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野村さんを書いた @リストラーズ

これは 長いラブレターということになるのだろうか。
そうなら 迷惑だろうな。

だが ご本人が読まれる確率など ないに等しい。
気付けば 思いがけず 釣り針を飲み込んでいた、釣られた金魚が思うこと。
noteの海に流されて いつか沖合で音もなく沈む。  

万一 ご本人に見つかることがあったら
「ふーん、一匹 釣れてたんだな 」と読み流してくださることを祈る。 
気恥ずかしくなって 早々に消してしまうものになるのかもしれないが。


 
Xで 以前に湯川さんが作られた推し活ツールのひとつを試しに引いた。
 「野村さんの推しポイントを語れ」という課題。

もちろん 最推しを自覚する野村さんのことを  140文字程度で表せるわけはなく、箇条書きにしても全く文字数が不足だった。
 
考えてみれば たくさんnoteを書いてきたが 推しポイントという視点に絞って書いた記憶はない。
いつも 角度を変えて 細切れのようにして 魅かれることを綴っていた。   
 
知ってから もう10か月を超えようとしている。
一度 整理して考えてみてもいいかもしれない。
内容は 目も当てられないものになる・・・可能性はあるが 売るつもりのない
文章にそこまで気を遣う必要はないだろう。
 
はじめに言っておきたいが 他のメンバーと比べるつもりは毛頭ない。
ただ 野村さん推しの筆者の 偏った見方として許容していただければと
思う。

 
第一に何に魅かれるのか。

もちろん、その表現力。

どんな感性を育ててきたうえで 歌の思いを汲みとっていらっしゃるのかは
想像するしかないが、バラードのリードを取られた時の 歌詞の読み込みの
深さに いつも感心してしまう。
リレーリードの時でも 任された部分の輝かせ方に目を見張ってしまう。

男性の心も 女性の心も 実際に姿が見えるような気がするほど、聴く人の中に 野村さんの創られる世界観がありありと立ち現われる。

よほど正確に こまかいところまでイメージできていなければ、そういうことは出来ないのではないか。

たとえば 「恋人はサンタクロース」の中で 雪を目で追い 手の平に受ける
仕草。

冷たさが予感される。儚さを思っている。
どこか遠い場所からのメッセージを受けるようでもある。
楽しさを感じている。小さな怯えと背中合わせの期待感もある。

その怯えは一瞬で消え また新たに現れては消えていく。
形を正確に見る間はなく 正体はつかめない。

期待も同じ。
何に期待する? 自分に?彼に?今日という日に?それとも明日に?
その あわあわとした正体のつかめなさを 視線で追い、手のひらに受ける。
 
一見 型にハマった仕草に見えるが その視線はふつうの男性が日常にされる
ような仕草にはない動き。
別の次元がオーバーラップするように 二重になって見えてくる。

気付けば 野村さんの創られる世界に 迷い込んでいる。
少女時代を踏み越え オトナの女性に脱皮しようとする瞬間が 野村さんの
身体に重なって 立ち現れる。

言葉にすると 長々と書くことになるが、ほんの数秒の仕草。
イメージがしっかり出来ていなければ スーツ姿のおじさんだけが見えて
お笑いに終わってしまう。

この繊細な感性と表現力を いつ どこで 身に着けられたのだろうか。
野村さんに ただ釘付けになってしまう自分が悔しいとさえ思う。

 
 
第2には 声。


トップコーラスだけに メロディラインを追うことも多く、素人の筆者にも
聞き分けやすい。

コーラスに入られたときも 張りがあるのに しなやかな強さと柔らかさが
混在していて、ほんの少し紗がかかるような声を追える。
ときには 鼻に抜けて甘えるような響きにも魅力がある。

なつかしいような感覚が呼び覚まされる。
大切な思いを抱きしめたくなる。
引き換えの効かない時間を辿る。
飛び去る一瞬の儚さに手を伸ばす。
切り裂かれたとき 傷口にも気付かないような鋭利な刃物も思わせる。

何かの魔法を使っているかのように おいでおいでをされる声、
セイレーンの魔術。
あの声を どう表現すれば伝わるのか 言葉の足りなさに哀しくなっている。
 
残念ながら 歌い方の詳しいところを語るには 知識がない。
空気をどこにあてるのかで 聴こえ方が変わると聞いたことがあるだけだ。
多くの技術は 学生時代に身につけられたのだろうが、今になっても
おりおりに進化させていらっしゃるように思う。

本当は もっと詳しく声について語れる筆者でありたい。

だが 分析よりも自分の心に どう響いてくるのかが 筆者にとって大切なことだとも思っている。
分析が出来ないのは もどかしいが 筆者は評論家ではない。

ただのファンなのだから 「もう 泣いちゃうくらいの声なの!」という一言でも充分なのかもしれない。


 
第3は、パフォーマー、ショーマンとしての真剣さ。


リストラーズがアマチュアであることは 重々承知している。
が、その範囲ででも 歌うことに対して野村さんは 常に真剣勝負をかけて
らっしゃるように見える。

企業人としての、或いは 家庭人としての時間が 圧倒的に割合として
多かったとしても。

もし
歌うことを野村さんから取り上げてしまったら 今後 生きていけないのではないか。
そう思うほど 筆者には真剣に見えている。

ダンスを繰り返し練習したり、表情を研究したり、動画の画角まで考えて
動ける範囲を計算に入れたり。

バキュン!の仕草をはじめ、
キメ仕草の形にあくなき探求をしたり、流し目の角度や視線を飛ばす時間、立ち姿の脚の置き方、頸の傾け方、肩の入れ方、腕の伸ばし方、お辞儀の
形、印象に残すカメラを切る寸前の表情、写真の撮られ方まで。
テレた様子は見せない。
恥ずかしいなどとは 一切 思わないところまで練り込まれた動き。 

ササッと思い付きで出来る範囲を超えていると感じるのは 筆者だけではないはずだ。
きっと見えない努力を泥くさくても 積み重ねていらっしゃると思っている。


なぜ そこまでやるの?
と考えたときに、パフォーマーとしての真剣さを思いつく。
努力を努力とは感じないで出来る、好きなことだから出来るのだと言えば
よいだろうか。

そういう心情、背景をどうしても想像してしまい、そこも含めて野村さんの魅力と感じている。
 
たとえば
ステージ進行中に 多少のトラブルが起こったときの野村さんは 大抵の
場合、より集中力をかき集めてらっしゃるように見える。

目の端にトラブルを捉えていても 大きな支障が無さそうかどうかだけ判断
して、トラブルの方向はもう見ない、気にしない。

観客の目をトラブルから逸らさせて 観客の集中力が落ちないよう 自分自身も より集中してパフォーマンスに没頭する。

かと思えば、
観客の心の奥を見透かすように 冷徹なほどの目で 反応を読まれる。
もしあの目で見られたら 隠し事はできないような気持ちになるほどに
深く見透かして 空気を読み取られている。
 
憑依型の 感性のひとかと思うのに
あの冷静な様子がふと見えたとき 途端に震えるようなコワさを感じる。
いま 温度を、心を計られている。フル回転で 計算中だ、と。
別の野村さんがいるかのようだ。
 
姿勢が飛び切りよいとか、指先までキレイとか、飛んだり跳ねたり走ったりのキビキビした動きも 全てステージや動画の出来栄えを考えた動きに思う。

ショーや動画の収録が決まったときから
視聴者目線にも立ってみて こまかくイメージして 動きを考え 提案を重ね、こだわって 工夫をほどこし 確実に実行してみせる。
 
その努力を ご本人はたぶん努力とは感じてらっしゃらない。

歌うこと
見せること
ショーをすること

それが心底から すきだと感じるひとなのだ。
多くの人の耳目を集め、表現して その魅力を最大限 発揮できることが喜びなのだと思う。

もし プロの道を取ってらっしゃれば 今以上のパフォーマンスを期待できたかもしれない。

ただ プロの道は不安定で 暮らしを維持できるほどの収入は見込めないことも容易に想像できる。学問に打ち込んだ過去があれば 余計に間尺に合わないと思われたのも理解できる。
 
だからこそ
本業のかたわらではあっても 一定の時間に限ってだけ 真剣に打ち込む。
情熱を解き放つ。


筆者には その姿が魅力的で、
一瞬のために 命を賭ける打ち上げ花火のように輝いて見えている。

 
本当の野村さんが どう思って活動なさっているのかは 全く分からないことだから 勘違いも はなはだしいのかもしれない。

ただただ 歌の巧さと 品のいい笑いを織り交ぜたパフォーマンスで ファンを翻弄することにだけに面白さを感じる軽薄な考えの持ち主である可能性だってある。
そうではないことを願い 信じているが 会って話したこともないのだから
本当の本心など わからないままだ。

 
それでも。
ただ まぼろしのような存在でも。
追ってしまう。

 
あの真剣さは 筆者には魅力的だ。
あの表現力に 打たれる。 
あの声には 魔力がある。
 
野村さんが放つ  命の輝きを見ている。

<  今 この時が 大切
     多くに迷いながらも こころの海は 絶えず広がってゆく    >

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