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全てに意味をもつべきか

この前、上田と女が吠える夜っていうテレビで自己肯定感の低い人高い人について話してた。自分は自己肯定感の低さが人生の課題だからすごく興味深かった。

その中で、自己肯定感低い人はすべてに意味を見出そうとするって話になっていて。例えば、「なんで今日わたしと遊ぼうと思ってくれたの?」とか。聞きたくなる気持ち分かる、私を選んでくれた承認してくれた意味を聞けると存在意義があるんだって安心する。笑

で、仕事や勉強とかなんでも、やること全てに目的とか意味を持っていなければいけないのかなって思った。大学の課題でもそれを通してなにを得たいのか、やる目的はなんなのかを考え自分のゴールを定めてから取り組むのがいいってされてきたから違和感はなかったんだけど、すべてに意味を持つべきなのかふと疑問に思った。

やることになんでも目的やゴールを定めてしまうと、理性的すぎて、なりたい自分、想定した自分にしかなれない気がする。最初にレールを定めてしまうとその目的さえ達成できれば良くなって、ある意味楽してることになるのでは?
感性を優先してもいい場面もあると思う。とりあえず、なんとなく、やってみてゴールとか意味とか考えないで取り組んだらもしかしたらなにも得られないかもしれないけど、思ってもなかった感情になったり発見があったり楽しさがあったり挫折があったりする気がする。

私は基本理論的だし意味を見出すことが多いと思うけど、たまにはなんとなくやってみようと思う。

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