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五條瑛『Patriot’s Casanova in YOKOTA 1』感想

 本作は五條瑛の代表的シリーズである「鉱物シリーズ」の主人公・葉山の上司である情報部長「エディ」が、将来有望な士官として極東日本にやって来たばかりの「ウォーレン」という若き大尉であった時の物語である。

 「鉱物シリーズ」本編(鉱物の名を冠した作品)は、集英社(単行本、のち集英社文庫)で『プラチナ・ビーズ』、『スリー・アゲーツ』が出版された後、小学館文庫『スリー・アゲーツ 二つの家族』(上下巻)、『パーフェクト・クオーツ 北の水晶』、『パーフェクト・クオーツ 碧き鮫』として出版されている。シリーズ読者はご承知のように、半島編四部作は『ソウル・キャッツアイ』で完結する。『パーフェクト・クオーツ 北の水晶』のあとがきで、それまでのシリーズ作品が売れなかったために続編が出版されなかったことを著者は率直に述べており、次作が出る可能性が低いことを示唆しているが、残念ながら『パーフェクト・クオーツ』は『―北の水晶』、『―碧き鮫』ともに売れなかったそうである。シリーズ愛読者・五條作品愛読者には俄かに信じられないだろうが、急に大反響がありヒットするというようなことがない限り、現在のところ『ソウル・キャッツアイ』が商業出版される可能性はほとんどないと言ってよい。

 半島編四部作に引き続く大陸編の他にも、たくさんのサイドストーリーが描かれ、著者の「作品の棺桶」に葬られている。この『Patriot’s Casanova in YOKOTA 1』も、そのような作品の一つである。著者の親しい仲間たちしか読むことのできない「作品の棺桶」に入っていた本作を、今回そのお仲間の方が自腹を切って製本され、その一部を希望者に譲られた。そのうちの1冊を筆者も五條先生から譲っていただいた。拝読できる機会をくださったその方(お名前を出してよいのかわからないため、このように書かせていただきます)と、五條先生に深く御礼申し上げたい。その御礼代りにもならないかもしれないが、拙い感想を書く。

 なお、2021年12月6日現在、kindleにて葉山の父リオン・ハヤマの物語の1作である『Beat the north end: Riom HAYAMA special stories 鉱物シリーズ』、シルバーオクトパシーシリーズの第三作『棺に金の雨が降る: シルバーオクトパシー3』が販売されている。これもまたその方が配信事務をしてくださっているものである。ご本人・著者にとっては赤字でほとんど得るものがない中購入できる機会を下さっており、事情に理解がある方のみ購入されたい。(いつまで配信されるか不明)


[以下ネタバレを含む感想]

 本作は「The Eagle Has Landed」、「From the Middle East to the Far East」、「Alliance made of sand」の三編と、Special storyとして掌編「Sleeping sweet breath」から成る。

各章のあらすじ

【The Eagle Has Landed】

 ウォーレンが横田に降り立ったのは冷戦終結の翌年のこと。冷戦の終わったその年に起きた天安門事件は、アメリカの関心を東アジアに移すこととなった。エリート中のエリートであるウォーレンは、極東日本にやって来た理由をそのような文脈から表向きは説明するが、彼はリオン・ハヤマによって変えられた「運命」を受け入れ、やってきたくて日本にやってきたのであった。
 極東情報部の次期部長と目され横田に派遣された若きウォーレンの能力を見極めようとする情報部長から、蛇頭の密航船に乗りアメリカへの亡命を希望する中国人の中から、本物の政治難民を見つけるように指示される。ウォーレンが見つけ出した真実とは?

【From the Middle East to the Far East】

 着任から数か月、ウォーレンは「日本」という異なる国について理解するため、アメリカ大使館の武官付きの連絡士官という職務を活用し、頻繁にフェンスの外に足を延ばしていた。ある日大使館でスミスという総務課の平凡そうな男から、個人的な通訳を頼めそうな人間を探していると持ち掛けられる。退屈をしていたウォーレンは、どこまで本当かわからない下手な芝居をするスミスの話にのり、知り合ったばかりの葉山を通訳として紹介する。この男の正体と目的とは?

【Alliance made of sand】

 イラク軍のクウェート侵攻により睡眠時間を最小限とするほど多忙となる中、ある日葉山からスミスの通訳業務の中で気が付いたことを伝えられる。日本の有名繊維メーカーの生地の営業マンと会っていたというのである。何のためにスミスはこの時期に日本の繊維メーカー営業マンと会っていたのか?

 本作で描かれるのは、冷戦終結後大きく変容する世界と、いつまでも覚悟を決めない日本に対するアメリカの視線である。「Alliance made of sand」の最後で、冷戦終結により韓国とソ連、そして中国が国交を樹立する見込みであり、ソ連の安全保障の傘の下にも入る準備をすすめ、また韓国の国連加盟を実現する際に、北朝鮮とそろって加盟しようとしている動きが伝えられる。クェート侵攻により残されたビジネスマンたちを穏便に帰国させる都合のいい願望しか抱いていない日本の目と鼻の先で、朝鮮半島情勢は大きく変化していた。戦後日本の自由と独立を守り続けてきたアメリカは、「日本よ、同盟の旗を振れ 血を流し、犠牲を払え 我々と共に歩む気ならば覚悟を示せ」と、日本に決断を促すために静かに動く。  

 そこから現在に至るまで、「軍隊」を持たない日本は絶えずこのような視線にさらされていることだろう。日本の安全保障の根底にある日米同盟について、ごくごく一般の日本人は知ることも、どのようなものなのか関心を抱くことも少ない。そのような日本人では全く見えない世界を、五條瑛という作家は自身の防衛庁での経験をもとに鮮やかに切り取り、描き出し、警鐘を鳴らす。

 「The Eagle Has Landed」では、天安門事件時のCNNへの協力者であった民主活動家が本物なのか確かめることになる。弾圧の中、危険を冒しながら命がけで情報を送る活動家の協力者は、弾圧されるリスクを回避するために本名を明かしておらず、さらにCNN側も面識がないため本人確認ができない。そのためウォーレンの出番となったわけだが、現在同様のことがアフガニスタンでも起きていることは想像に難くない。

 「From the Middle East to the Far East」「Alliance made of sand」では、一見何の関係もないような中東情勢が日本と繋がっており、日本で得た情報を利用して商売のことしか考えていない日本を西側陣営に巻き込むことになる。『星条旗の憂鬱 Analyst in the Box1』(文芸社文庫)で、東アジアと中東とを同じ視界に捉える米国の視点は、断片的であるがすでに描かれている。朝鮮半島情勢を描く『プラチナ・ビーズ』前日譚に当たる本作ではっきりと描かれたこの視点は、大陸編にて本格的に描かれることになるようである。大陸編の内容について断片的には伺っていたが、おそらくこの視点こそが鉱物シリーズの中核であり、ウォーレンが日本にやってきたまさにこの時から大陸編へ向けて物語が紡がれていたのかと思うと、本作を拝読できたことは感慨深い。

 本作はウォーレンと葉山の出会いの物語でもある。「The Eagle Has Landed」の最後で、ウォーレンは田所の研究室を訪ね、葉山についに出会うことになる。必ずいつか会いに行くと決めていた葉山との出会いは、リオンの突然の死で止まっていたウォーレンの心の時計を動かすものであった。つづく「From the Middle East to the Far East」「Alliance made of sand」では葉山の才能の片鱗が描かれる。ウォーレンは兄のように優しく葉山に接し距離をつめるが、この業界に引き込むために取った態度というよりは、リオンと外見は全く似ていないが、まぎれもなく本質が似ていて才能あふれる葉山を愛おしむ気持ちからである。対する葉山の方は、世間擦れしていない箱入り息子で、父の部下であった年上の情報将校であるウォーレンに敬意と憧れを持っている。このように良好であった両者の関係が、10年経てどうして「ドブ川」が流れる視界不良な関係(『スパイは楽園に戯れる』の洪との会話)になってしまったのだろうか?『プラチナ・ビーズ』直前に葉山が「反抗期」になるような何があったのか、一層気にかかるところである。

 ウォーレンの有能さとカサノヴァっぷり、シリーズ本編ではなかなか描かれない彼の本心が堪能できる『Patriot’s Casanova』は三部作で、その後『Velvet Virgin』シリーズ(『プラチナ・ビーズ』以前の葉山の物語?)に続くそうである。若き大尉の活躍を、新人葉山の成長物語を、坂下、洪、仲上、サーシャの視点からの物語を、最新の国際情勢を織り込んだ大陸編を、もっともっと読みたいというと思う気持ちが高まるばかりである。