見出し画像

勉強のためにライトノベルを読む①

中学生時代に大好きだった作家さんのファンタジーバトル系ラノベを教材とする。
勉強になりそうだなと思ったことを好き勝手に走り書きする、自分用の勉強ノート。
※続くかは分からないし役立つかも分からないので、読む方は「ふーん」くらいにお読み下さい。

1.意外と曖昧で格好を付けない表現が多い。
何となく自分が「この表現すごく稚拙に感じるから別の言葉に置き換えなきゃ」と思っていたようなフレーズが思ったよりじゃぶじゃぶ使われている。ニュアンスで伝わりそうな部分はぼかしたり省いたりしている。別にキメの部分じゃ無いから伝わればいいだろう、という感じの抜き方をしている。でも「勉強するぞ!」という意識で向かい合わなければ別に気にならない。
これでいいなら私もこれがいいな……いつも「なんかもさもさしている」という感覚になって無い語彙絞り出して書き直す部分が全部そのままでいいなら、かなり楽になる。量を書くなら多少大味にならないと、書く側もそうだけど読む側も息詰まっちゃうもんね。

2.三人称的一人称だが、一人称視点の主語が結構削られてる
Aの視点から書かれていたとして、Aから見た景色であることはもう分かる、と読者が思える程度描写が済んだら、それが客観的事実として描かれる。Aの心理描写を交えながらも、それがA視点であることをくどく説明しない。
自分の文が「説明的」と言われる理由ってここにあるのかもしれない。読んでいれば察されるような内容を念押ししたくなって間延びしてるのかも。

3.フィラー的表現が思ったより多い
三人称視点でも、恐らく、すなわち、あるいは、つまるところ、のようなツナギの単語が多い。ホントに多い。個人的には「間を作るのに使わざるを得ないけどあんまり使いたくない、なぜなら文字数稼ぎに感じちゃうしもさっとするから……」と思っていたけれど、もうちょっと気軽に使っても良いかもしれない。

4.視点移動が結構自由自在
ここまで列挙してきて思ったけど、全体的に「三人称的一人称」というより「漫画を文字に起こした」感じがする。
場面場面で語り部は統一されているけれど、その一場面が結構タイト。
しかも、普通に群集を一人称の位置に置いたりとかしちゃう。例えば、事件現場にいる群集のざわめきを「Aなのではないか?」と民意としてまとめて話の流れを作っちゃう。逆に漫画でもできない力業かもしれない。これ、良いんだ。

5.区切れ方
ひとつの章を見てみると、
3,6,2,6,1,3,4,9,1,6,4,27,4,1,1,11(/頁)
ざっくりこんなかんじに区切れている。視点が変わったり場面転換するときは行間が空く。やっぱりめっちゃ細切れだ。

長回しになる27頁は戦闘。ラノベの華。
ここを細かく見ていくと勉強になりそう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?