三十二歳と呼ばれる男の人生、二十五年目。ss1

そうなのである。
確かに彼が言う通り、世の中は経済活動の真っ只中にあって彼を含む全員、つまりサラリーマンには当たり前のことを言われたのだ。
むしろ、そんなことを言われた私自身としても、空気を吸うほどに簡単、と言うわけではないが、空気を噛み砕け、と言われるような無理難題ではなかった。

命令に従え。
それは会社員にとって、給与を得ることにほぼ相違ない。だが、私はそれを拒否した。軍人でもあるまいし、命令に従えないことが軍法会議になって銃殺されるのか、という話である。
命令違反を咎められること、それ自体軍人にとっては致し方ないし、当たり前なのだ。なぜなら、彼らの指示命令系統には命令者に厳然たる責任があるのだから。現場の実情などヒラリーマンの私の知るところではないが、聞きかじりの話から言えば、そうなのだ。
班、分隊、小隊、中隊と上がっていく命の数に、作戦の規模に、責任を取るものがいなくては成立しようがないのだろう。その上、命令の聞けないものが一人居れば、それだけで隊の死亡率は上がるのだ。隊員の命と作戦に責任を負わせるためにも、指揮者の命令は絶対であり、指揮者の責任も絶対である。社会的道理などそもそも存在しないのだ。
しかしどうだ会社員。まれに会社でも部隊だの兵隊だのなんだのと軍人かぶれも甚だしい言葉を聞くが、お士官様々の命令には責任があるのか。
ほとほと疑問に思う毎日だが「お前の責任じゃ!」とは言えず、Yo man! Sir!といやいやながらも言わざるを得ない私的本音と建前の奥底に、本当の責任はいったい誰にあるのか。
責任の所在がわからない命令に従って身を滅ぼすだなんて、そんなに馬鹿らしいことはない。
若気の至り、などと言われることもあるが、そうではない。
私は知っているのだ。社会人は時に自分の正義を真っ向から押し出さなくてはならないのだ。
「ぐへへ、Aちゃん私の正面でM字開脚をしてご覧よ。命令だよ」
などと言うセクハラ甚だしくパワハラ大盛りな痴漢野郎が居たとして、そこに引導を渡してやることも時に社会的道理なのである。これはあくまで例え話だが。
責任の所在はお前にあり! と知らしめることも身を守る一手である。
得てして私は、二つも干支が回るような上司に、私を三十二歳たらしめる、あくまでもしたたかな抗議をしたのである。
「これ以上実行することは業務に差し障りがあります。しかもこの件は、あなたにご説明をした上で中止することに許可をもらったことです! 一月も前に!」
「うっさい! 喋るな! 俺がやれ言うたらやるんじゃ! 命令じゃ! 聞かれへんのか!」
どうでもいいことなら、すみませんの一言で済ませるのだが引き下がれないことだってある。周囲には上司が何人も居て、私は二年目のヒラリーマン。
しかし悲しいかな三十二歳と称される私を救う上司はいないのである。
なんとかしなさい、ユアセルフ。生暖かい頑張れ三十二歳ムードの小さな社内で、人間関係の地雷を軽やかなステップで踏み続け、笑う膝を抑える私に抗議の相手は遂に核のボタンに手をかけた。

「お前なんか! ク……!」

クビなのか? いいんだぜ、だって俺は実年齢25歳独身貴族、絶賛実家は田舎暮らしの限界集落なんだから。クビならクビで、実家に帰って自宅警備員しながら不当解雇と徹底抗戦してやる。

などと考えていたのだが、しかし。

「近寄るな! さっさと席に戻れ!」

と来た。

自分で責任を取りたくない上司は、徹底して、責任から逃れるのである。

その日以来、32歳と呼ばれる男の人生25年目は一つ学習したのである。


上司には中指を立てて生きよう。


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