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OLポテサラ日記⑤

いろんな人がたくさん語り尽くしていることだけれど、今の私にとって、創作は願いに近い(気がします)。こんなことがあったと残したい、こんなふうに世界をみたい。現実を数ミリずらしてもいるから、ちょっとばかり綺麗すぎても、現実逃避だと思われても、願いなのだからしょうがない。

この日記も、創り作っているのだから創作だ。ただ気になるのは、この日記を通して明らかになっていく自分のズボラぶりを残したいと思っているのか、はたまたこんな世界をみたかったのか。よく分からない。創作については、もう少し考えをあらため深めていく必要がありそうです。

前々回あたりから、やっとポテサラ日記っぽくなってきたけれど、まだ前回つくったなんちゃってポテトサラダが冷蔵庫にあるのです。だから次がどうというより、まずはこの作り置いたポテサラを食さねば。こんな、ゆっくり食べてしまう(気づいたらなくなるということが起こらない)ポテトサラダ、まあ美味しいけども、のレベルなことは明らかである。

最近は、じゃがいもを見るたび、メニュー表にポテトサラダを見つけるたびに、もう1人の自分から視線を感じます。日記をつけ始めるまではそうでなかったのに、日々、じゃがいもとポテトサラダへの解像度が格段にあがっている。よく、人前で緊張するときはみんなじゃがいもだと思えばいいよ、ということがありますが、今の私は人のほうが緊張しない気がします。

あと、これも会社の後輩が気づかせてくれたのだけど、ポテサラはサラダのふりして炭水化物なのでした。まあ、食べたいもの食べたいときに食べますけど。炭水化物のふりしてビタミンたっぷりなものが、もっと世に増えてほしいものです。

ということを、今朝、鴨川で鴨の首すじの綺麗な青色を見ながら、ふいに書いておこうと思いました。考えごとは流れ星とは違って、流れたあとに綺麗だったかどうか、よりも、何が流れたか、それはそのときでないと掴みきれないのでした。

鴨川、おもってたより鴨おる

鴨、お主は自分の首すじがこんなにもきれいな青色をしていること、知っていますか。川に揺られ、岸を歩く傍ら、うようよいる人間たちのこと、どんなふうに見えているんだろう。そういえば、鴨って魚も食べるそうだけど、私がこないだつくったポテサラ、サバ入れてみたけど鴨ウケするかな。

この日記を書いていると、私のなかにこんな人格が潜んでいたのかと驚き、その出会いがうれしくもなる。どんなに寂しいときも、自分のなかにAやらBやらいろんな友だちがいたら、文章を書くだけで楽しかったりする。

昨日、有休とって京都に泊まりに来てよかった。ほどよくさびれた銭湯も気持ちよかったし、読みたかった本も読めた。京都の人の「おおきに」は自然と心がまあるくなる。

この週末で、ちゃんと冷蔵庫のポテサラと向き合おう。ちゃんと食べるから、帰るまで待っててね。

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