竹刀を抱く 7

桜が舞うさわやかな風の中を二拍子で、川沿いの土手道を裸足でランニングするのは剣道部だ。
大学の敷地内を流れるこの川の土手は、昔から剣道部が走り固めて、もう土がてかてかした木の廊下のように落ち着いている。
よほどの雨でも土が流れるようなこともなく、表面は踏み固められている。
床をすり足で移動する剣道者の足の裏はかなり分厚い。その足の裏を作るためもあって裸足で走るのを練習の一環にする人も多い。
俺の入った大学は、この川の桜がきれいで有名だったが、毎日ここを走っていると花の香りの中で酔いそうになる。強いにおいではないがちゃんと花の香りで、酔うというか迷うというか、花酔いとはこういうものだと初めて知った。
昔の人が奈良の吉野で花に惑い、鬼と出会ったり神を感じたりしたという話が嘘でもないと思う。
もうすぐこの花は終わる。
すでに柔らかそうな葉が何枚も開き始め、陽に透けて黄緑と赤紫色の間のようなきれいな色だ。
ここに来るまでこんな風に桜を見上げたことがなかった。
そのことを佐崎に話すと、驚いたような顔をして俺をみた。
「お前がそんな風雅に気がつくなんて、ね」
俺が季節感や情緒に欠ける人間だとでも言うのかとふくれると
「いや、お前はとても若いからそういうことに興味が湧かないと思っていただけ」
と俺の背中に自分の背中をくっつけた。小刻みな震えが伝わる。
「何笑っている。同じ年のくせに」
ふふっと声を漏らした佐崎が俺の方を向いて
「僕のことをいつも年寄り扱いするのはお前だろう」
と俺の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
確かにお茶を嗜み、美術館で水墨画に見入り、ベッドより布団で寝たがる佐崎を俺はおじい様と呼んでからかうのが好きだ。
相変わらず試合では負けることが多い俺だが、恋人としてはいつも主導権を握らせてもらうことが多い。というより佐崎はいわゆる甘えン坊だ。
こうして二人で部屋にいるといつも俺の体に触れていたがる。
本を読んでいるときは近くに座って背中が触れているし、テレビを見たり、ソファに座っている時は隣に座り、どこかしら触れさせている。
寝るときもどこかにふれている。しかし、それ以上のスキンシップはめったにさせてくれない。
「佐崎。飯、今日はどうする」
「うん。作るかな。買い物に行こうか」
「お前が作ってくれんの」
「いいよ。僕の料理でいいなら、ね」
「まあ、最近ましになったし」
「お前が上手すぎなんだ。見かけによらず」
「うちは、母親も働いているからな。俺は中学のときからラーメンもチャーハンも自分で作れたぜ」
「じゃあ今日も作ってくれ」
「だめだ。お前が言い出したんだから、今日はお前が炊事班」
「はいはい」
よく行くスーパーに買出しに出ると佐崎は全く俺にふれない。
一歩外に出るとまるで普通の男子学生同士になる。
そこに俺はちょっとむかついたりする。
「何を食べるかな。パスタは飽きたし何か初めての物にしたいな」
「何でもいいぜ。美味ければ」
「ああ、これにする。新キャベツと書いてある。色がきれいだ」
佐崎は色がきれいというコンセプトでいくと宣言すると、人参やらパプリカなど色とりどりの野菜をカゴに入れ始めた。
いったい何を作るつもりなのか疑問だがほっておいた。料理の経験がない男が何を考えているか計り知れない。
手も口も出さずに、熱心に材料を選ぶ佐崎の後を付いて行くのはとても楽しい。最後に鮮魚コーナーで海老と烏賊の切り身を買ったので案外まともなことを考えていそうだと期待した。
そしてその期待は予想以上だった。多分この男は俺より料理の才能がある。
キッチンで買ってきたものを並べてしばらく眺めていたかと思うと、俺に鍋を出させて調理を開始した。
「手伝うか?」
「うん。野菜洗って切って。少し大きめ」
指示も的確だ。自分は鍋に投入する烏賊と海老に下味をつけている。
これはなんという料理か分からないが、海老と烏賊をオリーブオイルでいためたところへ色とりどりの野菜を加えている。塩胡椒を振って軽くあえるときに、少し何か液体を振りかけた。
濃い色はついていないが広がりのある味の炒め物になっていた。
そしてキャベツは軽く蒸して大皿に盛られ、カリカリベーコンを散らしてある。
「お前、料理好きなのか」
「うん?考えるといろいろ試したくなる。お前が作るのを見てからだよ」
ジャガイモのスープもついて、結構なテーブルになった。
出会った頃は、こんな風に二人で過ごす日がくるなどとは思いもしなかった。休みの日にゆっくりと恋人として料理を楽しむなんて、想像もしていなかった。
俺は両親が二人とも働いていたので中学生のころから簡単なものは自分で作って食べていた。どんな具材とあわせてもさっと作れるパスタや、野菜も肉もいれた具沢山のシチューみたいな味噌汁などをよく作った。それは、時間もかけず割とバランスよく食べられるからで中学生の育ち盛りは母親の晩飯が待てないからだった。それに味噌は、でたらめに入れた雑多な材料をひとつのスープにまとめてくれる。
料理に凝るとか好きと言うことではない。それに反して佐崎の味はコンセプトと言えるこく、がある。
俺がそう言うと、
「さっきのはワインのあまりとバルサミコ酢を混ぜて振っただけだよ。烏賊にはあうな」
笑う佐崎の歯が真っ白で、俺はそれだけで内腿に震えがくる。
ささいな日々の会話の中から、新しい佐崎に触れて日々夢中になっていく自分を感じる。

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