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読書感想『差別はたいてい悪意のない人がする』

こんにちは。栗原白帆です。キム・ジヘさんの『差別はたいてい悪意のない人がする』を読了しました。

私たちは差別が間違っていることを知っています。家庭でも学校でもそれは徹底的に教えられる。
「差別は間違っていると思う人」と聞けば、ほとんどの人が手を挙げるはずです。

そうであるにもかかわらず、なぜ被差別の人たちはいなくならないのか、この本では徹底的に差別のカラクリについて考察されています。
いわゆる「差別は悲劇だ」「差別はいけない」といった道徳的内容の本とは一線を画した、学術書であると感じました。

私が読んでいてハッとしたのは、差別の前提に「特権」がある、ということです。この「特権」とは「意識的に努力して得たものではなく、すでに備えている条件であるため、たいていの人は気づかない。」(P.30)もののことです。

例として挙げられていたのは障害者に対する寄付の話でした。概要は以下の通りです。

ある人が毎年障害者施設に寄付をしている。最初はお礼を言われたが、年月が経つうちにお礼を言われなくなってきた。数年後、その人は支援をやめた。すると施設から「どうして支援を続けてくれないのか」と電話が来た。彼は機嫌が悪くなる。善意で与えていたのに、彼らはそれを権利だと思っているようだ。それでその人は支援をやめた。

『差別はたいてい悪意のない人がする』第4刷P.28-29

つまり「自分が善意を施すことはできるが、あなたにそれを要求する権利はない」ということ、

何かを施すことができる資源を持つ人は、善意のもとにそれをしたい。それは自分が優位にある権力を関係を揺るがすことなく「いい人」になれる方法だからだ。ー略ーこちらが相手をどう思うかによって施しを与えるべきか否かを決められ、資源を所有する側が完全にコントロールの権限を持つある種の権力行為である。その権力とは、仮に相手が権利として何かを求めてきたら、その要求を言語道断であると非難する権利をもふくむ。

第4刷P.29

これが「特権」です。
上記の文章を読み、私はこれは自分のことだ、と思いひどく恥ずかしくなりました。私は障害者施設に寄付しているわけではありません。でも似た状況になり、不愉快な気持ちになったことが確かにあります。

全く気付かないうちに私は特権を手にしており、自分が優位に立てる相手にそれを振りかざしているのです。

私たちはあまりにも無意識に劣位の相手をないがしろにしている。
そしてそれこそが差別なのだと思います。
だからいつまでも差別がなくならない。差別している方が無意識だからです。家庭や学校で教えられる「差別は間違っている」の「差別」はもっとわかりやすい悪意に満ちた、例えばヘイトスピーチに代表されるようなものです。

でも実際は違う。日常的に行われている差別には悪意がないのです。善意を装っていることすらある。だからなくならない。

この本を読んでから世界を見る目が変わったと、はっきり感じます。
自分の言動に対して「特権」を行使していないか、と問うようになりました。

もちろん筆者は差別をしない世界をいかに作るか、についても言及しています。「平等」とはどういうものなのか、についても深く考察している箇所は、それこそ人権教育などで伝えられるべき内容だと思いました。

「差別」を糾弾するのではなく、その仕組みを解き、「差別」をしないためにどうすればいいかをじっくりと考えさせてくれます。

読み終わったあと、世界を見る目が変わる本、というのはなかなかありませんが、これはその数少ない本の一冊だと思います。


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