぐらいに弟子に向けて何も書いてない気がする笑
note書き始めてから、自分の思考とか今の状況とかがえらくスッキリ頭の中で整理できたり、頭というか意識にストンと落ちるような感じがあります。だからほとんど僕自身のために書いてるようなもんです。
こういう機会をくれた弟子、ありがと笑
(なお、弟子が読んどるのかは不明)
一応、今までも身体とか意識の実践とかについては、時々思った時にメモしたりすることはあったんです。
だけど、自分しか読まないパーソナルな文章じゃなくて、もしかしたら誰かが読むかも、と思って相手になるべく伝わるような言葉を選んでアウトプットする行程が、どうも実は脳とかに直結して具現化してるんじゃないか、と思うようになりました。
まだわからんけど。
note書いてなきゃ亀甲の先生に連絡とってまた通おう、とかももしかしたら思わなかった。いや、思ってたけど行動に移してなかった気がする。
行動心理学とかでもしかしたら出てくるのかもしれない。noteとかブログでやってみたいことを書いてたら勝手に脳が変換してほんとに行動し始める、とか。
で、僕は話し下手というかボキャブラリーや引き出しが異常に少ないのと、会話の中で頭の回転が追いつかなくて勝手に頭まっしろになることがよくあります笑。
なので相手から振られた話題というものが昔からあんまり得意じゃないんですが、、、
逆に世の中には例え話が上手な人って、いますよね。
相手から「こないだこういうことあってさぁ、、」とか「こんなこと考えてるんやけど」とか話しかけられる。
そしたら即座に
「なるほど、それって例えば〇〇みたいなことよね」とか
「自分も似たようなことでコレコレこういうことがあってさ、、」
みたいに、自分の引き出しから相手の話にシンクロした話題とか題材を提供できる。
そういう人って、相手の準備した土俵に上がって、その話題の本筋や考え方を自分の中で既に落とし込めてる人だなって思います。
だから、例え話とかが上手な人は
相手のマインドに合わせて話題が提供できる
相手の状態をちゃんと理解したうえで言語化できる
言うなれば大は小を兼ねちゃってる状態なんじゃないかな。
(ちょっと違うか笑)
豊嶋さんとかは正にそんな感じがある。
亀甲の先生もしかりです。
会話だけじゃなくて身体のこととかになったら尚更、例えを示したり応用技を提供できるっていうのは、ほんとうに身体が使えないと出来ないと思う。
上手な人と触り稽古とかをしてると、ひとつの動作を取り上げてる時に、
「少し変えてこの動きでも同じ原理で動くよ」
とか
「ちょっと変えてこのやり方でも出来るはずよ」
みたいな展開がずっと稽古中は続いていって、最終的に全然違う内容に変化していくんです。
だけどやっぱりやろうとしてることは最初から一貫して同じことだったりする。
方便やアプローチを変えていくけど根本的な意識とか身体の操作のキモの部分は変わらない、というのをいろいろやりながら再認識していく。
この触り合いの稽古とかを通じて、相手の身体の情報とかを聴き取ったり、動きを察知するスキルが高くなればなるほど、日常会話とか日常場面で相手に合わせるという対応スキルも向上するんですよねおそらく。
企業の新人研修とかで取り入れたらいいのに。
「本日の研修を始めます。ではまずココを触ってください」的な。
みんなで怪しい感じで握り合いしたりして。
考えただけで面白くてワクワクしてきます笑
相手に対する察知能力が高ければ高いほど、売れる商品も浮かぶだろうしクレーム対応も上手くなるんじゃなかろうか??
会社でどんだけ座学するよりも、触り合い稽古した方が業績が上がると思う笑
話逸れましたが
そんな修行を常に繰り返してる武術家の
もっとも突き抜けた姿は
「争いに巻き込まれることがなくなる」
だと言われています。
相手に変幻自在に合わせられるし、もし合わないと察知したら近寄ることをしない。
状況適応能力とか危機回避能力が高まりすぎて、まず争いには巻き込まれない。
もしくは、争いが起こってる状況に入っていって静かに収めることもできるようになるかもしれない。
これは高名な中国武術家の宮平保先生もおっしゃられてた。
「われわれは争いをしないようになるために、その争いの極限にある殺し合いみたいな場面を想定して訓練するんです」的なこと言われてます。
温和なトーンでこういうことを語りながら、実際の技はえげつなさすぎるから痺れます。
で、つまりは
タマゴとニワトリ論じゃないけど、、
争いをしないために争うみたいな??
パラドックス的な??
争わないために争ってたら争わなくなる、、、
(タマゴとニワトリじゃないな、、、やっぱりボキャブラリーが少なくていいワードが出てこん笑)
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争わないが先か?争うが先か?の図
人と争わない、そのためにいろんな人と争いみたいな場面を想定して手合わせをしていく。
そういう修行をしながら、世の中いろんな人がおる、ということを対処法も含めて学んでいく、みたいな感じなのかもです。
うーん、、
これを例えばドラムとか楽器で置き換えたら、、、
「どんなミュージシャンとも気持ちよく演奏できる」とかなのかな?
パンクスでも、メタラーでも、ノイズアーティストでも、ジャズミュージシャンでも、演歌歌手でも、サンバもカントリーも童謡もヒップホップもカラオケ喫茶の生演奏も打ち込み系の電子音楽も
いろいろ武者修行するのも悪くない、、のか?
いやでも、さすがに人間だし
好みはあるから
〇〇〇とか〇〇〇〇とかを演奏しろと言われたら、悶絶しちゃいますね。
好きじゃないものには手をつけないのが1番
極論、好きなことを、やろう
よし、今日はここまで。
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