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2019年 観劇記録

2019年は3月から7月までと関西公演が5ヶ月間もあったので、三兄弟さんを観始めてから年間の劇団観劇数は一番多かったと思います。座員さんも増えられて劇団さんとしても変化の年だったのかなぁと。
今回の関西公演では初見のお芝居や初役をいくつか見られたことが良かったことの一つ。7月には千之丞さんメインの日という革命的な公演も観ることができたし、毎年少しずつではあるけど劇団さん、座員さんの新たな顔に出会えているのかなぁ〜と改めて振り返ってみると思います。
2019年は桃之助座長と博多家座長の誕生日を観ることができました。
いつかお三方それぞれの誕生日を劇場で、できれば新作のお芝居を観ることができたらなぁと思いながら2019年心に残ったお芝居について振り返りたいと思います。

① 2019.3.13 夜の部 『遊侠三代』 @やまと座

今まで拝見した三兄弟さんのお芝居の中で一番心打たれたお外題がこの『遊侠三代』です。2018年2月、博多新劇座で受けた衝撃は忘れられません。
川北長次を桃之助座長、人斬りを博多家座長が演じられ、この時は人斬りが長次の兄という設定でした。それ以降も兄弟バージョンしか拝見していなかったのですが、この日、初めて父バージョンの人斬りを観ることができました。
「博多家さんが父バージョンの人斬りを演じたらこんな感じかな…?」と勝手に想像していた人物像とは違っていて、舞台に現れた人斬りの姿を観て「博多家さんすげぇ…」と心の中で漏らしていました。
もう自由がききづらくなった、ずっしりと何かを背負ったような身体から、重ねた年月の重さと人斬りという稼業の悲哀が滲むような姿。兄の時とは全く違った色を纏っていました。
博多家座長が演じられた兄設定の人斬りの三十年後がこの人斬りなのかな…などと考えるとまたその変化がとても興味深いものでした。

兄弟バージョンのこのお芝居で印象に残っているシーンの一つに人斬りが長次に向かって今まで貯めてきたお金をそれはそれは嬉しそうに、言葉なく見せるシーンがあります。
傷を負った身体をなんとか起こしながら「ほら!あのとき約束した金だ!お前のために今日まで貯めてたんだ!なぁ!受け取ってくれよ!」と言わんばかりに長次にお金を見せる。
父バージョンのこのシーンも同じように貯めてきたお金を長次に託そうとします。しかしそれは兄のときとは違って「せめて、せめてこの金だけでも…」という懺悔の色合いが濃く感じられました。幼い我が子を一人にしてしまった、そしてもう自分は戻れないところまできてしまった…という懺悔と罪悪感。
「金を作ってくるから待っていてくれ」と二人が交わした約束のため、がむしゃらに走った先がここだったと感じる、まだどこか勢いを感じる兄の人斬り。
一方で残した息子の元へも真っ当な暮らしにも戻れなくなって久しい、もうどこか諦めの色を浮かべた父の人斬り。
兄バージョンを観ていたからこそ年月の重みと人を斬り続けて生きてきたという、もう戻れないところまで来てしまったことの悲しみがより感じられたのかもしれません。   

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役の年齢と関係性が変わることで、こんなにも違った色合いを見ることができる。しっかりと考えを持って役に向き合って下さる役者さんのお芝居は気づきや感心すること、おもしろみが多いなぁと改めて思いました。
役者さんがその役にどんな色をつけるのか、どうやって表現するのか。
大衆演劇を観ていて何度も驚かされ、何度も面白い!と思わせられるのはやはりこういうお芝居が観られるからだよなぁと実感した一本でした。

② 2019.3.21 ロング公演 『浮草哀歌』 @やまと座

この日はロング公演でお芝居二本立て!
客席にはたくさんのお客さん、お酒も入って楽しげなおじ様たちもいらしたりと、平日の公演とはまた違った、賑やかな空気が漂っていました。
一本目のお芝居は花道花形主演の喜劇『新・三下剣法』で笑い声が溢れ、大盛り上がり。
そして二本目はまだ上演が二回目という関西では初お披露目の新作『浮草哀歌』。一本目とは打って変わって笑いどころのないシリアスなお芝居でした。

お芝居の筋は(ちょっと驚くほど)シンプルなもので、だからこそ役者さんの力を強く感じることができました。
特に主演のおようという女性を演じた桃之助座長が印象的でした。
普段からどんな役でも真摯に、心のお芝居をする桃之助座長ですが、この日の桃之助座長はおようという役にどんどんと浸っていっているような不思議な感覚がありました。
人の弱さや醜さをも全部剥き出しにするような、観ているこちらの胸が痛くなる桃之助座長らしいお芝居が全開!という感じでした。

初見のお芝居なので「これからどういう展開なのかなぁ」などと考えながら観ていましたが、気がつけば舞台の隅で涙を流しながら自らの過ちを悔いるおようの姿に、驚くほど惹きつけられていました。
少し前まであんなに爆笑に包まれていた客席が水を打ったように静まり返り、おようという女性の言葉を聴き逃すまいと、彼女が辿った人生に思いを馳せている。
そしてやがてすすり泣く声が。

過去の過ちを悔いるおようとそれを許す人たち。
おようが博多家座長演じる兄の優しさに気づき、消えるような声で「兄さん…」と漏らし、思わず胸に寄りかかったとき、これまでの辛く苦しい、後悔の日々で張りつめたものが、やっと、ほんの少しほぐれたような感じがしました。

この日の桃之助座長のお芝居、うまく言葉に出来ませんが役者さんが役に引っ張られ、観客が役者さんに引っ張られているような…
こういう感覚には観劇をしているとごく稀に出会うことがあり、この日のお芝居もそうだったんだろうなぁと思います。
同じお芝居でも誰もがいつも出来る事ではなく、演じる役者さんに役が強く共鳴する時があり、その共鳴が客席全体を包むというか…表現が難しいですが、この日、このお芝居を観られて良かったなぁと思いました。

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脚本的によくできているお芝居は矛盾が気になったり、展開が唐突だったりすることもなく、見応えがある作品になる可能性は大きいとは思います。
しかし脚本に力があっても演じる役者さんの心と熱がないと作品に血は通わない。これはこれまでの観劇経験の中で何度か感じたこと。
この日のお芝居には心と熱がありました。とてもシンプルな筋書きのお芝居でしたが、役者さんが役を真摯に演じることで、こんなにも引き込まれるお芝居になるんだなぁ、人の心を打つことができるんだなぁと思った一本でした。

③ 2019.5.8 夜の部 『喧嘩屋五郎兵衛』 @梅田呉服座

ずっと観たいと思いながらも、三兄弟さんではなかなかご縁がなかったお外題。
梅田でかかると聞いて、なんとしてでも観たかった一本でした。
このお芝居は花道花形が五郎兵衛を演じられることが多いと聞いていたのですが、この日は博多家座長が演じられました。
博多家座長の五郎兵衛、この日ゲスト出演された伍代座長の朝比奈、千之丞さんの八百源…配役だけでも夢のようでした。
弟を想い、五郎兵衛の人生は自分の人生とマルッと背負ったような頼もしさと優しさがある伍代座長の朝比奈。
前半の幸せな空気を存分に盛り上げ、五郎兵衛に縁談破断を突きつける際は流石の技巧。舞台の世界に明暗をつける千之丞さんの八百源。
親分のことが大好きで縁談を心から喜び、自分に非はないことでも頭を下げる純真な花道花形の伊之助…など見どころありまくりな一本でした。

中でも博多家座長の五郎兵衛に出会えたことがとても大きかったです。
今まで数々観てきたどの五郎兵衛像とも違っていて、このお芝居を観る中でモヤッとしていた部分が少しクリアになったような気さえしました。
上手くは言えないのですが、博多家座長の五郎兵衛は「耐えて耐えて耐えてきた人」という印象を受けました。
自分の感情を表に出す前にいくつものフィルターを通しているような。
感情を制御するリミッターが常に働いているような。
誰の言葉にもきちんと耳を傾ける、とても冷静で簡単に一喜一憂しない、そしてなにより沸点が高い。

そんな五郎兵衛がかわいい子分である伊之助に刀を向けることになる。
このキッカケとなる場面がこのお芝居の中でも特に印象的でした。
「あっしが全部悪いんです」と頭を下げた伊之助。
すると五郎兵衛がうわ言のように呟きます。
「…そうだ…。お前が全部悪いんだ…」と。
この言葉を聞いた時「あぁ…見つけてしまったんだなぁ…」と思いました。
心の中に悲しみや怒りや苦しみ、寂しさを溜めておける容れ物のようなものがあるのなら、その容れ物の内側を限界まで削って容量を増やし、なんとかそれらの感情を溢れさせないようにしていた五郎兵衛。
結納金を届ける途中、ふと立ち止まり「親分に女房かぁ。嬉しいなぁ」と子どものような笑顔を見せ、大好きな親分にまっすぐに頭を下げる伊之助。
この嘘偽りのない、まっすぐな言葉が、なんとか溢れるのを保っていた五郎兵衛の感情達を溢れさせ、削りに削った容れ物さえも壊してしまった。
今までぶつけようのなかった感情をぶつける相手を見つけてしまったんだ…と感じました。耐えてきた人が限界を迎え壊れてしまった。
これまで幾度も降りかかった理不尽も、その度に味わった屈辱も、いつも感じている孤独も、見たくなかった人の汚い心も…
全て受け止めていた五郎兵衛が純真な伊之助の言葉で壊れてしまう。

「…そうだ…。お前が全部悪いんだ…」
この「お前」は今、目の前にいる伊之助だったのか。その先には幾人もの顔が浮かんでいたのかもしれません。幾人もの「お前」が五郎兵衛をジワジワと壊そうとしていた。壊れてしまったキッカケが伊之助だっただけなのではないか。
伊之助という相手を見つけてしまった五郎兵衛が「もう…なんにもいらねぇ…一家もいらねぇ…」と唸るように吐いた言葉に「終わり」に足を踏み入れたような恐ろしさがありました。

色んな劇団さんで何度もこのお芝居を観ていますが、この伊之助に刀を向ける理由の部分がボヤっとしていたり、五郎兵衛の感情があまりに唐突だなぁ…と感じることがあったのですが、この日のお芝居にはそういった違和感を感じることはありませんでした。
おこがましいけれど少し分かった気がするよ…五郎兵衛の気持ち…。

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一貫して作られた人物像があるからこそ、そしてそれぞれの登場人物の想いが丁寧に描かれるからこそ「このお芝居ってこういう見方もあったのか…」だとか「こういう話だったのか…」と発見したり納得したりできるんだなぁ…と。
博多家座長、三兄弟さんのお芝居ではしばしばこういった発見や納得をすることがあるのですが、そういった点では2019年で最も印象に残った一本でした。

④ 2019.6.9 夜の部 『赤垣源蔵 徳利の別れ』 @新開地劇場

この日は通し狂言!
上演時間や舞台セットの関係で上演できる劇場さんが少ないという田村邸の場面からでした。
とにかく役者さん達のそれぞれの役へのハマり具合がとてつもなく、お芝居の完成度だけを考えると2019年で一番では…と思うほどでした。

田村邸の桜の木の下、花道花形演じる浅野内匠頭を見つめる桃之助座長演じる片岡の表情。
片岡の存在に気づき「片岡ぁ…」と小さく漏れた浅野の一言で「これは良い芝居になるな…」とお芝居開始数分で得た謎の確信。
殿と家臣の別れ、これから描かれる兄と弟の別れ…この芝居の根幹となる言葉にはできない力で結ばれた人達の別れの哀しさがこのやり取りで感じられたからでしょうか。

浅野内匠頭と赤垣源蔵を演じられた花道花形。
赤垣源蔵という役柄にとても合っておられて、まさに花道花形らしい、弟であることの可愛らしさと憎めなさが役にも生きていました。
塩山家で兄の不在を知り一瞬曇らせる顔、まどかさん演じる杉をからかい、大きな声で笑う笑顔の愛らしさ、兄の着物に討ち入りの決意を誇らしげに、そして今生の別れを涙ながらに述べる姿。
源蔵が兄に会えなかったことと同じように、この源蔵の言葉を直接聞くことのできなかった兄・塩山へも思いを馳せてしまうような。
最後には「兄上…!!」と泣き崩れる源蔵の背中にそっと手を添えたくなるような。

無事に吉良の首を取り「今から皆と殿のもとへ行くのだ!」と晴れやかに笑った源蔵が、別れを惜しむ市助に「市助…泣いてくれるな。わしの涙はもう枯れ果てたぞ…」と涙を堪える姿に、源蔵の、四十七士の、そして彼らを支える全ての人の「別れへの哀しみ」が感じられ、源蔵という人の魅力が花道花形の持ち味によって見事に表現されていました。

そしてもうひとつ、このお芝居で印象に残ったのが浅野の家臣・片岡と塩山家の下男・市助の二役を演じられた桃之助座長。
桃之助座長の「誰かの想いを託される役」が特に好きなのですが、この市助という役は桃之助座長が演じられる役の中でもかなり上位に入る好きな役。
桃之助座長は人の痛みを我が痛みに、人の痛みをその人以上に受け取れる役者さんだなぁと思うことがあります。
片岡も市助もこの「人の想いを受け取る」「託される」役だと私は思っていて、この日のお芝居でも桃之助座長のお芝居に釘付けでした。
桜の木の下で浅野の最期の想いを受け止める片岡、塩山の期待を一手に背負って源蔵を探し、また源蔵から遺される者へと品々を託される市助。
主君の、そして源蔵の言葉一つも聞き漏らさないでおこうと耳を傾ける姿、手にした物を傷一つつけまいと大事そうに抱える姿。
人と人の繋がりを描くのがお芝居なら、桃之助座長という役者さんの心がお芝居の中の役と役の心を繋いでいるんだとそう思うお芝居でした。

完全に余談ですが源蔵から何ももらえなかった市助が、カッコよく去ろうとしている源蔵に「お待ちくだされ!源蔵様…誰か一人忘れてはおられませんか…」と控えめに聞く所がとても可愛らしいのもこの役を観る楽しみにしている一つです。

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言い出したらキリがないのですが、源蔵の兄・塩山を演じる博多家座長の弟の理解者であろうとする愛情、そして陣太鼓の音を聴き源蔵の真意に気づいてから熱を帯びて盛り上げる台詞まわしのカッコよさ。
塩山の妻・おしげを演じる千之丞さんの源蔵を毛嫌いする見事なうまさと源蔵に会わなかった事への後悔を表す細かいお芝居。
源蔵の言動に戸惑いながらもお芝居に柔らかい笑いをもたらしてくれるまどかさん演じるお杉…などなど。
本当に役者さんそれぞれが役にぴったりハマって完成度の高いお芝居でした。

⑤ 2019.6.13 夜の部 『生きとし生けるものへ』 @新開地劇場

観劇後、感じたことをどう言葉で表現していいか、とても難しいお芝居でした。
障がいを持った弟・晴男と素行の悪い兄・鉄男。
兄弟愛を描いたお芝居ではあると思うのですが「弱い立場の弟を守る優しく強い兄」という単純な構図ではないのが、とてつもなくリアリティを持っていて、受け止めるのに時間がかかり、未だにうまく咀嚼しきれていない部分があるなぁと感じています。

障がいを持った弟・晴男を演じた桃之助座長。
とても難しい役どころを変わらず丁寧に真摯に演じられていました。
そして晴男の兄・鉄男を演じられた博多家座長。
人間の狡さや弱さといった複雑な感情を晴男との日々の中に描き、訪れる窮地の中で心が絞られるような演技を見せてくださいました。

まず序幕で表現される晴男が世の中で生きていくことの難しさ。またそんな弟を助けているように見える鉄男も上手く世の中を生きていけていない人なんだと感じました。

お芝居の中盤、悪事の計画を邪魔された鉄男が晴男に向かって声を荒げる場面。
とにかく鉄男がメチャクチャ怖い…。おそらく「いつもの事」であるその兄の姿に萎縮し怯える晴男。この二人っきりの兄弟の姿に胸が締め付けられました。
この二人はずっとこんな事を繰り返して生きているんだろうか…。
これがこの兄弟が完全に世間から弾き出されてしまわないように、何とか生きていくためにたどり着いたかたちなのか。
「じゃあどうやって生きていけばいいんだよ」という鉄男の声が聞こえてきそうでした。
鉄男は晴男の存在を言い訳にし、時には利用し、どこかで「何も分かっていない」とバカにしている。
そういった人間の狡さとか弱さが見えて、何かがズッシリと少しずつ乗りかかってくる感覚でした。鉄男がちゃんと人間でただの善人じゃないというリアルさ。

そんな鉄男が「何も分かってない」と思っている晴男に、静かに優しく問われる場面。「今」というのは「これから」と繋がっているのと同じように「これまで」とも繋がっている。そんな当たり前のことの残酷さを思い知るようでした。

「兄ちゃん、悪いことばせんと生きていけんと?悪いことばせんとお金、もらえんと?」
晴男は兄がお金を得るために悪いことをしていることも、そういう事を続ければ自分のそばから居なくなってしまうかもしれないという事も分かっている。
この言葉に「もう悪いことはせん。お前と一緒に、ずーっとおる。」と約束した鉄男。
でもこの約束の直後に二人は一緒に暮らせなくなる。そしてその別れは今生の別れにもなってしまう。

晴男と暮らせないと分かったとき、鉄男は呼吸を忘れ、一瞬の逡巡を見せます。そして鉄男が優しく言った言葉。
「はる、兄ちゃんはやっぱり悪い人やねぇ。またお前に嘘ばついてしもうた」
たった今、ずっと一緒に暮らすと言ったけれど、それは叶わない。
「また」嘘をついてしまった。これまで幾度もついてきたように。今度こそはうまく生きていけると、生きていかなければならないと思ったばかりなのに。 
「これから」正しく生きていこうと「今」決心しても「これまで」が邪魔をする。当たり前のことではあるけれど、人生はひと続きであることの残酷さ。

この時の鉄男は何を思い、二人のこれからをどう考えたのか。
たとえ誰かが擁護してくれたとしても、自分自身の中では決して言い訳ができないこと。咄嗟にそれらしい逃げ道を用意しても、またすぐにそれがいかに陳腐なものかを突きつける自分がいる。その逃げ道を辿った所でどこにも行き着かないことも分かっている。誰かのせいにしたい自分と誰かのせいではないと分かっている自分がいる。
生きるということは、こういうことをいくつか、人によってはいくつも背負っていかないといけないことなのではないか。
鉄男は晴男という弟と暮らして行く中で、ずっと自分が用意した逃げ道を繋げ繋げて生きてきた。しかしその逃げ道もとうとう行き止まりに辿り着いてしまう。

鉄男がこういう道を歩む事になるには周囲からの愛情に差を感じたりだとか、「守ってあげること」を当たり前に強いられる事に感じた窮屈さだとか、世間が決して弱者に優しくなかったりだとか…真っ当に生きることを阻む理由がいくつも幾十もあったのかもしれない。それでもその道しか選べなかったのか。
違う道を選んでいたら弟を一人にせずに、たとえ短い間だったとしても寂しい思いをさせずに、その姿を自らの目に焼き付けて別れることができたかもしれない。いくらでも言い訳は出来るけどその道を選ばない人もいる。
しかし正しい道を選ぶことがいかに難しい事か、その道を行かなかった人が正しい道に戻ることにどれだけの苦労があるか。

出所した鉄男が病院で医者から弟の死を告げられてからの姿に、そんな正論になんの意味があるんだろうと思いました。
「なぜもう少し早く、晴男君に会いに来てあげなかったのか」
「晴男くんの事を想ってあげれば、きっと彼にもその想いが届く」という医者の言葉。
あまりにも正論であまりにも綺麗事で。
その言葉を向けられている鉄男は相槌も打たず、その目は何も捉える事はなく、その耳には虚しく音が響くだけ。なんの意味もない。全てが遅かった。
医者の言葉の正しさ・綺麗さと鉄男と晴男が生きてきた、決して正しいとは言えない綺麗ではなかった世界とのギャップが凄まじくて、もうそれ以上言わないであげてくれ…と言葉を遮りたくなりました。

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晴男が手紙に残した「やっぱり兄ちゃんに会いたかったなぁ」という最期の願いと鉄男が涙でグチャグチャな顔で心の底から叫んだ「晴男ー!!」という後悔の声はこれから先も忘れることはないと思います。
観るのにかなりエネルギーが必要ですが、もう一度観てもう一度考えたいと思う一本でした。

⑥ 2019.6.21 『定九郎破れ傘』 @新開地劇場

 2018年8月の初演を拝見した際も主演の定八を演じられた博多家座長の硬軟自在の上手さと熱のこもった演技、八千代という女座長の波乱の人生を演じられた桃之助座長の役への真摯さ、花道花形演じる清吉の女を利用する二面性を持った見事な悪人っぷり…など見所がたくさんあるお芝居だなぁという感想を持ちました。
今回改めて拝見して、初演の際よりも定八の八千代の芸に対する憧れの大きさが明確になっているように感じました。
この核があるからこそ、定八がその守るものを失った時の狂気とも言える変貌ぶりに矛盾がなく、その恐ろしさがより増したように思いました。

まず序幕で「博多家さんうまいなぁ〜」と思ったのが定八という人の「不器用さ」「出来なさ」を表すお芝居。
定八は役者としてはまだ半人前で立ち回りを間違えては先輩役者に怒られる毎日。道具を運ぼうとするも何かを持てば何かを落とす、拾ったと思えばまた何かが落ちる。
「すみません!すみません!」と真剣な定八の姿は決して滑稽ではありませんでした。
真面目でやる気も人一倍あるけれど「どうしても上手くやれない人」であることがこの場面だけでも十分に伝わってきます。
どこか抜けた人物ではあるけれど所謂三枚目ではない。
簡単にブレてしまいそうなこの定八という役のキャラクターを崩さずに、しっかりと表現できる博多家さんのうまさに感服でした。

そしてこのお芝居の根幹だと思う定八の八千代の芸への憧れの大きさ。
忠臣蔵五段目、定九郎破れ傘の場。その芝居で定九郎を演じるのが彼の一番の夢である事を表す場面。
八千代と劇団を守るために定八が劇団を去ることになり、八千代が定八に見せた定九郎の見栄。
その八千代の姿を目に焼き付けようと、流れる涙を必死に拭いて、脚の先から頭、手の先までじっくりと何度も見返す定八の真剣な表情。
この過剰なまでに真剣な定八の表情が八千代の芸と、定九郎の役への憧れを強く表していたと思います。
役を作り込み、感情を落とし込んで丁寧に表現する博多家座長ならではのお芝居の良さが存分に出ている場面だなぁと思いました。
そしてこの八千代の芸が定八から奪われることの重大さがきちんと描かれえているからこそ、あの不器用な、出来ない人であった定八が狂気を纏うまでの感情の流れがより一層理解しやすく、恐ろしさが際立つんだなぁと感じました。

そしてこの定八の狂気を掻き立てる、悪の部分を担う一人が座の太夫元と天神の親分の二役を演じられた千之丞さん。
借金を帳消しにしてもらうために天神の親分の元に八千代を連れていこうとする太夫元。
話し方の間・語尾の強弱、嫌がる八千代の横に「誰のおかげでお前はここにいられると思ってるんだい」と着物をからげながらしゃがむ所作など…人の弱みに付け込むいやらしさっぷりがお見事でした。
強いものには弱く、弱いものには強くという役の人柄が短い出番ながら舞台に後味の悪さを残していました。こういう奴いるよな…と思うリアルな人物像。
そして天神の親分も見事な嫌な奴っぷり。
定八の「親分はどいつだ!」という怒りに満ちた言葉とは対照的に「この俺だよ、だったらどうした」と声なく笑い冷たく言い放つ姿…
どうしようもない悪人、人の心なんてないなと確信するほどの悪役っぷり。

そしてもう一人、悪を担ったのが花道花形演じる清吉。
とにかくそのクズっぷりが素晴らしかった!(褒めてます)
八千代の亭主となり、天神の親分と組んで八千代を女郎屋に売り飛ばしては金を作っている清吉。
「八千代、頼むから店に出てくれねぇか。金が出来たらまた二人でいい暮らししようじゃねぇか。なぁ?」と優しく語りかけたかと思えば、八千代のつれない態度に「誰のおかげで生きてられると思ってるんだ!」と声を荒げる豹変っぷり…恐ろしい…現代なら確実にDV男…。
定八が金を持ってきた場面でも徹底したクズっぷり。目の前で女房の八千代が自ら命を絶ったにも関わらず、見えているのは金だけ。怒りに満ち溢れた定八の声も半分に聞いて、こぼれ落ちる小判を見て「金だ、金だ」と嬉しそうに笑う。

同情の余地も無い。「定八、やっちゃってください」と思わせる見事な悪役っぷりでした。ただ悪い奴というのは簡単かもしれませんが、どういう悪い奴なのか、何が彼をそうさせたのか…というのまで見えてくるとお芝居にグッと深みがでるなぁと感じました。

最後はやはり博多家座長の狂気っぷりが圧巻でした。
序幕の「定九郎の役をやるのが、夢なんです!」とどこか頼りないながら、それでも希望に溢れていた定八が、地獄の底から響いてくるような声で「皆殺しだ…」と呟いてからの狂気。
まさに狂ったように刀を振り回し、もう誰もいなくなった舞台の上で叫びながら必死に刀を振る。

全てが変わってしまった。座はなくなり、兄弟子は女を食い物にし、姉弟子も廓に身を沈め、そしてなにより守りたかった八千代の芸が、命が消えてしまった。そして定八も八千代の芸に純粋に憧れ、できないながらも一生懸命に稽古をしていたあの頃には戻れない。
何もかも変わって、何もかも失ってもまだ定八の中に残っていたのは、あの日八千代が見せてくれた定九郎の見栄。誰に見せることも叶わなかった定八の定九郎が、八千代から受け継がれた定九郎が定八の身体に芸として受け継がれ、たった一人、八千代のためだけに披露させる。
何もかも変わってしまっても、唯一八千代の芸への憧れがまだ定八の胸にあったことがこのお芝居の唯一の救いかもしれないと感じました。

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ご自身も口上で最後の場面はゾーンに入った。と仰られていましたが、「博多家さんすげぇ…」(何回言うねん)としばらく放心する気迫でした。
まだ上演回数が少ないので、これからお芝居としてどんな変化を見せるのかが楽しみな、定八や八千代の過去が語られたりすれば、またお芝居としても深みが出るかなぁと思う一本です。

⑦ 2019.7.5 『恋の片男波』 @明生座

このお芝居は定番のお外題だと思うのですが、何故か今までご縁がありませんでした。代貸・大五郎を演じた桃之助座長の想像を超える共感させる力と博多家座長演じる大五郎の兄弟分・源太の兄弟の絆が印象に残った一本でした。

お嬢さんと一緒になれるということを糧に、一家に尽くしてきた代貸の大五郎。
男修行のためと一家に草鞋を脱いだ、花道花形演じる清次にお嬢さんが惚れてしまう。それを知った大五郎が清次の事を恨みに思い騙し討ちにかける…というお話。

桃之助座長演じる大五郎は分かりやすく共感を得られる役ではないと思います。お嬢さんにフラれたのに「男の本望だけは果たさせてくれ!」と追い回すし、止めに入った清次とすぐ斬りあおうとするし、清次とお嬢さんの仲を知った源太が間に入り、ことを治めていることも知らずに先走って過ちを犯してしまうし…
ずっと好きだったお嬢さんと一緒になれなかったという可哀想さはあるとはいえ、人としてはちょっと落ち着いてくれよ…というのが正直なところ。

それでもお芝居終盤での大五郎の独白に、桃之助座長ならではの共感させる力の強さを実感しました。
大五郎は千之丞さん演じる叔父貴にことの次第を全て明かされ、その過ちを源太に責められ、清次と刀を交える事になります。
大五郎は自らの過ちを認めながらも、自分の苦悩を少しでも分かってほしいとその救いを源太に求めます。
「なぁ兄弟、俺だけが悪かったのかなぁ。他の誰にそう思われてもかまわねぇ。兄弟の目にも俺が悪者に映るか?」と。
この「俺だけが悪かったのかなぁ。」という言葉にハッとさせられました。それまでは大五郎の突っ走りぶりをどこか客観的に観ていたのに、本当に大五郎だけが悪かったのかな…と立ち止まって考えさせられてしまう不思議さ。桃之助座長の人間のどうしようもない感情や卑しい部分もさらけ出すような独白に不思議と同情してしまう自分がいました。

桃之助座長のお芝居を観ていると予想していた通りの言葉でも、特別にいい事を言っている音葉ではなくても不意に胸にグサッと刺さることがあります。
なんだこの心の隙間にグッと入ってくる感覚は…と驚かされます。
人の感情というのはそんなに論理的ではないし単純ではない。他人が見て「なんでそんなに…」と思うことでも、それはその人にとっては生きる意味だということもある。理解を得られにくい人であっても、その核の部分をブラさずにまっすぐ演じる事で、その役への愛着や共感を得られるのかなぁと思いました。

そして桃之助座長が最期に救いを求めた源太のお芝居がまた良かった。
言語化するのは難しいのですが、桃之助座長と博多家座長の役の作り方や演じ方は種類が少し違うなぁと思っています。ですがお二人のお芝居がバチっとはまったなと感じるときがあり、ことにこういった兄弟分(リアル兄弟)もののときはそう思うことが多いように思います。
この日の幕切れに向かう場面でもお二人のお芝居がまさにバチっとはまったなと感じて印象に残りました。

大五郎の過ちを知った源太は「許さねぇ」と声を荒げます。しかし「お前だけには俺の胸の内を少しでも分かってほしい」と言う大五郎を前に、兄弟分としての覚悟を決めたように見えました。
大五郎がやってしまった事、清次の事を思うと源太とて事を丸くおさめるということはできない。だからこそ自分が兄弟分として、大五郎の唯一の理解者として大五郎が男として死ねるように、最期にせめて自分だけは想いを寄せられるようにとしている源太の姿がありました。
傷を負った清次に「もう後には引けねぇんだ…」と虚ろな目で刀を振り上げる大五郎をじっと見つめ「男だろ!!」と一喝して引き止める。
向こう側に行ってしまいそうな大五郎を寸前の所で引き戻す。
その言葉がすなわち大五郎に「死ね」と言っているのと同じでも。
大事な兄弟分がこれ以上過ちを重ねさせないために、若き日に盃を交わした大五郎をこれ以上失わないために。
涙ながらに自ら腹を突く大五郎の姿を、自分だけは見届けなければ、見届けることが自分のせめての手向けだと目を背けたくなる瞬間を焼き付けるように見る源太。
刀が大五郎の腹に刺さった瞬間、源太の拳にもグッと力が入り息も止まる。
どんなに卑怯な事をしても二人の間には二人にしか分からない思いがある。

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全てをさらけ出してぶつける人とそれを受けとめて理解しようとしてくれる人。お二人のガッツリ兄弟もののお芝居が益々観たくなる一本でした。

⑧ 2019.7.14 昼の部 『人情深川流し』 @明生座

このお芝居は5月に早乙女紫虎座長が立ててくださったお芝居。
お話の筋は三兄弟さんでされているお芝居で言うと『団七しぐれ』と似ているのですが、ユーモアのある人物や場面も多く、お芝居としてはどちらかと言うと喜劇よりかなぁと思います。
こういうお芝居は核を失うと「何のこっちゃ…」となりかねないと思うのですが、締めるところをきちんと締めることで見所のあるお芝居でした。
特にこの日ゲストに出ておられた沢田ひろしさん、そして一ヶ月ゲストの千之丞さんというベテラン役者さんの技巧の素晴らしさに感服の一本でした。

沢田さんが演じられたのは花道花形演じる長吉とあいさん演じる妹・お花の義理の父・源兵衛。
この役は序幕で殺されてしまうので出番は決して長くありません。
しかしその後のお芝居にもしっかりと源兵衛の姿が見える!
お芝居とはこういうことだよな…と思わせてもらえる役でした。

源兵衛はとにかくお金が大好き、お金が何よりも一番という人。
娘のお花をお金と引き換えに、金持ちの家に無理矢理嫁がせようとするほど。
止めに入った長吉に「お花を連れて行けば五十両の金がもらえる」と金目当てであることをうっかり漏らしてしまい、「なら、とっつぁんは金がほしいのか」と問われると何の迷いもなく「わしは金がほしい!」と言い切る清々しさ。
五十両は俺が用意しようと言った長吉に「金をくれ!早く!ほら!」と催促するせっかちさ。
長吉の企みがバレてしまえば「今まで育ててやったのは誰だ」と詰め寄る。
瀕死の状態で目を覚ましたかと思えば、金を貸した相手に「金!金を返せ!金をもらわねぇと死ぬに死に切れねぇ。」「金が何よりの薬だ、金を見れば傷も治る」という貪欲っぷり。
お金に汚いというだけでなく、どこか調子が良くて、こんな性格でもしぶとく、上手くやって生きてきた人なんだろうなぁというのがよく分かります。
この十分ほどのお芝居で確実にその役を生きておられる…そして源兵衛は死んでしまってもその姿はその後のお芝居にも観ることができました。

旅から帰った千之丞さん演じる一寸の徳蔵が源兵衛の死骸の側に長吉の煙草入れを見つけ、長吉を案じて家を訪ねます。
「いつもならこうして俺が訪ねてきたのなら、あの源兵衛とっつぁんが小遣いほしさに顔を出すってもんだが、とっつぁんはどうしたい?」と探りを入れる徳蔵。この台詞で序幕で観たあの金に目のない源兵衛が、それはそれは調子よく徳蔵を持ち上げて、小遣いをせびる姿が目に浮かぶ。
実際にその場に居なくとも、少ない出番でも、きちんと役の印象を残しているからこそ、後の台詞が生きてくる。
また千之丞さんの少し呆れたような言い方でも源兵衛がどういう人だったかと言うのが分かる。
ベテラン役者さんの技巧のコラボレーションを感じた場面でした。

そしてその千之丞さんが演じられた徳蔵のお芝居の締めっぷりが素晴らしかった。
兄弟分の長吉に本当の事を話させようと的確に探りを入れていく駆け引きのうまさ、長吉が真実を語れば「必ずお前の身の立つようにしてやる」と全てを引き受ける頼もしさ。
博多家座長演じる少し間の抜けた親分が長吉を探しにやってくる場面でも煙草をふかしてドッシリと構え、家探ししようとする若い衆に「待ちやがれ!俺はいねぇとそう言ってるんだ!」と一喝。場が締まる!!
さらに畳み掛けるように「憚りじゃああるけれど俺は一寸の徳蔵だ。その俺がいねぇと言ってるものを、おう!これは随分なあしらい様じゃあねぇのかい!」と迫る侠客としての格好良さ…
相手がドタバタと騒いでいても「一寸の徳蔵」という役を崩さずにどっしり構えてビシッと場を締める。思わず「うまぁぁぁぁぁぁ」と言ってしまいそうになるほど役への説得力がありました。

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役というのは文字の通りでお芝居全体を見たときの役割が本当に大切だと思うのですが、このお芝居での役割を確かな技巧で演じきるお二人のお芝居で改めてその大切さを実感しました。
シリアスなお芝居ではなくても締めるところは締める!メリハリがあってこそ、一つの物語の輪郭や核がブレずに観ることができるのだなぁと思った一本でした。


もちろんこの他にも心に残るお芝居や役がたくさんありました。
全国で日々感動を与えて下さる劇団の皆さまにには本当に感謝です!
2020年もまた色んなお芝居や役に出会えることを祈りながら、ボチボチと観劇生活を送っていきたいと思います!
1年後もまた記事を上げられるといいな〜



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