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人見知り理論


人見知りって何だろう。

初対面の人とうまく話せない
大勢と話すパーティー等が苦手
できるだけ一人でいたいと思う
心を許している人となら難なく話せる

こんなところが「人見知り」と称される人の特徴だと思う。

そんな「人見知り」には、2パターンあるんじゃないのかな…っていうのが最近の気づき。


一つ目は、自分に自信がないパターン

二つ目は、コミュニケーションに怠惰なパターン



1、自分に自信がないパターン

これは、世間一般で思われている、いわゆる「人見知り」だと思う。

成長していく過程で、他人と自身を比べて自己肯定感が低くなったり、他人の自身に対する評価が低いことに気づき、コミュニケーションを警戒するようになったパターン。

コミュニケーションの警戒っていうのは、

「あの人は私のこと苦手って言ってたな。じゃあこの人ももしかしたらそうかも。いつもとは違う感じでコミュニケーションをとった方がいいのかな」

と忖度を繰り返してがんじがらめになることだと思う。心の中では、誰からも愛されたいし、人間と仲良くなりたいと思っている。

このタイプの人見知りは、終身のものでもあるし、克服可能な一過性のものでもある。人生で発生する各イベントによってそのステータスは更新されていくと考えられる。


2、コミュニケーションに惰性的なパターン

こちらは、「人見知り」の特徴とは合致しているものの、当人の考え方はいわゆる「人見知り」パターンとはかけ離れているかもしれない。

一言で言えば、コミュニケーションの過程が面倒臭いと感じてしまう人。

自身のやりたいことにしか興味がないため、他人とのコミュニケーションが無駄だと感じる。その結果、適度な相槌を打つ方法がわからなくなり、微妙な空気感が生まれる。

その空気感が苦痛となり、「それなら仲のいい友達と深い話をしている方が良い」と結論づけてしまう。

そもそも論で、誰からも愛される人間になることに価値を感じていないし、自身にとって有益な関係性をより深めることに価値を感じてる。一方で、新しい理解者を得たいとも思っている。

このパターンの人は、定員さんにオススメを聞いたり、見ず知らずの人に道を聞いたり、突発的かつ短絡的なコミュニケーションは難なく行える。

むしろ得意ですらある。と最近人間観察をしてて思ったんだけど、どうなんだろう。

アーティストや趣味人、研究者系、没頭タイプにこういう「人見知り」パターンが多い気がしていて、そういう人たちと会話をするならば、ファーストコンタクトでいかにインパクトを与えるかが鍵なのだろうな…

とふと思った日曜の夜。


【追記】

SNSの発達で、「相手方のプロフィールや趣味趣向、スペックを事前に知ってから会話に臨む」ことが日常になった。その時代の変化が、新たな人見知りパターンを増やす一因になっているのかもしれない。


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