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【御城印めぐり】#長久保城

【長久保城(ながくぼじょう)】

住 所 :〒411-0934
     静岡県駿東郡長泉町下長窪1074

アクセス:「ウェルディ長泉」バス停下車,徒歩3分
駐車場 :有り 城山神社公園駐車場(無料)
御城印 :有り 
     御城印販売所
    ・長泉ビジターセンター
     静岡県駿東郡長泉町下土狩1283-11
     コミュニティながいずみ2階

長久保城 御城印 五大勢力せめぎ合い 300円(税込)
長久保城 御城印 秀吉家康最終軍議 300円(税込)

城郭構造:平山城
築城主 :今川氏?長久保氏?
築城年 :戦国時代?
廃城年 :1600年(慶長5年)or1613年(慶長8年)
主な城主:今川氏、北条氏、武田氏、
     松平家忠、牧野康成、中村氏
遺 構 :曲輪、土塁、空堀

城山神社の長久保城案内板
「長久保城」由来の碑

長久保城の詳細は不明ですが、今川氏によって築かれた城だと考えられています(長久保氏による築城説もあり)。1537年(天文6年)の「第一次河東一乱」で北条氏綱に奪われましたが、1545年(天文14年)の「第二次河東一乱」で今川義元が武田氏の援軍を得て北条幻庵が守備する長久保城を包囲します。北条氏康は後詰に向かうも、上杉憲政らに包囲された河越城の救援を優先し、義元と和議を結び今川氏に返還されました。なおこのときの合戦が「河越夜戦」です。義元の死後、北条氏と武田氏によって争奪され、武田氏滅亡後は徳川氏の所領となり、松平家忠が入城しました。その後、「小田原征伐」の際には徳川家康は豊臣秀吉をこの城に招いており、秀吉はこの城から攻撃目標の山中城へ視察に出ています。現在城址には城山神社に土塁と空堀が一部残っていることを確認できます。裾野バイパス沿いに城址碑が建てられています。

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