他人に感情移入できない理由を考える

僕には、「共感力」が足りない気がしてならない。

例えば、「社会のルールやモラルに反した事をやった事がある」という話を聞いた時。
心ある人なら「何か事情があったんだろう」とか、その人なりの正義は何だったんだろう、とか思うんだろう。
でも僕はそう思えない。
やった事はやった事。それは社会のルールに照らして正しくないのだから、それに伴う結果があるべきだと考えるタチだ。

まあこれは極端な例かも知れないけれど。
要するに物事の裏側を想像するのが苦手なのだ。
何か事情があるかもしれないのに、表で見えてる事で判断して勝手にイライラすることがよくあり、その度に自分の器の狭さを思い知る。

まあその辺りの理由は何となく見えてきている。

結局のところ、人と向き合ってこなかったら人の事が分からないんだろう。
何でこうなってしまったのか?
色々と考えてみた…

その中の理由の一つとして、「小説」を挙げてみたいと思う。

子供の頃は本ばかり読む子だった。
親にねだっても買ってもらえるのは本だけだったからだ。

僕は小説を読む時「自分」と「主人公」を一体化して読み進める傾向にある。

小説には「地の文」と「セリフ」の二つがあり、「地の文」は小説が持つ特徴的な形態だ。(地の文とは、かぎかっこで括られない状況説明などの文章を指す)。地の文では作者のメタ的な思考が書かれることもある。
この「地の文」があることにより、作者と読者の関係性の間で本は読み進められる。
そのため、小説では(漫画などと比較して)キャラクターが重視されない傾向がある。

つまり、読者は主人公と同一化して読み進めることで、ある種作者と対決する形となる。
僕は「主人公」の性格や価値観を無視して、自分vs小説(作者)というスタンスで読んでいた感覚だ。

マンガは小説とは全く逆で、キャラクターに自分を感情移入させることで物語を進める。作者という存在が前面に出ることはない。小説に見られる「地の文」にあたるものがないからだ。

「物語を読む」ことの出発点が「小説」だった事は、自分の人に対する認知に影響を与えていたのではないか?と最近考えている。
物語の流れの出来事のみをピックアップして、その先の展開を求める読み方をしていた。
その時「主人公」がどう考えたかを軽視していた。

そういうスタンスで人と関わっているから、物事の裏側や心情が想像できない人間になった。

そういうことなんだろうか。

うーん、色々書いてみたけど、全部言い訳かもしれない。

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