WIRED前編集長による著作権軽視について

まったく驚いたことに、ぼくが翻訳した本の冒頭2章を音読した音声データが、ぼくの同意なく公開されました。しかもそのことは「不心得な個人が偶発的に」ではなく、『WIRED』日本版の前編集長である若林恵氏の指示のもと、黒鳥社という団体のれっきとした事業として、組織的に、計画的に行なわれました。

事後に問い合わせたところ、公開停止してくれたまではよかったのですが、なぜそんなことが起こったのかについての説明はただひたすら末端の担当者に責任を押し付けるものでした。ぼくが最も知りたかった点すなわち、この音声事業は、マイナーな著者・訳者の「宣伝したい」という望みに付け入って、自分では一文字も作ることなくコンテンツにタダ乗りする、海賊版まがいのモデルに基づいているのではないか、という疑念については、いくら質問しても「そうではないのだ」と思えるだけの答えをもらえませんでした。

繰り返しますが、相手は『WIRED』の前編集長です。公開プロフィールによれば20年以上も書いたり編集したりを仕事にしている人で、その成功によって注目される立場を務めた人であり、このような初歩的かつ重要なことを「ついうっかり」間違うなど到底考えられません。

誠意ある対応を望むことを繰り返し伝えたのですが平行線が続き、「御社でやらないなら私がやります」という通告も無視されましたので、約束どおり黒鳥社あるいは若林氏の行為について、著作権侵害に関心を持つ方に資する事例とするため説明します。

1. 事実の経緯

まず問題の音読された本について。

邦題を『健康禍』としたこの本は、もともと1990年代に英語で出版されたもので、原著者はすでに故人であり、日本語版刊行の許諾を得るためには著作権が現在だれの管理下にあるのかから探り当てる必要がありました。生活の医療社の秋元麦踏さんの努力によってそれは成り、日本語版の権利を包括的に確保することができました。つまり今回のような二次利用も日本語版関係者だけで裁決してよいということです。

ぼくは翻訳の教育も受けていなければ経験もないズブの素人でしたが、4年がかりで訳文を仕上げ、無事に2020年7月に刊行にこぎつけました。マニアックな本なので飛ぶように売れることは期待できなかったのですが、ネットを検索するとちらほらと熱心な感想を目にすることもでき、まずは上出来という感触を持っていました。

二次利用を禁止するという方針は別に立てていませんでした。ぼくの別の本はある程度の長さを抜粋して他社にお預けし、試し読みとか紹介記事にしていただいたこともあります。それはもちろん宣伝のためですし、もちろん事前の合意に基づいていました。ただ『健康禍』について同様の例はありませんでした。

ここで翻訳権についての契約が関わってきます。日本語版の二次利用を日本語版だけで決めてよいというのはつまり、訳文の著作権者であるぼくが、二次利用の可否を決める権利を持っているということです。しかし当然ながら本は出版社の商品ですから、ぼくには出版社の言うことを聞く義務もあります。なんでも著作権者の思い通りになるわけではありません。

そこへ、黒鳥社の担当者(A氏とします)から生活の医療社の秋元さんに電話がかかってきました。録音されていたわけではないので内容は双方からの伝聞ですが、「音読コンテンツを作りたいから許諾がほしい」という意味のことをA氏が言い、秋元さんは大筋同意したようです。しかし、秋元さんは「公開予定が決まったら連絡してほしい」という意味のことを、つまり「公開する前にもう一度連絡してほしい」という意味のことを頼んだつもりでいたのですが、A氏はそう受け取らなかった。黒鳥社内には単に「許諾が取れた」と報告し、その報告を受けた若林氏が公開を判断し、実際に公開された。

ぼくは何も聞いていなかったので驚いて秋元さんに問い合わせて上のことを知り、さすがに不義理ではないかと思ったので、黒鳥社からぼくに直接説明してほしいこと、また事態がすっきりするまで音声の公開は差し止めてほしいことを、秋元さんを介して頼みました。するとすみやかに公開が停止されたうえで、若林氏からぼくにメールが来ました。「著作物使用許諾申請書」という格式張った書式が添付されていました。

2. 若林氏の説明とそれに対する疑問

以下は秋元さんと若林氏との連絡からぼくが理解した内容です。誤解があるかもしれませんが、もしあれば若林氏もこのエントリを読むでしょうから、なんらかのアクションが来るかと思います。その場合に十分な理由があればもちろん訂正します。

若林氏の説明によれば、上記の問題は単に黒鳥社内の伝達ミスだと認識されているようでした。若林氏がさらに念押しをしなかったこととか、電話一本でなんの証拠も残さない連絡を可としていたことは、若林氏の不注意として説明されました。

ぼくはその説明に納得できませんでした。

なるほど、A氏も秋元さんも、なにかをミスしたように見えます。ぼくと秋元さんには、こういう場合に秋元さんがさっと許諾を出し、ぼくに事後承諾を求めても不自然ではない程度の信頼関係がありましたし、これからもそれを維持していくつもりです。とはいえ、電話が来たことくらいは即座にメッセージ1通送ってほしかったと思っています。A氏も結果としてぼくが同意しない可能性を見通せていなかったわけです。「訳者の同意が取れたら教えてください」とでも言っておける可能性はあった。

ですが、電話一本で可と判断したのは若林氏です。上記のようなミスはたやすく想像できたはずですし、電話に出たのが出版社の人であれば、その電話での発言が訳者に確認したうえでの返答ではありえないことも、明らかにわかったはずです。20年も文章の仕事をしていて、『WIRED』編集長までやった人が、許諾の処理なんて昼寝しながらでもできるくらい染み付いてるでしょうに、そんなスカスカの体制を不注意で作ってしまうなんて、ありえるでしょうか?

まして、オリジナルに一文字も加えることのない、ただそのままの内容を読み上げたコンテンツが著作権に触れる恐れはきわめて大きいことを、若林氏が理解していなかったとも思えません。ちょっとした引用とか紹介よりもはるかに入念なプロセスが必要になることはわかりきっていたはずです。

なぜそんな危険なことをしたのか。ぼくは繰り返し質問しました。

返ってきた答えは毎回非常に長い文面でしたが、ぼくが聞きたかった点はなかなかはっきりしませんでした。それでもぼくが理解した範囲で要約すると、話を早くしたいから、ということでした。

メールだと返ってこないことがあるから電話をまずかける。電話口で話がつけばそれまで。書類を求められれば応える。場合によっては、著作権担当の部署を通すと面倒になるから、あえて正規の手続きは取らない、という判断もされたようです。

この説明にも納得できませんでした。

若林氏はコミケみたいなものをイメージしたのかもしれません。法的には著作権侵害なのだけど、実害はないどころかむしろ宣伝効果のほうがはるかに大きいから黙認する、だから許諾なんか取ろうとしないでくれ、聞かれたらNOと言わざるをえないから、というやつですね。

ですが、コミケはあの世界に独自の規範によって自律し、共存をはかるための努力がなされています。「今期おすすめアニメの名シーン集」をブルーレイかなんかに焼いて売ったら炎上すると思います(それか規約で禁止されているのか、詳しくは知りません)。ぼくの感覚では、音読データはそういう種類の「やりすぎ」です。まして『WIRED』の前編集長が白昼堂々とやってることですから。黙認で済まされるとは思えません。

黒鳥社は著作権という考え方をそもそも拒絶しているのではないか。黒鳥社のサイトにはこんなことを書いてあります。

いまの当たり前を疑い、あらゆる物事について、
「別のありようを再想像(Re-Imagine)する」ことを促進することが、
blkswnとして制作するコンテンツが
願うところです。

なるほど、著作権という「当たり前」を疑い、著作権のない世界の再想像を促進しているように見えます。壮大な構想ですので、音読データがその構想を担っているとわかるように宣言してはどうかと提案したのですが、スルーされました。この点は「御社でやらないなら私がやります」と言いましたので、それに対して拒否の意思表示はありませんでした(違う内容の返信はありました)ので、若林氏の流儀に従って、同意が得られたものと考えています。ですのでこのエントリは同意に基づいて書いています。

そうそう。

驚くべき偶然がありまして、「御社でやらないなら私がやります」を送ったあとしばらくして、『WIRED』から(若林氏からではなく)ぼくに、ウェビナーに出演してほしいという依頼が来ました。内容的に合わないと思ったのでお断りしました。そんな偶然ってありますかね。あるのかもしれませんが。

3. 潜在的な被害

以上、手短に言えば「ぼくの文章を勝手に使われた」というだけのことです。小さいことと思えるかもしれませんが、黒鳥社の音読データは、ぼくの本だけでなく、ほかに通し番号を信じれば29冊ぶん(自社刊の本を除いて)すでに公開されたようです。下記の本です。

・デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』

・ジョージ・フリードマン『2020-2030 アメリカ大分断:危機の地政学』

・伊藤亜紗・渡邊淳司・林阿希子『見えないスポーツ図鑑』

・エツィオ・マンズィーニ『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』

・ステファニー・ケルトン『財政赤字の神話〜MMTと国民のための経済の誕生』

・郡司ペギオ幸夫『やってくる』

・遠藤誉・白井一成『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』

・西智弘『だから、もう眠らせてほしい 〜安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』

・村上陽一郎編『コロナ後の世界を生きる』

・三品輝起『雑貨の終わり』

・畑中章宏『五輪と万博 開発の夢、翻弄の歴史』

・エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』

・銭俊華『香港と日本 記憶・表象・アイデンティティ』

・樋口耕太郎『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』

・ルース・ベネディクト『レイシズム』

・大熊孝『洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生』

・藤井保文『アフターデジタル2 UXと自由』

・渡辺一夫『ヒューマニズム考 人間であること』

・山本敦久『ポスト・スポーツの時代』

・ダグラス・ラシュコフ『ネット社会を生きる10ヵ条』

・レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』

・藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』

・宇野重規『未来をはじめる 「人と一緒にいること」の政治学』

・樋口恭介『すべて名もなき未来』

・アナ・チン『マツタケ 不確定な時代を生きる術』

・古田徹也『言葉の魂の哲学』

・パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』

第11回というのが見つけられなかったのですが、なにかあって取り下げられたのでしょうか?

これらすべてに妥当な形で許諾が取られていたのか、使用料は払われていたのか、気になるところですが、これは第三者のことですので公開を求める道理もありません。どこか1社でも使用料を取っていたなら、ほかの社も請求しておかしくない気がしますし、どこも取っていないなら、黒鳥社は仕入れ無料でずいぶんいい思いをしているなと思います。

黒鳥社がこのプロジェクトを続けるなら、今後もタダ乗りされる人は増え続けるのでしょうし、ぼくのケースが百歩譲って事故だと認めたとしても、こんな体制では事故が繰り返すとも思います。

最後に。

ぼくの本の重みは、書いてある文字だけではありません。医師であるぼくが健康を禍いと呼ぶこと。そのインパクトとリスク。非難の声に耐えて戦う労力。そういうものを込みで評価された本だと思っています。

ほかの本にも、同じ種類の重みがあると思います。

ですが、音読データにはその重みは発生しません。他人の本ですから。

若林氏に言いたいことはひとつです。コンテンツをなめないでください。

ぼくの言っていることが被害妄想なのかどうかは、このエントリを読んだ人たちが決めてくれるでしょう。

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