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Case.5 パクるな盗め

先日友人が上げていた記事が気になった。

「どこまでがオリジナルで、どこからがパクリなのか」

ワークショップをやっていても度々遭遇するこの問題。

いや、もはや永遠の課題とも言ってもいい。

著作権や意匠権が規定されているものであれば、わかりやすいが、こと目に見えないものになるとその線引きは容易ではない。

ワークの改廃、成長とバリエーション...。

そんなことを考えると、どこまでが「オリジナル」なのか判断のしようもない。

また、オリジナルを主張し過ぎて、業界全体の成長が妨げられるのであれば、それも方向性が違う話である。

「パクる」という言葉。

ザッと考えてみると意味合いによって「状態」「対象」「程度」にわけられるのではないかと思い立った。

「パクる」状態

状態は簡単である。

相手に対して「無断で」使用する。

「無断で」つまり相手が知らない状態で使用されたとしたら、それはパクられたということになる。

先例のように全国規模の大きなイベントであれば、なおさらである。

法的証明の他にも、類似例や先行例があれば、オープンソース化されていない限り「無断で」の使用になる。

ただ、大きな事象に関していえば、許可確認が必要だが、我々のようなワークに関しては、判別しにくい。

開発者がオリジナルの定義を明確にしていれば別だが、大体のワークが何かをベースにしたり、別の何かを組み合わせたりしてつくられているので、最終的には、オリジナルかどうかは本人の主張でしかない。

(東京オリンピックのロゴデザインで起こった問題について賛否が巻き起こったが、まさに行くところまで行くと主観による水掛け論にしかならないことは記憶に新しい)

なので「無断で」あるかどうかは、本来重要な主旨ではあるが、ワークショップに関して言えば考えにくいこと、判別しづらいことでもある。

「パクる」対象

対象に関しては2つある。

1つは「モノ」もう1つは「コト」である。

別の言い方をすれば、

モノ:目に見えるもの(ツール、道具、資料etc)
コト:目に見えないもの(方法、ノウハウ、情報etc)

である。

「モノ」であればわかりやすい。

同じものを使っていれば判別できるし、許可も出しやすい。

著作権や意匠権、©︎表記などがあるのはそのためである。

ただ、「コト」になると判別しづらい。

目に見えないものなので、どの時点でオリジナルになったかどうかわからないし、モノのあるなしのようにはっきり区別できるものではない。

人の頭の中身はわからないし、経験したことも証明できるわけではない。

(だから、ノウハウのように目に見えないものを書籍やマニュアル等の目に見えるカタチにして残すのである)

そこで別の視点として「程度」を考えたい。

「パクる」程度

「パクる」ときに程度にも2つあると考えている。

1つは「コピー」もう1つは「マネ」である。

コピー:オリジナルを寸分違えずそのまま行う
マネ:オリジナルの一部のみを流用する(いわゆる廉価版)

コピーかマネかは明確で、オリジナルがそのまま(コピー)できるかどうかで判断できる。

オリジナルを基礎と考えたときに、基礎ができているのであれば応用であるし、基礎ができていないとすれば廉価版や劣化版である。

ワークショップというオリジナルを明確にしづらいものを扱う以上、「無断で」あるかどうかや「コト」に関してはある程度仕方がない。

しかしながら、プロセスや成り立ちを知り完成形を知った上で使用しているのか、初見の印象だけで反応的に使用しているのかである。

この差を生み出すものは何か。

それは作り手へのリスペクトである。

リスペクトしているか

作り手へのリスペクトとは、敬意を払って使用しないとか、違うやり方をしないとかいうことではない。

「作り手以上のものにして世に出す」ということである。

作り手が誰であるかは関係ない。誤解を恐れずに言えば、作り手が知っているか知っていないかも関係ない。

それが必要なのであれば、過去にできた名もなき叡智は対象ではなくなる。

作り手が誰であろうと、そこに至ったプロセスと研鑽の歴史に敬意を払い、昇華をさせるバトンを引き継ぐ覚悟と決意があるかどうかである。

例えば、料理人の世界では「盗め」と言われる。

かつては教えることを半ば放棄した徒弟制度の下に成り立っていた考え方だが、ここには一定の真実が含まれている。

「盗む」とは技術や知識を「自分のものにする」ということなのだ。

相手のマネをしたり、コピーしているようでは、まだまだ自分のものになっていない。

技術の核心を掴み、知識の真意を得て、自分なりのやり方に変換できてこそ初めて「自分のもの」となる。

職人の世界の「盗む」とは、自分自身の力量が瞬間的に表に出る、技術や知識をどう捉えたかが試される瞬間なのだ。

「パクった」と言われてるようでは、まだまだ自分のものにはなっていないということだ。

まとめ

今回は「パクる」をテーマに考えてみた。

「状態」「対象」「程度」いろんなレベルでの捉え方があるが、今回言いたいことは

作り手へのリスペクトはあるか?

だけである。

盗み盗まれる中にリスペクトの視点があってこそ、飽くなき挑戦と研鑽による相互成長の歴史が築かれるのではないだろうか。

1人の作り手であり、1人の使い手として、肝に命じておきたい視点である。

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和△1金◻︎3◻︎3D30/4w5/INTP/秘密兵器。ワークデザイナー。高校時代に出会った料理人の影響で料理の道へ。「素材を活かす」料理の考え方は人材にも通ずると信じ、その人が持ち味を“思い出す”自己変容を描くセッションや研修を実施中。