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ニコラス・D・ウルフウッドの話をさせてくれ



「ぐるぐるふらふら たったひとり 
 ぎょうさん生かされて…
 傷も荷物も増えてく…
 ……鈍い奴っちゃでホンマ
 ええ事ばかりしか覚えてへんのやろ?
 なあ ヴァッシュ・ザ・スタンピード」
 
 トラガン・マキシマムの3巻ラスト、ニコラス・D・ウルフウッドのモノローグである。
 このモノローグを堺に、ウルフウッドからヴァッシュへの態度は変化する。私がウルフウッドというキャラクターに魅了されたのはこのシーンであり、その後の変化だ。順を追って、ニコラス・D・ウルフウッドというキャラを見ていきたい。
 以下、漫画「トライガン(全2巻)(『トライガン・マキシマム』との区別をつけるためこれからの文中では『無印』と表記する)」及び「トライガン・マキシマム(全14巻)文中では『マキシマム』とする)のネタバレを大いに含む内容になるので、これから読む予定のある方は注意していただきたい。

あらすじ

 まずは「トライガン」という作品はどのような物語か。ざっと世界観、物語のあらすじに触れておこう。
 簡単に言ってしまえば、「西部劇風SFガンバトルコメディ人類讃歌」と言うべきであろうか。
 そう遠くない未来、人類存亡の可能性に賭け、宇宙に打ち上げられた宇宙船。人間が豊かに暮らせる惑星へ辿り着くはずが、彼らが放り出されたのは過酷な熱砂の惑星であった。草も生えない砂の惑星「ノーマンズランド」を舞台に、強かに生きる人間たちと、約150年のうちにやっとのことで栄えた七都市の内ひとつを滅ぼしたとされる伝説の罪人、「ヴァッシュ・ザ・スタンピード」との物語である。

 主人公は件の男、罪で600億$$の賞金をかけられた、通称「人間台風」と呼ばれる「ヴァッシュ・ザ・スタンピード」。
 人々には残酷な悪人と噂され、賞金稼ぎには賞金目当てに追われる身であるが、本人は博愛主義者の平和主義者。平和な生活を望むと同時に、しかし「奪われる命の前には黙っちゃいられない」ヒーロー気質の凄腕のガンマンで、厄介ごとに首を突っ込み、そこに噂を聞きつけた賞金稼ぎが乱入したりして、物事は大騒動となることもしばしば。歩く災害として、望まぬ「人間台風」の異名を欲しいままとしている。
 物語は彼の足跡と共に進み、やがて彼の双子の兄、「ミリオンズ・ナイブズ」との壮大な兄弟喧嘩という全貌を見せ始める。
 そんな旅路に、「マキシマム」から本格的に登場し、ヴァッシュの旅の同行者を務めるのが巨大な十字架を背負った関西弁の巡回牧師、「ニコラス・D・ウルフウッド」である。
 因みに、初登場は「無印」の二巻中盤以降、砂漠で行き倒れていた所をヴァッシュによって発見、救助されるシーン。後に「盟友」となる二人の運命の出会いだ。
 「無印」ではヴァッシュを「人間台風」と知っても臆することなく握手を求め、砂漠を渡るバスの運転手に運賃の値切りをし、二人の物乞いの子供に寂しい懐から硬貨を一枚ずつ与える、何ともコミカルで気の良い兄ちゃんと言う感じである。しかし、その過去は気楽なものではなく、孤児院で育ったことをヴァッシュに告白し、今は孤児院のために牧師と何やら訳ありの仕事で稼いでいるらしい。
 そんなウルフウッドがとある街に到着するところから「マキシマム」は始まる。謂わば彼はこの物語のもう一人の主人公であり、物語を進めるに欠かせない「案内人」でもある。
 ウルフウッドという案内人に導かれ、読者は「無印」二巻ラストで、「ジュネオラロック」の街で月に大穴を開けた以来二年間行方不明になった「人間台風」、ヴァッシュ・ザ・スタンピードと再会する。そして、ミリオンズ・ナイブズの元へと向かう彼らの旅を追うことになるのである。

「マキシマム」でのウルフウッド

 ここで今一度、ウルフウッドというキャラクターについて語ろう。「無印」と「マキシマム」では、ウルフウッドからヴァッシュに対する態度にかなりの変化が現れている。何せ彼は、「無印」ラストでヴァッシュが月に大穴を開ける場面を間近で目の当たりにしているのだ。
 ヴァッシュの信念が「悪人だろうと善人だろうと生かせる命を生かすこと」であれば、ウルフウッドの信念は「殺してでも生き延びる」ことである。
 彼は故郷である孤児院を守るため生きる必要があり、そのためならばどんなことでもやってのける。人生は絶え間なく連続した問題集、今できることを選択していかなければ生き残れない。最悪なのは、夢のような解法を待っている間に制限時間になり全てが台無しになること。そんな信念を掲げ続けている。

「一人も殺せん奴に一人も救えるもんかい」
「ワシら神様と違うねん。万能でないだけ鬼にもならなあかん」

 そして、祈りながら引き金を引く。そんなウルフウッドの意見は残酷に見えるかもしれない。しかし、ここは銃弾が共通言語の、星丸ごとの無法地帯、「ノーマンズランド」だ。
 物語のメインキャラでミリオンズ・ナイブズ以外に銃を持たない者は殆どおらず、ウルフウッドでなくとも生き残るため引き金に指をかける。ただ、ウルフウッドの決意は人一倍強固なものである。堅固と言ってもいい。巨大な十字架型重火器、「パニッシャー」をぶん回しながら、時に目の前を更地にしても守るべきもののために生きようとする「ノーマンズランド」のリアリスト、それがウルフウッドである。
 つまり、平和主義者で博愛主義者のヴァッシュとは正反対の特性を持つ人物なのだ。それでも二人は、ナイブズの下へ赴くために共に旅路を往く。当然、衝突も起こる。
ウルフウッドの「選択の意義」に対し、ヴァッシュは「今そこで人が死のうとしている 僕にはその方が重い」と言い、自分たちとは無関係ないざこざに首をつっこみボロボロになって、死人を出さずに事件を解決し、時に自分を殺そうとしに来たナイブズの部下、レガートの放つ刺客を不殺で仕留め、背を向ける。
 そしてウルフウッドは、その刺客、雷泥・ザ・ブレードがヴァッシュの背に狙いを定めたところで雷泥を撃ち殺す。汚れ仕事を買って出る。

 そこで二人は大きく対立する。殴り合い、ウルフウッドは自分が殺さなければお前が殺されていた、と言い、ヴァッシュはそれならば殺さずに退ければいいと主張する。

「途中で殺して全てのチャンスを奪うよりかはずっとましだ!!」

 そんな、選択を先延ばしにするような「綺麗事」を言うヴァッシュが当然ウルフウッドは気に入らない。
 ヴァッシュに銃を握らせ、自分を撃てとその銃口を自分の眼窩に固定する。

「どうしてもワイが間違ってるいうなら引き金を引け
 その代わりヨゴレ役もバトンタッチや」
「キッカケになるなら安いもんや
 命くれたる」

 ウルフウッドにとって、人類にとってヴァッシュという存在は「必須」だ。人類殲滅を目論むナイブズに唯一対抗できる人物、それがヴァッシュだけなのだから。
 それが自分の命を狙った刺客も殺せないガンマンでは話にもならない。ウルフウッドはヴァッシュが自身の意志で殺す一人目になろうとする。そしてその死に誓い、これから先は引き金を引くことを躊躇うな、とシビアな選択を迫る。 
 しかし、当然ヴァッシュはそこでウルフウッドを殺せるような男ではない。

見限り

「弱虫はお前の方だ ウルフウッド
 なんでもかんでもあっさり見限っている」
「僕からすると今のお前は 心が悲鳴を上げているのに 無理矢理鬼になってる……
 そんな風に見えるぜ…」

 ウルフウッドにとって大切なものは一にも二にも孤児院だ。上記の言葉をかけられた後、孤児院に戻る夢に見る。ニコ兄と呼ばれ、子供達に囲まれた彼の笑顔は「無印」時代に戻ったように優しい。しかし、孤児院を守ってきたその両手は血に塗れていて、子供達を抱く資格はないのだという現実を夢の中で突きつけられる。
 ウルフウッドがまず見限るものはなにか。彼自身に他ならないだろう。牧師でありつつ神に祈りながら人を殺し、正反対の価値観を押し付けられながら人間台風とのうんざりするような旅に同行する。大切なものの為に、自分を二の次にする。自分の人生を見限っているのだと、徐々に彼のことが見えてくる。
 しかし彼は、自分の命を捨てるような真似は――先程のヴァッシュとの銃口を突きつけさせての問答を除き――しない。長くなるのでここでは語らないが、ウルフウッドが生きていれば「孤児院をとある存在から守る」ことへの確率がかなり上がるのだ。その辺が気になる方はぜひ原作を読んでいただきたい。
 ウルフウッドは生きるために、余計な争いに首を突っ込まないしそんなやつの気もしれない。恐らく勝算のない戦いにも挑まないタイプだ。しかし、ボロ雑巾のような状態で他人の問題に首を突っ込んいくヴァッシュのことを「あれほど命にとんちゃく無い奴初めてやで… 気色悪ィ…」と感じ、その命知らずの異常な博愛主義に、「もしかしてこの男は不死身なのではないか」とさえ思う。そんなヴァッシュといることは、ウルフウッドの今までの生き方や価値観を否定されまくる非常にストレスフルな状況だっただろう。

 そんなフラストレーションが爆発するのが、3巻の戦いである。

3巻でのウルフウッド

 2巻ラストで、ヴァッシュは「僕のホーム」と称する場所にウルフウッドを連れて赴く。ヴァッシュにとっては彼の「家族」の住んでいるような、とても大切な場所だ。そんなところに部外者であるウルフウッドを招く行為が、ヴァッシュからウルフウッドへの信頼感を表している。しかし、ウルフウッドからヴァッシュに対しての信頼感はこの時点では皆無と言ってもいい。「ホーム」へのロープウェイの中、ヴァッシュの「昔死にかけてたところをそこの人たちに助けてもらった」という言葉の「死にかけてた」と言う部分にさえ疑いを示す。
 ロープウェイは無事、ヴァッシュの「ホーム」に辿り着くが、そこでは既にレガートが放った刺客が二人、ヴァッシュを待ち受けていた。「ホーム」内の人々の命が既に奪われていたことを知り、ヴァッシュは血の涙を静かに流し、その姿にウルフウッドは「生き物としての圧倒的な力量の差」を感じた。やはりヴァッシュは自分達人間とは違うもので、そんな化け物と自分は旅をしているのか、と一層危機感と疑惑を深める。 
 その後はヴァッシュとウルフウッドは二人の敵によって強制的に別行動を強いられる。
 ウルフウッドが戦うのは幾度殺しても立ち上がる「ナインライヴス」だ。
 余談ではあるが、3巻のこの戦いは大パニッシャー祭りである。2巻までは最低限しか出てこなかった十字形重火器パニッシャーが火を吹きまくる。銃として申し分なく、時に盾となり、更には十字架の短い部分からはロケットランチャーが発射されるという隠されていた新機能までお披露目される。血湧き肉躍る大盤振る舞いバトルシーンだ。飛び散る薬莢、伝わる重量、パニッシャーの万能性が輝く。
 そして、それほどまでに、ウルフウッドはこの戦いで暴れまくるのである。

「これが殺しあいや 手ごころ加えとったら自分が殺られる」

 今までヴァッシュに否定された生き方を取り戻すかのように、パニッシャーを乱射し、時にハンドガンを使い、時に機転を聞かせシャッター式の扉で敵の巨大な腕を切り落としたりする。

「やんちゃやろ?ワイ… おいたばーっかしよんねん」
 
 そしてこの台詞である。くぐり抜けてきた修羅場の数を想像させられる。
 台詞はこう続く。

「だからここにおんねんな 臭い場所やで ホンマ
 ……もう沢山や思うてもきっと…出れへん地獄や……」

 一度ふみこんだら出られない修羅の道の嘆きを吐く言葉を彼も持っていた。もう地獄行きだと自分を見限っていることがこの言葉から分かる。
 その後もウルフウッドは鬼の如く闘う。自分が生きていることに安堵しながら、その度に孤児院で共に過ごした子供達の顔を思い浮かべる。思い浮かべながら敵を殴り殺す。
 一方その頃ヴァッシュは、もうひとりの敵と戦いながらも、彼を救おうとする。命だけは失わせまいとし、しかし救えず、限界を迎え、気を失ったヴァッシュは生き残っていた「ホーム」の人々に保護される。

希望的想像

「奴は死なへんのか 絶対の存在を許されとるゆう訳か?」

 ここまで来てやっと本題に大きく前進できる。
 3巻内「ホーム編」での主な主題は、「ヴァッシュ・ザ・スタンピードは不死なのか」という点だ。
 ヴァッシュと共に「ホーム」にて保護されたウルフウッドは、とある1枚の写真からヴァッシュに対する「不老・不死」の疑惑を深めることとなる。ヴァッシュを慕う少女、ジェシカがおとした、幼少期の彼女と今と変わらない姿のヴァッシュが共に写っている写真だ。
 ウルフウッドは。この「ホーム」のリーダーであり、ヴァッシュとも「長い仲」であるルイーダにヴァッシュについて訊ねる。
「ヴァッシュは70年前砂洋のほとりで倒れている所を保護された」という話を聞き、ウルフウッドはヴァッシュは不死身なのかと改めて問う。

「愚問ね 体の傷を見れば分かるわ
 あの傷が消えてるなら本当の不死身よ」

 それがルイーダの答えだった。
 そんな時、ひとつの巨大な身体を9人で操っていたナインライヴスの生き残りであり捕虜であった二人が逃亡したとの報せがルイーダ達の下へ届く、
 左腕の義手を犠牲に、ナインライヴスに抵抗するヴァッシュ。そんな彼の前でウルフウッドがナインライヴスの頭を踏みつけ、「おんどれちっとなめられすぎやで」と早々に事を収めた。そんなウルフウッドに苦笑いしながら、何十年と戦い続けてきたヴァッシュは言う。
 
「何かこう 駄目だなぼくは 争い事はいまだに怖いよ」

 そして自分の壊れた義手をよそに、ナインライヴスが放った銃弾が周囲にあるコールドスリープ中の「モレロさんトコとガルシア兄弟 それとリーブ夫妻のあたり」に被弾していないか周囲に伝えるヴァッシュの姿を見て、ルイーダは言う

「呆れたでしょ? そうなのよ 彼はここに居る全員の顔と名前が一致してるの」
「年月が彼の身内を惑星中に増やすとするなら…
 身内が死に 身内同士が殺しあい
 身内が自分に銃を向けるこの星は……蜿蜒と続く地獄そのものだわ」

 それでも笑うヴァッシュを見て、ウルフウッドは思う。

 「ぐるぐるふらふら たったひとり 
 ぎょうさん生かされて… 傷も荷物も増えてく…
 ……鈍い奴っちゃでホンマ
 ええ事ばかりしか覚えてへんのやろ?
 なあ ヴァッシュ・ザ・スタンピード」

 それは、そうでなければ耐えられるはずがないという予測と、博愛主義で生きていく彼への呆れと、個人的な希望的想像としては、ええ事ばっかり覚えといてくれという祈りだ。

 この言葉を堺に、ウルフウッドのヴァッシュへの態度は変わる。いや、態度自体は変わらない。「言う事と行動」が変わるのである。

 今まで散々言ってきた、「殺されへん奴は生き残れへん」的理論が、ヴァッシュへの言葉の中から消える。不殺を貫くヴァッシュの隣で、ウルフウッド自身も明言はされないがおそらく不殺で敵を制圧する。不殺でなければヴァッシュが苦言を呈するはずだが、それがないということはそういうことなのだろう。
 そんな風に言動が変わる前に、モノローグでもウルフウッド自身の言葉でも、「こいつにこういう事を言うのはもうよそう」などの言葉が出てくることはない。ウルフウッドは選択していく人間だ。ウルフウッドはヴァッシュの過去と彼の生き方を少し覗き見て、相手を変えるのではなく自分の態度を変えることにした。そんな選択を自分だけに課した。

 それが、すごい、と思った。かっこいいとか推せる、ではなく、単純に人として「すごい」と、尊敬した。
 ウルフウッドがヴァッシュを導くのは、ひとつのビジネスと言える。ビジネスというか彼に与えられた役割で、大切なものを守る為に決して逃げられない呪われた任務である。ウルフウッドにとって大事なのは、ヴァッシュの意思ではない。それでもウルフウッドはヴァッシュの意思を無碍にしない。ぎょうさん生かされて傷と荷物を背負いまくった鈍い奴をひとりにしない。
 それからもウルフウッドはヴァッシュのことで悩んでいく。時にその背中に密かに銃口を向け、立ち止まる足元を進ませ、助けに行き、助けられ、ヴァッシュのために同じところをぐるぐる回って選択肢を必死に掴んで今まで殺して生きる価値観で生きてきた心をボロボロにしながらヴァッシュを引っ張ったりヴァッシュに引っ張られたりしていく。まるで人間台風と生きる人間の宿命とでも言うように。
 そんなウルフウッドの割れたかけらを金継ぎして美しく直していくのが、他ならぬヴァッシュであるのが美しいところである。二人は影響しあい、やがてウルフウッドはヴァッシュに影響されたやり方で、彼自身の過去を精算することになる。それに対して、ウルフウッドに受けた影響で、ヴァッシュが大きくひび割れ粉々に傷つくこともある。

 ぶつかり合って傷付け合って影響し合った部分で修繕し合って、それほどまでに「共に生きた」のがウルフウッドとヴァッシュなのではないかな、と思う。その中で、ひとつのきっかけとして欠かせなかったのが、3巻終わり以降のウルフウッドの変化なのではないだろうか。

トライガンはいいぞ

 大いにネタバレ、とか冒頭で書いておきながら、あえてぼかしたところがたくさんあるので、もしこの記事を読んでまだトライガンを読んだことがない、という方がいたら是非無印から始まりマキシマム3巻まで読んでみてほしい。他にもヴァッシュの兄、ナイブズやその部下レガートやエレンディラ、保険屋さんことメリル&ミリィ、一粒で何度も美味しいリヴィオなど、魅力的なキャラがたくさん出てくるし、そのみんながそれぞれの欲望と使命と願いと正義を以て紡がれる物語は、深く広く拡がり、価値観を揺さぶられる。できれば10巻まで読んでみてほしい。いつか10巻まで至るヴァッシュとウルフウッドの関係について、なるべく原作に沿いながら語りたい気持ちもあるのだが、なんというか……難しいかもしれない。というか14巻まで読んで……。

 なにはともあれ、ヴァッシュとウルフウッドの2人がおたがい初めての友達として歴史を重ねて絆を編んでいくところが、私はとても魅力的だと感じるし、関西弁の中に織り込まれるウルフウッドの真摯さが私はとても好きである。

 そんなウルフウッドのフィギュアが今月後半に届くので今月はとても楽しみである。人生初フィギュア。どうしよう……。ケースとか必要だろうか…。大切にしたい。