人付き合いはめんどくさくて大事

最近人間関係や人付き合いや恋愛に関する情報を摂取しまくってるんだけど、なんか自分が世間知らずで不誠実でやばいやつらしい事がだんだん分かってきた。
そしてそういう人が現代には増えているらしいとも。

学生時代に積み上げた僕の生き方の基本的なスタンスは、
「学校でいい成績を取れば好かれる」
「与えられた課題をうまくこなせば褒められる」
「余計な事をせず、目立たなければ怒られない」
である。

最近めっきり聞かなくなったが、僕はいわゆる「ゆとり世代」である。しかも、そのど真ん中の。
義務教育のほぼ全てをゆとり教育で過ごしたサラブレッドである訳だが、僕が通っていた学校では自主性こそ罪、という空気であった。
授業中、先生からの質問に手を挙げる人は誰もいない。
手は挙げないが、テストはきっちりやる。

振り返ってみれば、人付き合いもこんな感じでやっていたのだ。

学校生活が人生のほぼ全てである学生時代、いい成績を取って親や先生に褒められる事がその全てであるのと同義だった。
授業とは、他人が決めた価値観を刷り込み続ける作業。
僕はそれが得意だった。
それが得意であるということは、人生において「他人」を1番に置いて生きるということ。
他人の価値観を言われるままにに詰め込み、他人の指示によって動く主体性のない人間の出来上がりだ。

・人付き合いはギブアンドテイク
遊びに誘われれば行くし、褒められれば褒め返すし、頼まれごとはきっちりやり遂げる。でも自分からは何もしない。
こういう人、どれくらいいるんだろうね?
結構いる気もするし、自分が拗らせすぎてる気もする。

・親からの愛は無償の愛。しかしそんなものは世の中には無い
僕は親からの無償の愛を受けて育ったということだろうか。
「人間、ただ生きているだけで愛される」などという傲慢な考えを持ってしまった気がする。俗に「真実の愛」などと呼ばれるものだろう。
与えられるだけの人生を当たり前としていると、人間関係は歪む。
もらって当たり前のものなんて無いんだね。
基本的に、与えるから与えられるのだ。
人と人との関係はwin-winでなければ。

・めんどくさいからって人間関係を切ると…
基本的にいえば友人を失くす。

みんなが本音を話してくれた時、自分だけが強がって何も言わなかった事、本当にごめん。
本音を明かしてくれる事って、その人を信頼している証だったんだなと。

こんな事相談しちゃいけないかなとか、距離を取ってごめん。

ぶっちゃけ、後半はまとまってない。
なんか上手いことまとめてストーリーに仕立て上げるのが、なんだか嫌になった。

この事は、これからも考え続けていくものだと思う。適宜追記していきます。

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