いつもどこかに哀しみを抱えている。
最近、「哀しみ」についてよく考える。
哀は「口+衣」で、思いを胸中に抑え、衣で口を隠してむせぶことを表しており、悲しいよりも哀しいの方が、心の中に思いを閉じ込め、胸がつまるようなかなしい心情を表現でき、より詩的で主観的である。
おじいちゃんの話を、書こうと思う。
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2019年10月
おじいちゃんが亡くなった。こんなに身近で「死」を実感するのははじめてだった。私にとっておじいちゃんは、とても大きな存在だった。そう、いなくなってから知った。
おじいちゃんは、いくつかある選択肢のなかから「これしかないだろう」と私の名前を決めきってくれた人だった。せっかちで、なんでも早かった。おじいちゃんには、いつも待ち合わせ時間を30分遅く伝えていた。
おじいちゃんが亡くなった日の夜、私は商店街の隅っこにいた。後輩と座って話していた。しゃがんでいて、足元を見ると左足のつま先部分が裂けていた。「修理出すの面倒だな...」そんなことを思っていた。
帰宅したら、不在着信が何件も入っていた。母と叔母さんからだった。母からはLINEにメッセージも入っていた。
「おじいちゃんが、亡くなった。」
自分でも驚くほど、落ち着いていた。ああそうか。ついにこのときが来てしまったんだ。母に簡単なメッセージを送り、落ち着いて叔母さんに電話をかけなおした。叔母さんは私の下宿先の近くに住んでいたので、深夜迎えにきてくれた叔父さんの車で、一緒に実家へと向かった。
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「おじいちゃん、最後、カルピスが飲みたいって言ったんだよね。」
お葬式が終わって、母がそう教えてくれた。おじいちゃんの家の冷蔵庫にはいつも、私と弟妹が好きなものを飲めるよう常に500mlのペットボトルが並んでいた。コーラと紅茶花伝、CCレモン、カルピスは常連だった。
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棺桶に入ったおじいちゃんを前にして、はじめて泣いた。石のように眠るおじいちゃんの横に花を添えて、あっけなく蓋が閉じられた。
お葬式の最後、懐かしい写真で繋がったビデオが流され、不思議な気持ちでみていた。おじいちゃんの人生は、おばあちゃんとの結婚式からまとめられていた。おじいちゃんの人生は、数分間のビデオにまとめられてしまった。
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お葬式の後は、久しぶりに集まった親戚で美味しいお弁当を食べた。黒を纏い、みんなと話す。色々と事を終え、私はもう一晩だけおばあちゃんの家に泊まることにした。おじいちゃんのベッドで眠った。また、泣いていた。
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おばあちゃん家を後にし、夜行バスに揺られながら下宿先に戻った。あっというまに着いた。玄関には靴が無造作に置かれていて、あの夜に裂けてしまった靴も虚しくあった。それからしばらく、この靴は履かなくなってしまった。
この靴は、私が大学1年生のときに買ったものだった。初めて最初から最後まで自分で決断して購入した靴だった。おじいちゃんがくれた誕生祝いに手伝ってもらい、少しだけ背伸びした買い物だった。
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2020年1月
年が明け、私は成人式を迎えようとしていた。年始、おばあちゃんの家に挨拶をしにいったとき、おばあちゃんがあるものを渡してくれた。
「本当、おじいちゃんはなんでも早いんだから...」
そう言いながらおばあちゃんは涙ぐんでいた。クリスマスにお年玉、成人祝い。私も手紙を読めなくなってしまった。
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成人式は想像よりあっというまだった。抽選で当たった私の友達が、家族への感謝をみんなの前で述べていた。私も、いろんな思い出に浸っていた。
そのときふと、気づいた。「あ、この20年って、いろんな今日の積み重ねで。これからもいろんな今日を重ねていくんだな...」私は、自分の名を誇りに思った。「今日子」はおじいちゃんの選んでくれた名前だった。おじいちゃんが、ずっと私の中にいた。
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2020年2月
私はしばらく日本を離れた。出発前、なんとなくあの靴を修理に出した。怠惰な私はあれ以来あの靴を靴箱に眠らせていた。2ヶ月空ける部屋に靴を置いていくのが少し嫌だったのかもしれない。気まぐれに修理に出した。
日本を離れて、いろんなことを考えていた。目に映るすべてが眩しかった。欧州は私にとても合っていた。
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2020年3月
あくせくと帰国し、荷物を少しずつ整理していた。自分のベッドで眠る夜はとても静かで安らいだ。外出自粛もあいまって、いろんな物語に触れ、いろんなことを思い出していた。
少しして、靴を取りに行くことにした。擦り減っていたかかと部分まで綺麗になってかえってきた。家に帰り、少しだけ磨いてみた。黒のエナメルがつやつやと光っていた。
それからは、よくこの靴を履くようになった。私の足にずいぶんと馴染んでいった。靴底のラベルは歪んでしまい、エナメルの光沢は荒んでいった。
この靴を履いていると、ふとあの夜を思い出す。あの商店街の隅っこ、何件かの不在着信、実家に向かう高速道路。棺桶で静かに目を閉じたおじいちゃんを思い出す。
カルピスを飲むことはほとんどなくなってしまった。1番最近飲んだカルピスを思い出せないほどに、カルピスは飲まなくなってしまった。「これおじいちゃんよく買ってたよね。」なんて言う人もいなかった。
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2020年9月
おじいちゃんの1周忌があり、その数日前から私はおばあちゃん家に泊まっていた。家の掃除を手伝いながら、おじいちゃんが残したいろいろを整理した。そのとき、おじいちゃんが昔着ていたシャツを譲ってもらった。私の身体にぴったり合い、おばあちゃんも喜んでいた。
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2021年1月
東京にいた。見えないウイルスに脅かされる静かな都内、またあの靴が裂けてしまった。ここまで裂けてしまうまで、全然気づかなかった。下を向いてなかったのかもしれない。いろいろなことを諦めてから、いちいち落ち込むことが減ったように思う。
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そして今、この断片的な回顧録の続きを生きている。21歳。明けたばかりの2021年も、もう1ヶ月が過ぎようとしている。
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気づけば、本棚には哀しい本が並んでいた。プレイリストには哀しい曲が多くて、物語や歌詞に散らばる哀しみに、なぜかすごく惹かれてしまう自分がいる。付箋を貼るところはたいてい、そういうことが書かれている。好きな歌詞はたいてい、そういうことを歌っている。
こんなにも愛おしく、賑やかで幸せな思い出がたくさんあるのに、それを思い出した後に残る余韻はどれも少し物哀しい。おじいちゃんはたしかに生きていた。カルピスは冷蔵庫で冷えていて、私はあの靴を買った。
それだけで存在しえる事実のいろいろを繋いでいる。おじいちゃんも、カルピスも、靴も、何もかも。その線を、また何かに結びつけようとしている。
ずっと、こんなことを考えているわけではない。が、いつもどこか哀しんでいる自分がいる。哀しみを求めて、ちゃんと哀しみたい自分がいる。そしてそれは直感的に、悲しみではなく、哀しみで、それ以外にしっくりくる表現をまだ見つけられていない。
少なくとも私は何かしら虚しさを抱えていて、ぽっかりとあいた穴を埋めるために楽しみや好きなことで埋めようとしている(ような気がする)。ごまかそうとしている。誰かや何かに夢中になって、愛に守られて、幸せな思い出で満たそうとしている。
おじいちゃんの死から、「死に向かっている」という感覚が立体的になったように思う。意味などないこの人生を哀しんでいるような気もするし、この哀しみはもっと別のところにあるような気もしている。
もしかしたら書きたかったのは、哀しみをごまかしながら生きていること、そのことまでもごまかしたくはない、ということだったのかもしれない。
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