220523

 昨日、京都に住んで7年にして初めて京都水族館に行った。前日までと打って変わって夏みたいな暑さの日曜日だった。

 水族館に入ってすぐにある京都の川を再現したところにはオオサンショウオが身を寄せ合って——というよりも無造作に積み重りからまって——いた。こんがらがったその塊からたまに抜け出すやつがいて水面にあがり、スーッという音をたてて呼吸をしていた。それ以外はほとんど動かない。

 僕はオットセイにみとれていた。身体を半回転ねじりながら水槽の奥に泳いでゆき、また身体を半回転ねじりながら手前に戻ってくる。そうして、そのオットセイは弧を描きながら気持ちよさそうにずっと泳いでいた。ひれを最小限動かし、身体を流れにのせるだけの美しい動きだった。のびやかであった。

 今日は散歩をしながら自分の身体のイメージについて考えていた。自分にとって自分の身体は棒だ。広がりはない。しなりのない硬い棒が関節で留められていてかろうじて動いている。歩いているときでさえも、上へと立った棒が足に乗せられて動いているようだ。

 友達に体が硬そうと言われたがあながち間違いではない。YouTubeで太極拳の動画を見ていると、そこでは太極拳では身体の膨らみと丸みが大事だと言われていた。何かその柔らかで広がりのあるイメージが必要かもしれない。再び動画をお手本に太極拳でもやってみようか。その身体イメージの変化を記録してみたい。

 昨日の突如としてやってきた暑さと、夜の突然の雷雨に襲われたせいかかなり疲れた。今日は布団に押し付けられて体が動かず、16時ごろまで寝てしまった。13時にはゼミがあったのに行けなかった。

 これはあまりよくない。3年前くらいの秋に体調を崩して家で休んでいたとき、太陽を浴びなかったせいか冬季鬱になった。その時もこのように身体が布団に押し付けられ、動こう、何かをしようと思っても、その目標が遥か遠くにあり決して辿り着けず、強い向い風まで吹いているようだった。すべての行為が、とくにやらねばと思うことであれば尚更遠のき焦りだけが生まれていた。今日はそれよりは酷くはないが近い状態であった。ここ数日寝る時間が日に日に遅くなり、起きる時間もそれに伴って遅くなっていた。そのリズムの変化が影響したのだろうか。早起きへと移行したい。

 

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