金か命か、問題はそこじゃないのか(ゾルゲンスマについて)

(2019年6月3日にFacebookに書いた投稿の編集再掲です)

2億円の新薬が子供の難病に劇的に効く、ということで話題になったゾルゲンスマですが、大事な点が日本ではあまり言われていないように見受けます。

【再掲時の追記:ゾルゲンスマは脊髄性筋萎縮症(SMA)の治療薬です。SMAの中にもいろいろ細かい種類があるのですが、ここでは主に、乳幼児期に筋力低下をあらわし、急激に進行して生後数年以内に人工呼吸器がなければ自力で息も吸えなくなるというタイプを想定しています。もともと治療らしい治療はなかったのですが、最近スピンラザという薬が劇的に効くとして話題になりました。そのスピンラザに匹敵するか上回るのでは、と高い期待を背負って登場したのがゾルゲンスマです。SMAの原因に関わるとされるSMN1遺伝子の検査によって、ゾルゲンスマが効きそうかどうかを見分けることになっています】

ゾルゲンスマについては共同の記事がいくつかの媒体から配信されているので、ご覧になった方もいるかと思います。
https://this.kiji.is/504807819868079201

ロイターの記事も似た内容です。
https://jp.reuters.com/article/novartis-genetherapy-idJPKCN1SX091

ですが、ロイターの本家米国版にはもっと長い記事があるんですね。
https://www.reuters.com/article/us-novartis-genetherapy/novartis-2-million-gene-therapy-for-rare-disorder-is-worlds-most-expensive-drug-idUSKCN1SU1ZP

こちらの記事は、最後1/3ぐらいでわざわざ小見出しを立てて、スクリーニングの話をしています。難病によく効く薬が出たんだから使えそうな人をスクリーニングしよう。一見当然の発想です。ですが、この点こそがゾルゲンスマの通過するべき最大の課題であり、それに比べれば値段はささいなことだと思います。


一般に高額薬は、アメリカの状況にあっては、「高くて使えない」という格差を拡大する恐れがあります。「安くしろ」という声が強くなるのもうなずけます。

日本では高額療養費制度があるので、「高くて使えない」という人は相対的に少ないと思われます。オプジーボのときも論点はそこではなく、「悪性黒色腫に使うだけなら影響は限定的だったが、肺がんとなると人数が多いので保険財政に負担がかかる」という議論がなされていました。この観点からはオプジーボより高いキムリアもスピンラザも、もちろんゾルゲンスマも、影響は限定的と言えそうです。

またゾルゲンスマは子供に使う治療であり、もし効果が長期にわたって持続するなら、高くても費用対効果は悪くないかもしれません。

感情的にも、子供の治療には高齢者の治療よりお金をかけてあげたいという人は多いんじゃないかと思います【追記:ただし、ぼくとしてはこの考えに単純には賛成できません。後ろのほうで説明しています】。

以上を考え合わせて、ぼくはゾルゲンスマの値段は妥当であり、問題視しなくてよいと思っています。

ほかにも細かく言うと副作用のリスクとか長期的な利益がまだ特定できないとか不適切使用の可能性とか誤った期待の可能性とか言いたいことはいろいろありますが、それらすべてを足したよりスクリーニングのほうが深刻だと思うので、以下はスクリーニングの話に絞ります。

【追記:スクリーニングというのは、ここではすべての新生児を対象に遺伝子検査をすることを指しています】


スクリーニングはどうも、ゾルゲンスマの開発の段階から想定に入っていたのではないかと思います。

添付文書によると、phase 3の試験は続行中で、中間報告が出ています。
https://www.fda.gov/media/126109/download
この試験です。
https://clinicaltrials.gov/ct2/show/NCT03306277
添付文書によれば、ゾルゲンスマによる治療前の参加者21人は全員が人工呼吸器なしで呼吸し、経口摂取のみで栄養がとれていたとのことです。

【追記:ゾルゲンスマの開発過程で研究不正があったとのことで調査が行われた結果、たしかに不正はあったが結論を変えるものではなく、最終的な臨床試験には不正はなかったという話になっています。 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-08-06/PVU10CDWRGG301 】

SMA1型の自然史のとおりならば、支えなしで座位は不可能、人工呼吸器なしには平均6か月から9か月で死亡するとのことです。
http://www.nanbyou.or.jp/entry/285
ゾルゲンスマの治療後、データカットオフの時点までに試験離脱が1人、死亡が1人、残り19人は生存していて生後9.4か月から18.5か月でした。うち16人は毎日NIVを使う必要がない状態だったとあります。10人は支えなしで座位ができました。劇的な効果だと思います。

この試験は適格基準に症状についての記載がありません。ロイターの記事では、関係各位が一致して「症状が現れるより前」の治療に期待を寄せていますので、そのとおりにデザインしたのかなと思います。どうやって対象者を集めたのかはわかりませんが、多くの人にSMN1遺伝子のスクリーニングをすることは必須だったようです。したがって、ロイターの記事がスクリーニングに言及しているのは当然のことです。


では、それは正しいことでしょうか。つまり、ゾルゲンスマに期待して、すべての新生児がSMN1遺伝子のスクリーニングをするべきでしょうか?

遺伝子検査は安くはないですしSMAはレアですから費用対効果は悪いでしょう。なので公共的なスクリーニング事業として簡単には始まらないかもしれませんが、個人に対して主治医が「こういうのがありますけど興味ありますか?」と言うのは止められません。そして大規模なスクリーニングをやると、例によって偽陽性(SMAだと思ってゾルゲンスマやったけど誤診だった)などの問題が現れます。それでもスクリーニングというのはエスカレートするものなので、「出生前診断でやろう」となるのも時間の問題です。すると日本ではやらないはずの「胎児適応による中絶」が次の論点になるはずです。

胎児適応による中絶はあまりニュースになりませんが、現代医学の抱える困難を代表するきわめて深刻で差し迫った問題だと思います。つまり、「現代医学は優生思想から脱出できるのか」という問いに重なっていると思うのです。

2017年のJAMAにこんなエッセイが載ってました。
https://jamanetwork.com/journ…/jama/article-abstract/2605803
著者の女性医師は、自身にBRCAの変異があったので、着床前遺伝子診断を使って、変異がない子供を授かりました。そしてこんな気持ちになったと書いてあります。

“私は息子を見る。彼がBRCA陰性であること、彼の娘、息子、孫たちも同様であることを知っている(彼が独立した陽性のキャリアと結婚しない限り)。変異は私の家族から根絶されたのだ。”

これをあたかも「ちょっといい話」のように載せてしまうのがJAMAの感性であり、アメリカの医師の感性です。つまり、現代医学は優生思想からぜんぜん脱出できてません。旧優生保護法による強制不妊手術が話題になる昨今ですが、「悪い遺伝子は根絶してしまおう」という発想そのものは決して昔のものではないのです。

ゾルゲンスマがあるから治せばいいんじゃないか、というのは性善説です。たしかに薬の良い面だけを引き出せればみんなハッピーになるかもしれません。しかし、ゾルゲンスマを理由に出生前診断がルーチンになれば、ついでにほかの検査もやりたくなるに決まっています。遺伝子パネル検査がいかにもいいことのように受け止められている世の中ですから(出生前診断を警戒するのと同じ理由で、ぼくは遺伝子パネル検査もやらないほうがいいと思っていますが、それは別の話です)。SMAの「ついでに」ほかの単一遺伝子病をごっそり検査して選択的に中絶するという誘惑に対抗できる論理を、私たちは持っているでしょうか。そして、それを許したときに、次にはいま生きている単一遺伝子病の患者さんに強制不妊手術を誰もしないと保証できるでしょうか。「強制」しなかったとしても、本人が「世の中に迷惑をかけるから…」と言い出したら、どうでしょうか。

誤解されたくないのですが、ぼくはゾルゲンスマが出てきたことを喜んでいます。素晴らしい薬だと思います。出生前診断や強制不妊手術をゾルゲンスマのせいにするつもりもありません。

悪いのはスクリーニングです。「いい薬があるから、使える患者を探そう」という発想では、薬が主役になっています。それはたやすく患者が人間であることを忘れさせます(同じ理由で、ぼくはいわゆるプレシジョン・メディシンは眉唾ものだと思っています)。

だから、ゾルゲンスマに課せられたテーマは「どうやってスクリーニングを断ち切るか」だと思います。スクリーニングの問題に比べれば、値段は取るに足りないことだと思います。


というか、ゾルゲンスマというすばらしい薬を守るために、ひとりたったの2億円というリーズナブルな価格を理由に足を引っ張ろうとする人を黙らせなければいけません。

高額薬対策としてもっか先行しているのは、NICEのような費用対効果方式だと思います。だからこそ日本でも導入されているのだと思います。しかし、費用対効果を評価することを「できるだけ医療費を抑えたい」という枠組みでとらえてしまうと、事の順序がおかしくなってしまうと思います。なぜ医療費を抑えたいのか? 国の財政が破綻して債務不履行になるかもしれないから。では財政改善に結びつくように重み付けをしよう。治すと働ける人には積極的にお金を使い、働ける見込みのない人や高齢者はほどほどにしよう。そういう方向に進んでしまうと、次には「日本人の平均年収より高い薬があっていいのか」という議論が出てきてしまいます。それは本末転倒だと思うのです。

医療資源は有限です。だから効率的に使いたい。そこまではいいのですが、何を優先するかは思想の問題です。普遍的客観的な「効率」の指標があると思ってしまったらもう、「働ける人優先」まではすぐそこです。

医学は困っている人のためにあると思います。「私たちは困っている人のために働いて医療費を稼いでいる」と言ってもいい。だとすれば、働ける可能性がない人にこそ最優先で資源を投入しなければいけないはずです。そう考えると、費用対効果を計算して節約するべきエリアはまったく違って見えてくると思います。

つまり、人の命や健康に関わる《どんな》問題なら、私たちは「お金をかけるぐらいなら、ほっとこう」と思えるのか。そういう文化の問題をこそ問わなければならないと思うのです。

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