Epicross7. 本当の孤立を知っているか
孤立化が社会課題になっている。
いわゆる社会的孤立。
生活困窮者、障がい者、高齢者、若年者、独居生活者、マイノリティ....etc
社会的弱者と言われる方たちの支援や課題解決を考えたときに、当事者が孤立していくことが、課題を助長させ、適切な支援に結びついていかないと言われる。
では、孤立化を防ぐための支援はなされていないのか。
答えはノーだ。
孤立化を防ぐ支援はなされているし、そもそも社会的弱者のための支援は、孤立化を防ぐことも含まれている。
ではなぜ孤立化はなくならないのか。
孤立化はなぜ起こる
孤立化が進んでいることで、その原因も様々な角度から分析されている。
一般的に多く言われている原因の1つは、居場所の減少、コミュニティとの関係性の低下によるもの。
例えば、高齢者の場合は、定年とともに仕事を通じてのつながりがなくなったり、あるいは配偶者に先立たれたり健康上の課題から地域コミュニティへの参画がなくなったりすることで、社会的なつながりが断たれていく。
生活困窮者や障がい者、マイノリティの場合は地域内でも少数派になるので、そもそも同じ立場や視点を共有できるコミュニティが少なく、つながりをつくることできずに孤立化していくというパターンである。
総じるとあったはずのつながりや必要なつながりの分断によって、関係性が断たれ、孤立化していくというものである。
もう1つの大きな原因は、それらのつながりをつくることにエネルギーを避けないということである。
孤立化していく社会的弱者と呼ばれる人たちも普段の生活を営んでいる。
その中で生活をしながら関係性を築いていく、時間的な余裕や経済的な余裕がないこと、顔に遡ってもなかったことがつながりが分断されることに拍車をかけているということである。
孤立化をなくすために
孤立化の原因がそう考えられているので、つながりをつくることやコミュニティを築くこと、関係性のプラットフォームをつくることが対策としてなされている。
何かあったときに相談できる関係性を何もないうちにつくっておきましょうとか、何かあったときに外部からアプローチがかけられるようなコミュニティをつくっておきましょうというのが対策の主流になっている。
考え方としてはこうだ。
つながりがなくなる = 孤立化
つながりがある = 孤立しない
現在行われている孤立化対策は、規模の大小や対象層の別に関わらず、この前提の上に成り立っている。
ここに孤立化のブラインドがあるような気がしている。
本当の孤立を知っているか
孤立しそうな人に対して、積極的に働きかけ、つながりましょうよと声をかける。
これは現在の孤立化支援としては、スタンダードな関わりだろう。
このような関わりの頻度や範囲を広げていくことで、孤立化がなくなる方向に進んでいくと考えられている。
しかし、既存の対策に乗らない人たちは、そうではないのだ。
差し伸べられた手を掴めなかったことで、より孤立を認識する。
「助けられる自分」というものに負い目があると、その手を掴めない。
負い目を感じている自分が、社会に出ていくことに抵抗がある。
支援の手がないのではない。
差し伸べる手があればあるほど、孤立化していくのだ。
本当の孤立は「つながりがなくなること」で始まるのではない。
本当の孤立とは「つながれていない事実を認知したこと」で始まるのだ。
その前提に立ったときに支援はどう映るだろうか。
積極的な支援は、孤立化していく人からすると、孤立化している事実を突きつけ続けているだけかもしれないのだ。
可能性を信じる
そう考えると善いと思って行なっている支援が、そうであるとは限らないことに気づくだろう。
もちろん、今の対策が間違っていると言いたいわけではない。
全員が一辺倒の対策をすることに疑問を持ってほしいのだ。
既存の対策以外の可能性を考えてほしいのだ。
では、何をすればいいのか。
1つの答えは「何もしないをする」ということではないかと思っている。
孤立する選択もその人に委ねるということである。
支援されることが負荷になりうるのであれば、それを辞めてみるのも支援なのだ。
でもそれは、手を離すということではない。
何もしないけれど、じっと見続ける。じっと待つ。
相手の可能性を信じている者にしかできない支援である。
和△1金◻︎3◻︎3D30/4w5/INTP/秘密兵器。ワークデザイナー。高校時代に出会った料理人の影響で料理の道へ。「素材を活かす」料理の考え方は人材にも通ずると信じ、その人が持ち味を“思い出す”自己変容を描くセッションや研修を実施中。