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2022/4/7

※よくよくチェックしてないから、誤字ってたり読みづらかったらすまぬ。あと語彙力が少ないから伝えたい事がうまく伝わってないのもあるかもしれない。ここは只々戯言を連ねているだけなので、時間の無駄になる前に引き返した方がいい。


まとめたい事も多くあるし、メモ帳に置いていたものや思うところ感じた事、自分はこれがしたいと改めて思った事等を「書こうまとめよう」と新しく記事を下書きしているけど、2月3月4月と時間が足りずに中々手がつかぬ。まじで世界の速度と自分の速度が合わない。
しかもあちこちで削除や停止が起きている上に(元より芯から金で染まっていたの、掌を返したの、非難やそこから消えるのを恐れるあまり自身が伝えたいと思ったものを曲げたの、「現在地」に気づかない或いは見ようとしないの、混沌とした中でそれでも情報を伝えようとして中には停止を余儀なくされたの、別の意味で魑魅魍魎としている。今回の事で更に浮き彫りになったのもいるんじゃないの)、「アヒル」もだそうで(これも思った事を下書きに置いたんだけども)余計に進まぬ。人間嫌いも加速し、noteの上部にまた増えた「運営からの御言葉」で更にモチベも下がる(そのうち一画面いっぱいに御言葉で埋まるんじゃねーの)。

国や人物の単語しか出てない今の事に内容関係ない過去の記事にも付いているからげんなりである(tumblrのガイドライン変更の時のガバAIと一緒なんだろう)、どこもかしこもだが「だから投げたくなくなるんだよ!」と心の中で信頼度が下がっていく。改悪重ねて自ら利用者人口削減キャンペーンしているツイちゃんもだが(ねぇそれわざとでしょ?ねぇーねぇーわざとでしょ?)、今までのIDの件や身勝手な情報精査にその他諸々に追加されて久しぶりにnote開いたらそれだったから余計にモチベ下がってさ……。(ツイやtumblrやシブに投げ無くなっていったのと状況似ていて「あっ……」ってなっとる。使いやすいようにとサイトの改善を目指してくれているのは伝わるけれど、そもそも「GM」側の「志向」に合わなくなって自分が本来書きたいものと伝えたいと思った事を曲げなければいけなくなる様な状況になるなら、もうそこに「居る」気は僕にはない。僕でなくていいじゃない。その場所に合う誰かが好きなだけ其処に居ればいい。noteが「そういう方向」に向かわない事を願う)
あちこちにアカウントあるの面倒だったからしなかったけど、ツイや他から移る人が以前よりも増えたのとアヒルのそれもあってGabのアカ作るのもありなのかなと。ただ恐らくGabの文字数では足りなくなりそうだから自分自身が投げるかはまだ分からないけど(呟き感覚で少しだけ投げようと思ったらすでにこれだもの)、取り敢えず頭の片隅には置いておこうかと思った。

Memoでのんびりしながらの方が自分に向いてるんだなって改めて感じた。
多分、noteに投げに来る頻度以前よりも下がると思う。noteのモチベ云々、人間嫌い加速しすぎて大草原に大の字もそうだけども、情報追いながら自分が「やりたい事」、主に創作活動中心に時間を使おうと決めた(今もとても絵が描きたい)。頻度下がるそうした分けも下書きにまとめてたけど何時投げるかも分からぬ、「色々」があってnoteに投げるかどうかもわからぬ、一応書こうとは思うが未定でござる。でもまぁ、元より此処は僕の為に情報や感じた事を置いていただけなのでよきでしょう。(Memoとnoteで散らかっているから何かしらでアーカイブをしようかなとは考えていたんだけど、別の場所にアーカイブしてGabを今までのような短くまとまったSNS感覚で使うのもありなのかな?とふと思った。まぁ取り敢えず様子見で)

前にも書いたけど、「盆暗なまま死ぬか、認識して死ぬか、心躍らせ謳歌して死ぬか」である。幾ら誰かが伝えようとしても、「その人自身が気づかなければ意味がない」。助けの手等のきっかけがあれど、きっかけになるその手や誰か、或いは問題がすでに解決している状況に気づかなければその人の中でずっと問題はぐるぐると回り続ける。自分をそこから掬いあげるのは自分自身の手でもある。貴方に纏っていた何かしらの問題が解決して、心が晴れたとするなら、貴方を貴方自身が助けたともいえる。友人家族恋人や状況等の助け合う何かがあれど(そうしたものが無駄と言うのではなく。むしろそれらだって大事なものだ)、貴方を守るのは他の誰でもない貴方自身だ。

自分の荷物は自分で背負う?うまい表現が見つからないんだけども、自分の中の自分とよく相談するのが良いのかもね。



10年以内に人間はどこまで変われるのだろうか。「それら」が「目に見えて分かり易くなる」のが近い未来か遠い未来かは「現代人」次第である。「何が起ころうと起こらなかろうと」ね。

また気が向いたら。「ふとした時にこのアカウントの記事に出合ったら」その時はまた戯言でも。



追記(メモ帳や書きかけで置いてる下書きからのも混じっている)

ご心配をおかけいたしました。配信復活しました。(2022/04/07)

そう過去のにも目をつけてんのよね(見苦しい足掻きだな。報道機関モドキ達のコントも加速しとるし)。いつものニュースさんも同じようにくらって2に進化していたので。Gabや他を頭の片隅に置きつつ、少なくとも暫くは情報追いながら創作活動してMemoでのんびりしようかな。気が向いたらnoteを開く形で(上にも書いたけどこれ完全に「運営のあれそれ」でそこに投げ無くなっていく何時ものやつだわ……。そうならなければいいなぁ……)。
まぁ、でもね、今後「形」が変わってくると思いますよ。「金=全ての価値」だと思い込んでいる人、利益や金ありきでしか動けない人には辛い時代になるってのもそうだと思うけども、それこそ「愛情」「人情」と続く様な「情」を大事に出来る人や柔軟性を捨てず縦横無尽に軽やかに「身体」を動かしていく者の方が強い時代になるんじゃなかろうかと。そんな中で「新しく作ろう」「生まれ変わらせよう」とする人達も出てくると僕は思う。そうしたものが僕が生きている内にどれだけ見れるのかは分からないけど(僕は「明日死のうが遠い未来に死のうが、そこが僕の終わりだっただけ」と思って生きているので)。分かれ道で続いた人達が育んだ次の時代だってあってもおかしくないしな。
企業なり人なりどの人間も、今起きている「現在地」を見失って(或いは見たくなくて、見ようとしなくて)「固く」なって、大事なものを差し出しにいき続ける人は動き辛い、もしくは「動けなくなる」かもしれない。そうならないようお気を付けください。そして何だか糞以下の糞共が逃げようともがいているけれど、必ずしも逃げた先が天国とは限らない事を恐らく失念しているんだろうなって思わなくもない今日この頃。他者を虐げる事でしか自身を成立させる事が出来ないの哀れで仕方ない(今まで幾度となく「機会」はあったろうに、自ら蹴ってきたのだから自業自得だけど)。良くも悪くも、世界には廻りというものがある。そして人間が理解できている事なんて一握りにも満たない事を人間は忘れてしまっているよな。

本当にそうですか?

うん、以前よりもずっと「内情」が「変化」していると思う。それはアメリカや日本や中国だとかだけでなくて、世界全体で。報道機関モドキ達が右往左往しているのだけ見てもその断片が覗く。

藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2022年1月26日 投資が止まると起きること

結局、「金に意地汚い奴等」が悪だ。
「金しか見ない汚い奴等」が壊していく、そして何も悪くない者(人間だけでなくそれ以外の生物や自然も)にしわ寄せがいく。ふざけんなと言いたくなる。

藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2022年3月30日 鎖国明けの徳川幕府みたい

「表さんの情報屋」を読む段階ですね。其々の情報屋の「木の音」を聞き分けられるのは凄い。小説の行間を読むみたいに、出ている情報の表面下を覗くと「何」が泳いでるんだろうな。

あんね、やっぱりね、前にも書いたけど「糞共が金で人を縛っていたシステム」は壊してくると思うんよ。てか今のこの状況がもう始まりみたいなもんじゃなかろうか。別に僕は森羅万物全ての事を知っている分けではないから「別の何か」を持って方向を変える可能性だってあり得るけども、でも何処かそう思うんよ。それが近い未来に「目に見えて分かり易い形」になるか遠い未来かは状況や「現代人」次第だろうけどね。

藤原さんがよく言う「今だけ金だけ自分だけ」の糞共は何処へいくつもりなんだろうな。

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2022年1月26日 ランダムという信仰

糞にカルト化させられた都合の良い道具だよな。言葉も状況も立場も誰かの気持ちでさえ、糞共はあらゆるものを悪用してきた。

「その道具を握るのは殺人鬼ですか?料理人ですか?」
それは多くの物事にも言える。握る者が誰かによって誰かを助けるものにもなれば、誰かを虐げるものになる。糞共が多くのものを悪用してきたって事を、気づいた人も気づかない人も忘れている。果てには「何も悪くない者」にまで目を向けて糞共と同じ様な事をしだすのもいる。悪い事平気でしてきた糞共に直接言えよ。

自然だったり生き物だったりに「気持ち悪い」と言う人間がいたりするけど、僕は人間の方が気持ち悪い。
自身の価値観に沿わないものを排除したがったり、他者を平気で虐げたり、とんでもない悪行に手をだしたりそれに対して金の為にグルになって手を貸す、現実逃避して柔軟性と思考力を捨てて大切なものを自ら差し出しに行く「ひとでなし」に成り下がる、誰かの目や外見は気にするのに自身の内面は全然磨かない、根本的な多くの事を忘れる。

そんな人間が多い、本当に優しさや愛情を持つ者との差が酷過ぎる。

誰にもタレントがありそれによって生計を得る時代(2022/04/08)

そういえば、高校の時の卒論をチェックしてくれていた先生に「面白い文章書くのだから、絵も文章も両方やればいいじゃない」って言われた事あってその時は自分に両方出来るのだろうかと思ったけど、今は絵を描くのも小説なり絵に付ける短い文章なり、両方やってんなって(他にもやりたい事沢山あるし、小説のそれは「絵に文章付けたい」⇒「漫画描きたいからプロット練ろう」⇒「あれ、これ小説に出来んじゃね」なんてそんな連鎖からなんだけども)。

「絵も文章も両方やればいいじゃない」
卒業後も「書きもの」(確か小説家だったかを勧めてくれたと思う。文も絵もって)を書いていく事を先生が勧めてくれた時に「自分は絵が描きたい」って伝えた時にそう言われた言葉。「自分に出来るのかな?」って疑問に思っていたのに、自分が成長して出来るようになったのか、元より出来るけどやってなかっただけなのか分からないが、今は自然と絵も文章もしていた。
今とてもやりたい事が沢山あるし変わらず創作(作る)のも楽しい。子供の頃から「作る」のが好きで良かった。

せっかく「気づいて」疾うに「知った」のだから、去年は情報を追う事に時間を使っていたけれど今度は創作活動に大きく時間を割り振って、やりたい事も目指しつつ作るなり進むなり今後「どうするか」「何をしていきたいか」を見ていきたいな。
創作活動を続けるのは勿論の事。てか死ぬのが明日だろうが遠い未来だろうが死ぬまで描き続けると思う、現に描き溜まった沢山のラフやメモ、絵・漫画・小説にボクセルもそうだけどブレンダ―で立体的に絵を描くの面白そうだなって思いだしたし(出来るとは言ってない)、この前「漫画用の短い話」作りたくて案だししてたらふと「これゲームにしてみたいな……」とか心がほざき出したし(出来るとは言ってない2。でも出来るならやってみたい)、以前あげた箱根行った時のペンギンにお社も作ってあげたい、創作の資料作りも兼ねてカメラ持ってどっかに行きたいし、他にもやりたい事沢山だし、そんなこんなしながらまたラフやメモが溜まっていくし、正直「死ぬまでに消化できるのか?」って思うほど。

やりたい事が沢山ある、「自分のやりたい事」があって、子供の頃から「作る・描く(書く)」のが好きで良かったと心から思う。祖父母も多くの作品も創作も食べ物も、多くのものに僕は生かされてる。日本に生まれて良かった、日本に生まれてなければただでさえ人間嫌いの僕はとっくに死んでた。


90秒で油膜やゴミが消える!自作油膜取りの実力をノーカット映像でお見せします

まあまあ、「嫌な事ばかり起きる!」「何一つも解決に向かっていないじゃないか!」と絶望し水面上で泣きたくなっているそこの貴方。
見てて何だか気持ちいい動画おすすめしとく。水面に浮いた汚れがすいすいすいと渦に飲まれてくぅー( 'ω' و( و"♪

さ、沢山泣いてすっきりした後は「貴方自身の脚」で歩いていこうぜ。

あとこの方の自然音も良いよ、作業のお供とかにも。
僕、片頭痛かなんなのかよく分からんのだけど、子供の頃から時折頭が痛くなる事あって。こうしたの聞くと落ち着く事もある。


「盆暗なまま死ぬか、認識して死ぬか、心躍らせ謳歌して死ぬか」である。人間は何処へいくんだろうね。